3 提案

 そのタワーマンションは春日野町かすがのちょうのターミナル駅から三駅ほど離れた場所にある。

 距離にして十キロ超だが、日向は放課後、即帰宅して着替えた後、己が足のみで軽々と走破してきた。


「ジンさん、面倒くさいお願いがあるんですけど」


 日向が玄関で汗を拭きながら尋ねる。


「汗まみれでいきなり訪ねてくる野郎とは関わりたくねえ」

「売り上げに貢献できますよ」

「……シャワー使うか?」

「いえ。すぐ終わるので」

「言ってみろ」


 持参していたタオルで一通り拭き終えたところで、日向は敷居をまたいだ。


「どの子の動画を視たいかを募るんです。投票で。カミノメひらけます?」


 盗撮動画販売サイト『カミノメ』の動画を視聴しながら話し合いたい、という日向の意図は言わずとも伝わった。

 ジンと共にリビングに向かい、パソコンを操作することしばし。壁面の大型ディスプレイが一つの動画を再生する。


 教室を後方から映したものだ。生徒一人おらず、がらんとしているが、机に畳まれた着替えが置いてあるのを見れば、直後の展開は予想できる。


「体育後の着替え盗撮だな」

「はい」


 間もなく戸が開き、ざわざわとした賑やかさとともに女子達が入ってきた。何の躊躇ためらいもなく体操着を脱ぎ始め、色とりどりのブラジャーが散見する。


「これは去年撮った動画ですが、こういう風に女子達が映ってる動画を見せて、どの子が好みかを投票してもらうんです。それで投票数の多い子を狙い撃ちした動画をつくる」

「中々クズいことを考えるじゃねえか」

「面白そうでしょ?」

「どうだかなぁ……」


 盗撮動画は場所を定めた上で不特定多数を映すものが多く、特定個人を狙って撮影したものは少ない。難易度が高い割に、反響が少ないからだ。


 どんな盗撮シーンに興奮するかは予想以上に人それぞれである。

 撮影者が最高と評した被写体や撮り方も、万人にとってそうであるとは限らない。早い話、美人で鮮明だから人気が出るとは限らない。

 何年もカミノメの動画提供者コンテンツプロバイダーを務める日向は、そんな厄介な性質を痛感しているし、オーナーたるジンもそうだった。


「言うまでもないことだが、不特定多数を捉えることのメリットはフェチを多く盛り込めることだ。この動画で言えば、容姿も下着も仕草も異なる女子高生が何人もいる。一人くらいは好みが見つかる、というと言い過ぎだが、大部分の変態をカバーできるというわけだ」

「知ってます」

「盗撮フェチの好みはばらついている。投票したところで票は分散すると思うがな」


 言いながらジンはポケットからタバコとライターを取り出す。

 日向は受動喫煙を嫌悪しているが、リビングは広いし、ここはジンの自宅だ。さすがに文句を言うのはわがままだろう。


「受動喫煙」


 などと遠慮する日向ではなかった。


「ここはオレの家なんだが」

「申し訳ないとは思っています。すぐ帰りますので」

「真顔で言われても説得力ねえよ……まあいい。それで、どうなんだ?」


 タバコを吸えないジンは、ライターを投げつけることで些細な苛立ちを表現した。

 手加減無しで投げたつもりだったが、日向は軽々とキャッチする。無論そうなるとわかっていたからこその行為だ。


「やってみないと何とも言えない、ってのが本音ですけど」


 ライターのふたを開閉してもてあそぶ。きん、きん、と高級そうな金属音が鳴る。


「票が集中するような女子コンテンツがいないとも言えません。俺の『体育着替えシリーズ』でも通り名をもらった女子がいます。卒業しちゃいましたが」


 『通り名』とは盗撮動画中に登場する被写体に対して視聴者らが付ける愛称である。


「『灰ちゃん』だな」

「はい」


 去年三年F組にいた、とある先輩女子は常に灰色のスポーツブラジャーとショーツを着用しており、スタイルの良さもあって視聴者から『灰ちゃん』と呼ばれ、親しまれていた。


「灰ちゃんのような女子コンテンツは他にもいると思うんです。ただ声に出していないだけで」


 日向はライターを置いて、マウスを手に取る。

 カチカチと画面を遷移させ、コメント欄を開いた。『灰ちゃん』を絶賛するコメントが多数載っている。


「通り名レベルの女子コンテンツが増えれば、それだけ人気も出ます。稼げます。俺が考えてるシリーズモノがあるんですが、こいつを軌道に乗せることもできるかもしれません」


 ジンは表にこそ出さなかったものの、淡々と語る目前の高校生男子に恐れさえ抱いていた。

 しかし日向が頑張ればカミノメも潤う。やる気を出してくれるのはありがたいことだ。

 とりあえず一点、許容できない前提を指摘する。


「日向。ユーザーに寄り添いすぎることは認めんぞ。顧客への依存は自らの首を絞めるからな」

「わかってます。カミノメを盛り上げる不定期イベント、くらいの扱いでいいかなと思ってますが」

「うむ。それくらいなら良いだろう。あとは、そうだな……顔バレはどうする?」

「そこなんですよねぇ」


 盗撮フェチには二種類の人間がいる。


 顔を見たいタイプと、見たくないタイプだ。


 盗撮対象として美人を捉えられるケースは少ないため、下手に顔がわかっても幻滅に繋がりかねない。なら、あえて顔を隠して、シチュエーションやスタイルを楽しむことに特化した方がいい――そんな後者派が少なからず存在する。

 一方で、顔面が映らないことをよしとしない前者派も無視できない。


「モノがJKなんだから問題無いと思うがな。春高は顔面偏差値レベルが高いしよ」

「そうなんです、けど……」


 日向の心配事は別にあった。

 先週末、居候することになった幼なじみを思い浮かべる。


(祐理の顔が映ってしまう……)


 祐理は近いうちに春高に転入することになっている。

 盗撮の舞台である春高に。

 当然、盗撮対象として映り込む可能性はあるし、むしろ日向の活動範囲を考えれば必然と言っても過言ではなかった。

 撮影者は日向自身であるため、一見すると日向さえ気を付ければ済みそうだが、今再生されている着替え盗撮のように多数の女子を収める場合は除外などできない。

 かといって祐理の顔にのみモザイクをかけるのは明らかに不自然である。

 ジンであればまだ説得できるにせよ、視聴者には通じない。そんな私情を挟んでしまっては撮り師としての信用はがた落ちである。


(祐理を含む空間の盗撮は丸々諦めるしかないか)


 ギリッと歯を食いしばる日向。

 もしその空間に通り名レベルの女子が存在していたとしても、みすみす見逃すことになってしまうからだ。『体育着替えシリーズ』で言えば、祐理の属するクラスと合同で授業を受けるクラスのニクラス分を丸々捨てることになる。損失は大きい。


「日向。何が心配なんだ?」

「……いや、何でもありません」

「――居候のことか?」

「なっ!?」


 いきなり見抜かれるとは思わず、日向は狼狽ろうばいした。

 普段冷静で淡白なキャラクターには全くそぐわない反応に、ジンは思わず吹き出した。


「安心したぜ。お前もガキなんだな」

「高校生はガキじゃありません。つか俺を何だと思ってるんですか……」


 ジンを見ると、まだニヤニヤしていた。これは居候がどこの誰かというところまで悟っている顔だ。


「お前の後ろにひっついてたあの子だろう?」

「ええ」

「可愛くなってたか?」

「ノーコメントで」

「お前はもっとエゴなのかと思っていたが――大切にしてんじゃねえか」

「……」


 認めるのは気恥ずかしいが、否定もできなかった。

 これがもし単に村――児童養護施設『村上学校』で共に育った仲というだけであれば配慮することもなかったが、祐理は違う。


 日向にとって祐理は、いつも自分にひっついてくる妹のような女の子だった。

 小さい頃から孤立していた日向に、飽きもせずついてきた。放置しても、無視しても、一緒になってハブられても祐理はめげなかった。

 鬱陶しいと思ったことは数え切れなかったが、結局日向は根負けし、ひっついてくることを容認した。

 その結果、少なくない時間を一緒に過ごすことになり、相応の情も育まれた。祐理は日向が心配を向ける唯一の対象である。


「決して動画に映さないよう配慮するしかないわな」

「……ですね」

「一応言っておくが、一瞬でも映さない方がいいぞ。変態どもは目聡めざといからな。この子は誰だとスクリーンショット付きでコミュニケーションルームに書き込むかもしれん。……まあお前の想い人にそこまでの魅力やオーラがあればの話だがな」

「あるとは思いますよ。あと想い人じゃないです」

「ははは、そういうことにしといてやるよ」


 事実無根だが、こんなことで張り合ってもエネルギーの無駄である。


「それじゃ俺はこれで。詳細はまたそのうち俺から話す、でいいですか?」

「了解した。期待してるぜ」


 日向が退室した後、ジンは早速タバコに火をつける。


「ふー……――なるほどな。村上烈れっちゃんの意図にはオレも賛成だ」


 大型ディスプレイに映る着替えシーンをしばし眺めた後、ウィンドウを閉じた。


「日向はどこか危うい。プロのトレーサーを目指すことになっているが、まだ不安を拭いきれないんだろう。カミノメのオーナーとして日向に頼ってるオレも同感だ」


 タバコをくゆらせ、ぷはぁと煙を吐き出す。


「大切な女の子と結ばれれば落ち着いてくれる。一つ屋根の下で暮らせばそうなるのも難しくはない――そういうことだろ?」


 日向は同年代の女子を前にどんな反応を見せるのか。

 それを想像して、ジンはくすりと笑うも、間もなくその顔が曇る。


「そう簡単に行くとは思えないがな……」

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