8 リニューアル作業

 放課後、閉鎖された図書室にて。

 日向は志乃と共に図書室リニューアル作業の説明を受けていた。


「メインミッションは老朽化した本棚を交換することよ。まだ届いてないけど、新しい本棚は今のより高さがあって収納力キャパシティがあるから、結果的に本棚の総数が減るの。その分、通路が広くなるわ」

「いいですね。今は窮屈ですし」

「そうね。開放的になる分、本を選ぶ時のストレスはなくなるはずよ。その場で吟味できるよう椅子も設置しようと思っているの」

「ナイスアイディーアですね!」


 志乃が満面の笑みで山下と喋っているのを後ろから眺めながら、日向は想像を重ねていた。


 本を今の本棚から出す。

 出した本をどこかに待避させる。

 空になった今の本棚を退ける。

 新しい本棚を設置する。

 待避した本を新しい本棚に入れる――


「突き詰めれば本を本棚、待避先、本棚へと移動させるだけの物理作業だが仮に1冊ずつ行う場合、1冊に10秒かかるとして、計1万冊あるとしたら、10万秒かかる。28時間くらいか。図書委員は俺と東雲さんを省いて計8人だから、1人頭3.5時間で……あー、表計算ソフトが無いときつ――」


 小声で呟きながら頭を回転させていた日向だが、ふと前方の二人からまじまじと見られていることに気付く。


「渡会君?」

「すいません、聞いてます。続けてください」

「しれっと嘘つくわねあなた……じゃあ私達が何を話していたか言ってみなさい」

「えっと、先生がリニューアルの構想について話していて、それを東雲さんがナイスアイディーアと絶賛していましたね」


 口調まで真似てみたところ、やはり自覚が無かったようで、志乃はみるみる顔を赤くする。


「東雲さんの反応が正解だと言ってます」

「そうね。その後の話を聞いてないってことがよくわかったわ。志乃ちゃん、彼に説明してもらえる? 細かいやり方も二人で話し合っていいから」

「え、あの、先生……」


 志乃は一度日向を見て、気まずそうに目をそらした後、すがるように山下を見た。


「もうすぐ新しい本棚が届くから、先生は搬入に行ってくるわね」

「先生、二人きりは……」


 志乃の思いも虚しく、山下の背中が遠ざかっていく。


「……」


 沈黙が訪れた。

 日向はどんなキャラを演じようか考えあぐねていたが、志乃の校内における交友関係が狭い――というより自分と同じく友達ゼロであろうことは知っている。広められるリスクは無いだろうと割り切り、面倒な演技はやめることにした。


「東雲さん。聞いてなくてごめんね」


 志乃がびくっと肩を震わせ、恐る恐る日向を見る。

 その目には疑問の色が宿っていたが、日向は無視して続ける。


「説明、お願いしてもいいかな?」

「は、はい……」


 志乃はおどおどした様子できょろきょろした後、本棚の方へと進む。あとについていく。


「その、本の運び方ですけど、いくつか工夫が必要なんです……まず、本にも並べ方があるので、出した本は無造作に置くのではなくて、えっと、後でわかりやすくなるように置いた方がいいと言いますか、その……」


 そのたどたどしい話し方に口を挟みたい衝動を抑えながらも、日向は傾聴していた。


 施設で育った頃、他の子供達に対して自分の意見が通じずに歯がゆい思いをしたことが何度もある。最後まで聞いてもらえないと苛立つし、それが続くと、やがてくじけてしまう。

 しかし施設長や先生達は違った。辛抱強く聞いてくれて、その上でコメントを返してくれた。

 そういえば祐理もそうだったか。反発された覚えしかないが、ちゃんと聞いてはくれていた。


「その置き方もまだ決めてなくて、決めなきゃと思ってます……それと、もう一つですけど、本を手で運ぶのは辛いので、台車を使った方がいいと思ってまして、えっと」


 とはいえ限度というものがある。

 山下に対して打ち解けていた様子を見ているだけに、もどかしい。


「東雲さん」

「は、はいっ!?」

「……何をそんなに緊張しているのかわからないけど、落ち着いて」


 不調の原因と思われる緊張を取り除けば饒舌じょうぜつになるだろうか、と日向は推測した。


「別にかしたりしないから。深呼吸してみたらどう? 落ち着くよ」

「深呼吸、ですか……」


 志乃はきょとんとしたが、すぐに胸に手を当て、息を吸い込んだ。

 ゆっくりと吐く。また吸って、吐いて――


 何度か繰り返した後、その表情は落ち着きを取り戻していた。


「ね?」

「……はい」


 初めて笑顔を向けられて、思わず日向も微笑む。

 しばらく見つめ合う格好となったが、やがて志乃から慌てて逸らした。


 続く言葉を待ってみるものの、口を開く様子は無い。


「えっと、さっきまでの話を踏まえると――要するに本にも並べ方があって、その通りに並べなきゃいけないってことだよね。その手間を減らすためにどんな工夫が出来るか」


 日向は人差し指と中指を立てる。


「東雲さんは二つのアイデアをくれた。本の運搬は台車を使えば楽できることと、待避した本の並べ方を工夫しておけば後で戻しやすいということ。参考になったよ。ありがとう」

