4 決意

 夜の八時。辺りは完全に暗くなっている。


「どこ行くの?」

「トレーニング」

「むぅ……あやしい」


 祐理はドアノブに手をかける日向の全身を眺める。

 スポーツメーカーのロゴがプリントされた半袖とハーフパンツから、筋密度の濃そうな四肢が覗いている。

 背中にはリュック。ぴっちりと張り付くように固定され、何のストレスもなく走るための専用品だと想像した。


「この格好を見れば明らかじゃないか」

「逆にあやしい。正直に申してみよー」


 日向は夜の春高に忍び込み、撮影データの回収と新たな盗撮の仕込みを行うつもりだった。リュックには複数のカメラも入っている。

 祐理が両手を構えてゆらゆらと近づいてくる中、


「まあ怪しいだろう。薄着で苦しそうな顔でハァハァ言いながら公園でトレーニングするからな」

「変質者だね」

「だから人のいない夜なんだろうが」

「ひなたのばか。オタクッ! 筋トレマニア!」

「筋トレじゃねえよ、基礎トレだ」

「あ、そうだ! ごはんはどうするのっ? わたしまだ食べてないよ!?」

「……冷蔵庫にオムライスがある。じゃあな」


 日向は俊敏な動作でドアを開け、容赦無いダッシュで逃げていった。

 その逃げ足と体力を祐理は嫌というほど思い知っている。男子にもひけを取らない祐理だが、幼い頃から日向には全く敵わなかったのだ。勝負は見えていた。


「……ばか」


 ぽつりと呟き、チェーンロックを掛けた。




      ◆  ◆  ◆




「記録カード。今日の分です」


 一仕事終えた日向は佐藤宅を訪れていた。


「遅えじゃねえか。こっちはこんなにおっっとるぞい」

「見せなくていいですから」


 AVならさぞかし映えるだろうなと日向が感心するほどのテントが張られている。

 日向は記録カードを手渡しつつ、


「そんなことよりもお願いがあるんですけど」

「ワシはオナニーしたいんじゃが」

「本当に緊急なんですけど。同居人対策です」

「――仕方ないのう。話してみい」


 自宅に居候が増えたことは――祐理の名前やら性別やら詳細は伏せているが――既に展開してある。

 盗撮活動がバレないよう注意するのは当然で、日向一人で苦戦するようなら佐藤としても協力せざるを得ない。

 立派なテントが縮んでいくのを眺めながら、日向は続けた。


「俺のスマホ――認証機能を強化できませんかね?」


 視線で続きを促す佐藤のそばにスマホを構え、パスコードを入力してログインする。


「承知の通り、このスマホは盗撮撮影に使うことがあります。そうでなくても計画を練ったりカミノメを視聴したりと色々使ってますし――何よりガシアも入ってます」


 学校侵入アプリ、略して『ガシア』。


 警備システムの制御を横取りフックし自由に操作できるようにした佐藤作のシステムであり、日向が夜の春高に侵入できるのはガシアのおかげだった。


「パスコードだけだと弱いんですよ。万一誰かに見られたら俺は破滅です。佐藤さんだってガシアとか他人に知られたくないでしょ」

覗き見ソーシャルハッキングされないよう気を付ければ良いじゃろうが」

「そうじゃなくてパスコードそのものが不便で弱いと言っているんです」

「それで、どうしろと?」


 佐藤は日向のスマホを手に取り、勝手にいじり始めた。

 日向は特に気にしない。佐藤は天才ハッカーでありクラッカーだ。その気になれば日向の個人情報くらいゲットできる。


「生体認証が欲しいです」

「簡単に言ってくれる」

「確実に俺だけが認証できて、パスコード入力よりも素早く認証できて、かつ誤作動で勝手に認証してしまうのを防げて、くらいが欲しいですね。それができるなら何でもいいですが、たぶん生体認証になりますよね」


 佐藤の手からスマホを奪い取り、何度かパスコードの入力を繰り返してみせる。


「俺には周囲に人がいる状態で、盗撮活動としてスマホを触る機会があります。春高という学校内を舞台にしている以上、そういう器用な立ち回りが必要になるケースが結構あるんですよ。で、パスコードですけど、見ての通り、いちいち打つのがだるいんですよね。かといって設定しないのは論外ですし。この不便さ、佐藤さんならわかるでしょ?」

