7 化けの皮一枚

 今年の図書委員が例年より忙しいことは聞いていたが。


「急きょ招集して申し訳なかったわね。ここのリニューアルについては聞いていると思うけど、作業日程が早まっちゃったの――今日からなのよ」


 まさか翌日の放課後も拘束されることになるとは、と日向は内心でため息をついていた。

 日向は表に出さない分マシな方で、他の図書委員にはあからさまに不機嫌な態度を取る者もいた。


「担任から伝達されたと思うけど、図書室は今日の放課後から一時閉鎖。次に開館するのはリニューアルが終わった後。特に期限は無いけど、いつまでも閉鎖し続けるわけにはいかない」


 司書の山下が喋りながらプリントを配布する。


「なるべく早く終わらせたいのよねぇ……。今日も下校時間まで作業してほしいくらいだけど、いきなり今日から残れと言うのはさすがに無いわよね。そこで希望者を募りたいんだけど――どうかしら?」


 山下が挙手のジェスチャーをしてみせる。地味な司書姿でも存在感を放つ胸がぷるんと揺れたのを日向は捉えた。

 直後、目線を上げてみると、思い切り山下と目が合う。にっこりと微笑まれた。


「……」


 盗撮に鍛錬にと忙しい日向が名乗りを上げるはずもない。いつもどおりの演技として、動揺しながらそっぽを向いておく。


 耳を澄ます。

 周囲から挙手の反応は聞こえない。

 美人と名高い先生と一緒に過ごせるチャンスだからすぐに集まるかと思いきや、そうもいかないらしい。メンツが見るからにインドアでおとなしそうだからか、それとも単に下校時間まで絞られるのが嫌なのか。

 いずれにせよ長引きそうだ、と日向が思っていると、手を挙げる音が聞こえた。


 それは静かな動作だった。

 現にそれを視界に入れていなかった図書委員は――日向を除き――誰も気付いていない。


(この貧弱そうな女子に務まるのか?)


 手を挙げたのが東雲志乃しののめしのだと、日向は見るまでもなく断定する。

 直後、山下が「あら」と声を上げ、そこで初めて皆が志乃の挙手に気付く。


「東雲・渡会ペアね。他にはいないかしら?」


 誰も口を開かない。

 カチ、カチと秒針が刻まれる。誰かが生唾を飲み込んだのが聞こえた。

 そんな静寂をBGMに、日向はそっぽを向いたまま直近の行動を練っていたが。


(――ちょっと待て。今何つった?)


 思わず山下を向く。


「仕方ないわね……わかりました。今日は東雲さんと渡会君に手伝ってもらいます。明日と明後日は私一人で対応して、来週からはカウンター当番の代わりに皆さんにも作業を手伝ってもらいます」

「……」

「配ったプリントは、作業の参考にはならないけどリニューアル後のレイアウトよ。詳しい作業内容は追って連絡するわ」

「……」

「今日は呼び出して申し訳なかったわね。来週からよろしくお願いします」

「……」

「はい、解散」


 山下が言うと、図書委員らはすぐに席を立ち図書室を出て行った。

 残ったのは自ら志願した志乃と、何かを言いそうな顔で山下を睨む日向の二名。

 そんな日向とちっとも目を合わせなかった山下が、ようやく合わせてきた。再び微笑んで、


「二人ともありがとうね。本当に助かったわ。ここだけの話、リニューアルは委員会活動の範疇はんちゅう外だから、実は生徒を拘束できないのよねぇ……」

「ドア・イン・ザ・フェイスですね」


 喋ったのは志乃だった。日向は完全に出鼻をくじかれ、しばし聞き役に徹する。


「最初に希望制でとことん手伝わせるという無茶ぶりを振っておいて、後で週に一度のみの手伝いを掲示する。前者のインパクトと、断ったことによる罪悪感がある分、後者なら『まあ仕方ない』と思えてしまう――という心理を利用した交渉術の一つですよね?」

「ふふっ、そんな大げさなものじゃないわよ」

「ちなみになぜドア・イン・ザ・フェイスと呼ばれるかはご存じですか? この言葉はセールスマンがひとまず相手に拒否させるために、強引に開いたドアに顔を突っ込むことから――」

「志乃ちゃん」

「突っ込むこと、から……」


 志乃はロボットみたいな動作で日向を向き、あたふたしながら顔を赤くした。きらきら目を輝かせていて喋っていたのが嘘のようだ。


 間ができたので、日向は口を開く。


「あの……僕は挙げてないんですが」

「手伝ってくれないのかしら?」


 どこか色っぽい笑顔で応える山下。並の男子なら見惚みとれるところだが、JK専門の撮り師である日向に年増の色香は通じない。


「はい」

「東雲さんが一人で苦労することになっても?」

「……はぁ」


 即答しようとしたが、志乃の何かを期待するような、あるいは何かにすがるような眼差しが向けられており、どうにもやりづらい。


「仕方ないんじゃないですか。手を挙げたのは彼女ですし」

「つれないのね。モテないわよ?」


 どこかで聞いたような台詞だった。

 これ以上問答するのも面倒なので、日向は改めて終わらせに行く。


「このままだと声を上げることになりますが」

「それは困るわね」


 しかし山下の表情はちっとも困っていない。


「渡会君。あなた、意外と苛烈なのね。もっと寡黙な生徒だと思っていたんだけど」

「寡黙でも主張はします」

「いいえ。寡黙な子は内心嫌々思っていながらも従ってしまうものよ。あなたのようなタイプは珍しい。まるで寡黙なのが演技みたいね?」

「……」


 日向の出鼻は再度くじかれることになった。


 見抜かれたのには驚いたが、ここまでのやり取りは確かにがっつきすぎていた。

 今更隠しても仕方がない。日向は観念して、


「……そうですね。演技でした」

「役者でも目指してるの?」

「人付き合いをするのが億劫なだけです。最初から絡まれにくいキャラを演じておけば、あとで断るエネルギーを消費することもない」

「しっかりしているのねぇ」

「お褒めにあずかり光栄です」

「皮肉のつもりだったんだけど」

「構いませんよ。美人に皮肉られるのも役得ですから」

「あら。嬉しいことを言ってくれるわね」

「皮肉のつもりだったのですが」


 日向は半ばどうでもよくなっていたが、さっきから注がれ続けている志乃の凝視で我に返る。


「……話を戻します。リニューアル作業の件ですが、こうしましょう。今日だけで俺は数人分以上の働きをします。それでリニューアルに絡む拘束を以後免除してください」

「だと言ってるけど、どう?」


 そこでなぜ志乃に訊くのか、日向にはわからなかったが、もじもじしながらも何か言うとする志乃を見ると、割り込むのもはばかられた。


「わ、わたしは……問題ないと、思い、ます……」


 なぜこちらをちらちら見ながら話すのか、日向は意図を図りかねたが、人見知りなんだろうと勝手に結論付ける。


「そう……。私としても構わないけど、できるのかしらね?」

「何とも言えませんが、とりあえず作業内容を教えてください」


 力仕事だと聞いている。

 日向はパワータイプではないものの、普段からストイックに鍛えており身体能力で言えば超高校級である。人並以上の働きが出来ると信じてやまない。

 ただ、そのような側面も普段は隠しており、ここでどこまで発揮するかが悩ましいところではあった。


「そうね。それじゃ早速始めましょうか」


 こうして作業が始まった。

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