「い、いえ……」


 志乃がぽっと顔を赤らめるが、日向は見てはいなかった。室内をきょろきょろと見渡している。


「東雲さん。本って地面に置いて積んでもいい?」

「地面、ですか……」

「棚から取り出した本をどこに待避させておくかだけど、あの辺りに積もうと思ってね」


 テーブルや椅子が集まるエリアを指差す。


「本当は好ましくありませんが、やむを得ないと思います」


 志乃の言葉を聞きつつ、日向はリニューアル後のレイアウトを示したプリントに目を落とす。

 かと思えば、再び周囲を観察した。まるで何かを測っているかのように。


「あの、何を……?」

「これらの本を地面に積みきれるかどうかを計算してるんだ……うん、いけると思う」

「計算というと、数学や物理ですか?」

「いや? 勘だけど」


 日向は空間認識能力に長けている。

 幼い頃から屋外で遊んできた。施設の皆が球技やゲームで遊んだり勉強に励んだりする間も、ひたすら遊具や木々や崖を見て、登って、跳んで、飛び移って、飛び降りてきた。地形構造、空間的距離感や遠近感といった認識に長けているのだ。

 その結果、今では空間の記憶さえ行える。たとえば既に慣れ親しんでいる学校内であれば、目を閉じても下駄箱と教室を行き来できる。


 しばし観察を続けていた日向が「うん」と頷く。


「待避の仕方はこうしよう」


 部屋の隅にホワイトボードがあるのを見つけると、志乃の元まで転がしてきた。

 マーカーを持ち、書き込んでいく。志乃はそれが図書室の間取り図だとすぐにわかった。


 その中に更に長方形が書き込まれていく。

 南側に並ぶのは今の本棚。北側の隅に密集させているのは新しい本棚。室内全体との比率が妙にリアルだな、と志乃は思った。


「で、本はこんな風に待避させる」


 日向は今の本棚から矢印を何本も伸ばしていく。無造作な落書きに見えたが、空いた空間に本棚を順に割り当てていくかのような書き方だ。

 一つの本棚から出る矢印は四本。棚の段数と同じ。


「俺はこれからテーブルと椅子を全部、室外にどかせた後、この図の通りに本をひたすら待避させていく。新しい本棚を運搬する空間も確保してあるから、問題はないはず」

「な、なるほど……よく出来てますね」


 志乃がしきりに感心する。


「この待避作業で数人以上の働きをさせてもらうよ。それでリニューアル作業から解放してもらう。……どうかな?」

「一つ質問なのですが、これって最初に全ての本を待避させるということでしょうか? たとえば本棚を一つずつ交換するやり方もあると思いますけど」

「うん。最初に全部待避させるよ。俺は待避作業に専念したい。新しい本棚に戻す作業では並べ方も考えないといけないからね、それでは肉体労働に帰着できない」

「そ、そうですか……」


 日向が何を考えているのか、志乃はいまいち理解できないでいたが、特に問題点も思い付かない。「いいと思います」同意を示す。


「よし。それじゃこの方針を山下先生にも伝え――」


 出入口付近が何やら騒がしい事に気付く。

 それはしばらくして志乃の耳にも届き、二人一緒に向かってみることにした。


「あら、志乃ちゃん。説明は終わった?」


 作業服を来た男らと話していた山下が、こちらを向く。


「はい。説明どころか作業方針まで決まりました」

「手際がいいわねぇ」


 山下がちらりと日向を見る。


「先生。新しい本棚の運び方について共有したいのですが」

「運び方? どういうことかし――あ、ごめんなさい。そのやり方で問題ありません。お願いします」


 山下は作業着のリーダーらしき男に会釈をした後、再び日向に向き直る。

 日向は山下をホワイトボードの元まで案内して、手早く説明した。


「――問題無いと思うわ。よく考えられているわね」

「では早速作業を始めようと思います。着替えてきます」


 日向が提案した作業は、今の本棚に収納された本をひたすら地面に積むという肉体労働だ。台車を使うとはいえ、制服では厳しいものがある。そのくらいの事は山下も志乃もわかっていた。


「あの、私……今日は体操服を持ってきてません」

「東雲さんは大丈夫だよ。作業するのは俺だけだから」


 むしろ下手に手伝われても邪魔なだけになるだけだ、と言おうとして思い留まった。


「今日中に数人分の働きをします。それでリニューアル作業を免除していただけるんですよね、先生」

「ええ、そのとおりよ。なんでそこまでして免除したいのかがわからないけど」


 それは口にしないだけで志乃も疑問に思っていることだった。

 日向としては盗撮活動の支障が生じるから拘束を少しでも避けたいだけだったのだが、無論口に出せるはずもない。


「私用ですよ。――では着替えてきます」


 適当に応えながら、日向は図書室を出た。

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