「気の毒じゃな。よくわかるわい……じゃが、それだけでは理由にならん」


 出来ないとは言っていないのが佐藤の頼もしいところであり、恐ろしいところでもある。

 だが日向は怯まない。そんなことはわかりきっているし、割り切っている。


 佐藤とは盗撮のための技術協力という関係にあった。

 佐藤が己の歪んだ性欲を満たすために技術を形にし、実行犯たる日向に撮影してもらう。日向は日向で、撮影した動画をカミノメに流して利益を得ることを条件として提示している。ギブアンドテイクである。


 しかし今は日向が一方的に要求をしている状況にある。佐藤にとっての利を提示できなければ一蹴されるだけだ。


「今までなら何とかなりましたが、今は同居人がいます」

「……」

「今まで自宅では警戒無しに使えていましたが、それも敵わなくなってしまいました」

「自分の部屋で使えば良かろうが。間取りは覚えとるぞ。あの何も無い部屋に同居人を割り当てるじゃろうから、日向の部屋はそのまま残るはず。違うか?」


 大した記憶力だと内心舌を巻きつつ、


「常に部屋に居るわけにもいきません。それが共同生活というものです」

「……仕方ないのう。貸してみろ」


 日向はスマホを手渡した。


「過ごし方の工夫次第で回避できそうじゃが、まあ良い。生体認証はちょうど遊んでおったネタの一つじゃからな。サービスしてやる。……明日の朝、登校前に取りに来い。それでええの?」

「ありがとうございます」

「ついでにガシアのメンテナンスもしといてやる」

「誠にありがとうございます」


 佐藤曰く、ガシアは警備システムの仕様に全面的に依存しており、システム側のメンテナンスやバージョンアップなどにより機能の一部または全部が使えなくなる事があるらしい。

 ガシアは日向にとっての生命線であり、もし期待通り動作せずに侵入が検知されでもしたら今後の盗撮活動も危うくなる。日向には捕まらない自信があったが、学校側が警備員を追加投入でもしたら厄介だ。

 そうならないようガシア側のリスクを未然に取り除くことを、佐藤はメンテナンスと呼んでいる。


「調子の良い奴め」

「では明日また来ます。感想も聞かせてくださいね」


 佐藤宅を後にしながら、同居人――祐理への言い訳をどうするか考える日向だった。






 開錠したドアは最後まで開かず、ガチャンと何かが引っかかる音がした。

 ドアの隙間を見ると、チェーンが垂れている。用心のためかと日向は捉え、インターホンを押す。


 出ない。


 もう一度。――反応無し。

 三回目。四回目……――物音一つしない。


「よろしい。戦争だ」


 日向は親指を構え、ボタンを連打した。


 眠そうに目をこする祐理が出てきたのは、331回ほど押してからだった。


「うるさいなぁ……おはよう日向」


 部屋着のスウェットを着ているところを見ると、既に風呂には入ったらしい。


「おはようじゃねえよ」

「オムライスおいしかった」

「そりゃどうも」


 日向が背負うリュックにはカメラが入っている。見た目は何の変哲もない日用品カモフラージュタイプだが触れられないに越したことはない。

 さっさと部屋に戻ろうとしたが、祐理が通せんぼしてきた。


「どこ行ってたの?」

「公園」

「いなかった」


(わざわざ見て回ったのか)


 迂闊だった、と日向は後悔した。祐理の行動力を侮ってはいけない。


春日野町かすがのちょうも広いからな」

「近場の公園は全部巡ったもん。ほらっ」


 祐理がポケットからスマホを取り出し、しばしシュッシュと何やら操作した後、画面を見せてきた。


「街の地図か。なんかマーカーが付いてるな」

「行った公園にチェック付けた」

「へぇ、賢いじゃん。偉い偉い」


 頭を撫でてみる。毛並みの整った飼い猫のように触り心地が抜群だ。


「さわるなー」

「ちなみにそのやり方は不完全だな」

「ふぇ?」

「一つの公園に留まるとは限らない。というか留まる方が稀だな。どの公園にどんな遊具や地形があるかはばらつきがある。当然、やりたいトレーニング毎に場所を変える必要があるよな?」

「むぅ……」


 苦し紛れの言い訳に聞こえそうだが、日向の行動や嗜好を知っている祐理にとっては至極ありえる話だった。

 一瞬、具体的にどの公園に何かあるかを尋ねようと考えたが、日向なら間違いなく調べ尽くしているはずだし、知った気にペラペラ喋られても煩わしいのでやめておいた。


「起こして悪かったな。もう寝てもいいぞ。俺も風呂入ってすぐ寝るわ」


 日向は施錠とチェーンロックを掛けながら、下駄箱の上に置いてある時計を見る。

 午後十時が迫っている。早寝早起きの日向なら就寝に備えるか、何なら既に寝ている時間だ。


「何言ってんの日向。まだまだ夜はこれからだよ?」

「ぐっすり寝てた奴が何言ってんだ」

「悪いのは日向だもんっ! 待ってたのに!」

「じゃあ一緒に風呂入るか?」

「いいね-、入――え? おふろっ!?」

「久々にと思ったんだが、そうか、祐理はもう入ったんだよな」

「ほ、本気で言ってる……の……?」


 祐理が顔を赤くしてあたふたしている。


「俺と祐理の仲だろ。村ではいつも一緒に入ってたじゃないか」

「一緒じゃないもん! ねつぞうするなーっ!」


 村にいた頃は入浴中によく祐理に乱入されていたが、小5になってからぱたりと止んだ。

 思春期による自覚か、施設長あたりにでも注意されたのかは定かではないが、それ以来、祐理の裸は見ていない。


「近所迷惑だから大声出しちゃダメだぞう?」


 祐理の肩をぽんぽんと叩いてから、日向は自分の部屋に向かった。「ぐぬぬ……」と唸っていたが、祐理に妨害されることは無かった。

 祐理がこの手の話題に弱いことは知っている。追及を避けたい時に便利なのである。


「別に気にする間柄でもないのにな」


 部屋に入り、ドアを閉める。本棚をずらしてドアを塞いだ。

 それから隅に居座る大型金庫を開けて、カメラを収納。


 片付けた後は洗面所へ。

 手洗いとうがいを済ませ、服を脱ぐ。洗濯機に入れようとして、見慣れないものが入っていることに気付いた。


(祐理の下着か)


 先週土曜日に祐理が来てから今日で三日になる。下着を見るのも三回目。


「……慣れないな」


 日向はため息をつく。

 普段は全く動じないフリをしているが、日向とて男である。相手が妹みたいな存在とはいえ、何ともないことはない。


 浴室に入り、手早く体を洗いながら振り返る。


 小5になるまでは一緒に入っていた。

 あれは小4の時だったか。祐理の体が妙に色っぽくて、胸も膨らんでいて、初めて下腹部に膨脹をおぼえたのは。

 それからは祐理に気付かれないよう必死で堪えた。これも鍛錬の一環だ、と言い聞かせていた。


 小5になって祐理の乱入は止んだが、助かったというのが本音だった。


「今はもう大丈夫だけどな」


 身体的にも精神的にもストイックに鍛えてきたし、盗撮活動で女子や女性の生々しさにも散々触れてきた。

 彼女をつくってイチャイチャしたいとも思わなければ、オナニーを自ら進んでやることもない。それほどに淡白で、偏っている。


 ゆらゆらと映る自分の性器を見る。


「だが男の性欲を舐めちゃいけないよな」


 日向が動画を提供する盗撮動画販売サイト『カミノメ』には、社会的な成功者が集まっているとされる。

 裕福な変態をターゲットにしているだけあって、利用料金は文字通り桁が違う。何万、何十万、いや何百万の消費さえ珍しくない。

 そんな世界の住人でさえも性欲にとらわれているのだ。


「鍛錬の一環、の再来だな」


 日向は湯で顔をバシャバシャとすすぎ、顔を上げる。


「祐理に負けるつもりない――絶対に」


 決意を新たにした。

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