9 作業《トレーニング》
「な、何なのよあれは……」
「
山下と志乃は呆然と立ち尽くしていた。
たん、たん、たん、とリズミカルに鳴るのは本を重ねる音。
その間隔は不自然に短く、その動作は不自然に速い。
あっという間に台車が本で埋まる。
それを押して運ぶ。キックスケーターを蹴っているかのようなスピード。にもかかわらず、積み上げられた本が崩れることはない。発進と停止のタイミングも、手で押さえるタイミングも絶妙だった。
待避場所まで運んだ後は本を降ろす。再びリズムが刻まれ、間もなく台車が空になった。
そんな単調作業が、早送りでも見ているかのようなスピードで繰り返されていく。
「こういうアルバイトでもしているのかしら」
「少なくとも司書や書店員の仕事には、あのようなスポーツの様相はないと思いますけど……」
志乃も山下も目を見張りっぱなしだった。
「すいません、そこにいたら邪魔なのであっち行っててもらえます?」
不意に日向が口を挟んできた。
山下は小言の一つでも言おうとしたが、既に日向の背中は離れていて「生意気ね」ぼそっと呟くことしかできなかった。
一方で志乃は、その遠慮の無い物言いに尊敬の眼差しを注いでいた。日向は気にも留めていない。どころか眼中にすら無かった。
日向は自分の能力を総動員して作業にあたっていた。
これは下校時間までにどこまで待避できるかという挑戦であり、鍛錬であり、遊戯でもあった。日向は興奮し、高揚し、没頭していた。
あっという間に下校時間になる。
「はぁ、はぁ……どうっすか、これから文句無いでしょう?」
地面に積まれたのは何千という本。これを新しい本棚に戻すと言われたら一瞬で戦意喪失してしまうような、そんな本の海だ。
一人分の働きを超越しているのは明らかだった。
「本を汚してないでしょうね?」
「そんなヘマはしません」
実際、日向は自身の発汗さえも熟知していて、汗が本に
「そう。だったら文句は無いわ」
山下は腕を組んだまま応じる。豊満な胸が強調されていて、祐理よりも大きいなと思いながら日向は見ていた。
その視線にいやらしさは無い。校内一の美人教師と評されている自覚のあった山下は、そんな淡白な態度が少しばかり
「この後、何か予定はあるの? お食事でもどうかしら。車で送るわよ」
「お断りします。用事がありますので」
清々しいまでに即答だった。
「先生。私は誘っていただけないんですね」
「これはデートのお誘いなのよ志乃ちゃん。振られちゃったけど」
「教師が生徒を誘うのは大問題だと思います」
志乃は山下からぷいっと顔を逸らす。
それは教師のモラルというよりも別の何かに対して憤っている様子だったが、日向にはわからなかったし、どうでも良かった。
「では俺はこれで。失礼します」
半ば強引に挨拶をして、図書室を出る日向。
結果を出しているだけに引き留められる道理もなく、二人とも呼び止めることは叶わなかった。
「つまんない男ねぇ」
「それは先生が相手にされてないからだと思いますけど」
「さっきから言ってくれるわね。相手にされてないのはあなたもよ?」
「うぅ……」
山下は日向をからかっているだけで、せいぜい好奇心止まりだと思われるが、志乃は違う。
志乃は、日向に恋をしている。
「正直あれは無理だと思うわ。やはりLGBTではないかしら」
「そうなんでしょうか……」
「何か熱中している男子でも、多かれ少なかれ性欲はある。女子に対しても反応を示すはずなのよ。多かれ少なかれ、ね。でも彼――渡会君からはそれを感じなかった。性欲が死んでいるケースは稀。LGBTの方がまだ可能性が高い」
山下の見解はもっともらしく聞こえたが、志乃は素直に肯定できない。
それは恋が実らないことを認めたくないという願望でもあったが、それ以前に直感でもあった。言葉では表せないが、何か大きな取り違えをしている――そんな気がしてならなかった。
「――たいです」
「なあに?」
「渡会くんのこと。もっと知りたいです」
その双眸には何らかの決意を感じさせる強い光が宿っていた。その恋が難しそうとはいえ、ひいきにする生徒の青春を止める理由はない。
「私も応援するわ」
「……ありがとうございます」
志乃は足早に図書室を去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます