8 日常の終わりと始まり

「お前の部屋はここな」

「良かった-、空き部屋があったんだね」

「良くねえよ。俺のトレーニング部屋だったのに」

「ウソだー、すっからかんじゃん」


 その部屋には物一つ置かれていなかったが、カーテンが敷かれ、掃除も行き届いている。

 祐理ゆりはボストンバッグを乱雑に置き、その上に脱いだブレザーを放り投げると、床に寝転んだ。無防備なスカートから太ももが覗く。


「自重メインだからな」

「じしゅう? 勉強すんの?」

自重じじゅうだ。自分の体重のみを生かしたトレーニングってことだよ」


 トレーニングというと一般的には筋トレ――器具を用いた筋力トレーニングを連想するが、日向ひなたは器具を使わない。自分の身体をいかに把握し、制御するかを重視しており、器具はその邪魔になる。


「ふーん」


 興味が無さそうな様子で仰向けに寝転がる祐理。

 その胸部が山のように盛り上がっているのを、日向は眺めていた。


「お前も相変わらずだな」

「んー、なにー?」

「なんでもない。で、荷物はそれだけか?」

「うん。必要なものはこっちで買えって」

「金は?」

施設長パパからもらった――ってどしたの日向。苦虫を噛み潰したような顔して」

「難しい言葉を知ってるんだな」

「ばかにするなー!」


 祐理がひょいと上体を起こす。

 何気ない動作だが、それなりに腹筋が無ければできないことだ。男子と張り合っていた身体能力は健在らしい。


「そうか。バカじゃないんだな。じゃあ一人で出来るよな」

「何の話?」

「買い物。机も椅子も棚も布団もないし、日用品も特に女子特有の分はねえぞ」

「え? 日向も付き合ってくれるんだよね?」


 まともに付き合ったら今週が丸々潰れてしまう。

 日向は再び露骨に嫌な顔をつくってみせた。


「俺は忙しいんだ」

「どうせトレーニングでしょ」


 ジト目で睨んでくる祐理。


「どうせとは何だ。俺にとっては大事だ」

「わたしとどっちが大事?」


 今度は人を試すような笑顔で問うてくる。


「トレーニング」


 日向が即答すると、祐理は頬を膨らませた。


「さっきのはウソだったの?」

「さっきの?」


 一瞬、日向には何のことだからわからなかったが、


 ――言わせんなよ。カッコ悪いとこを見せたくねえっつーことだよ。


 すぐに思い出す。

 盗撮準備の現場を片付けるための時間稼ぎとして、ついさっき発した台詞だ。

 その場の思いつきだし、本心でもないため、既に忘却の彼方に行きかけていた。


 危ないところだった、と言うとそうでもなく。


「信じらんないっ! さてはテキトーにウソついたんでしょ!? キレイって言ったのもウソだったんだ?」


 幼なじみは明らかにご立腹だった。


「掘り返すなよ。そこはスルーしてくれよ」

「うそつき」

「あれだよ、なんていうか、お前といると安らぐんだ」

「意味わかんない」

「俺も混乱してんだよ。なんて言えばいいのか、やっぱり祐理は祐理で、俺の一番で、特別な奴なんだって思ったんだよ」

「と、とくべつっ!?」


 さっきから忙しない。昔から祐理をなだめるのには苦労した覚えがある。

 それがこれから再来するのかと思うだけで頭が痛い。


「ああ。妹みたいなもんだ」

「妹……」

「ん? そうだろ? 誕生日も俺の方が早いし、村でも俺がお前の面倒見てたって感じだったろ」

「妹はイヤなんだけどなぁ」


 怒りは収まったようだが、今度は呆れているらしい。相変わらずよくわからない。


「じゃあ恋人か?」

「ここここ恋人ッ!?」

「……そんなにひくなよ。冗談だ」


 日向は常識に疎いが、兄妹間の恋愛が異常アブノーマルであることくらいは知っている。その感覚は兄妹みたいな関係でも多かれ少なかれ通用するだろう。

 なら、たとえ冗談でも気持ち悪いというものだ。


「うぅ……ひなたのばか」

ねんなって。悪かったよ」


 てっきり怒って、手の一つでも出るのかと思えば、拗ねると来た。

 そこに日向はひっかかりを覚えたが、どのみち不機嫌を表明していることに変わりはない。細かいことは気にしなかった。


「とりあえず買い物は付き合ってやる。機嫌直せ」


 どのみち共同生活全般について話し合わなきゃいけない。

 今週末は潰すくらいのつもりで望んだ方がいいだろう。日向は観念するしかなかった。


「ホントに!? よっしゃっ!」

「やけに喜ぶな……まあ一人と二人じゃ効率が違うもんな。浮く時間も段違いだ」

「またそういうこと言う……」


 ぶーぶー言いながら祐理はボストンバッグを開き、財布を取り出した。

 お札入れからお札がちらりと見える。中々に厚い。あの施設長もなんだかんだ女の子には甘いらしい。


「しっかし、わからんな。なんで突然俺のとこに来たんだ?」


 その場に腰を下ろしながら聞いてみると、祐理がぴたりと動きを止めた。

 不満そうに日向を睨んだ後、四つん這いで近づいてくる。その顔が吐息のかかる距離にまで接近。次いで、ふわりといい匂い。


「わからない?」

「わかるわけねえよ。エスパーじゃあるまいし」


 村を出た動機はさておき、行き先をここにしたのは施設長の意思だろうと日向は考えていた。

 祐理に一人暮らしをこなす器量があるとは思えないし、他に頼れる人間もいない。その点、日向であれば一番仲が良いし、既に実績もあるしと最適だ。


「ひなたのばか」

「エスパーじゃないだけでバカというなら、たぶん世の中バカばかりだぞ」

「ばかひなた」

「ばかばか言うなよ。あ、わかった、ばか●け食べたいんだろ? 村にいた頃、よく食ってたもんな」

「むぅ……」


 祐理は明らかに何を言いたげだが、それは日向も同じだった。


(せっかくの一人暮らしに水を差しやがって)


 とはいえ諸悪の根源は祐理ではなく施設長だ。施設長が祐理を甘えさせず、普通に一人暮らしをさせていればこうはならなかった。


「この家にお菓子は無いからな。買いたきゃ自分で買えよ」


 日向は祐理から離れて立ち上がる。ポケットからスマホを出した。


「相変わらず変わってるね」

「普通だろ。お菓子は添加物の塊だぞ? 百害あって一利無しだ」

「美味しいのに?」

「味覚に興味はない」

「へんたいひなた」

「へいへい」


 通話をコールする。相手は施設長だ。


『おう、日向か』

「どうせ覆らないでしょうから抵抗はやめますけど、今から祐理の生活環境を整えるんで色々教えてください」


 不満をぶつけたいのを我慢して、まずはやるべきことを確認する。

 村にある私物の運搬要否、お金のこと、学校のこと、その他役所手続きについて――思い付く限りの不明点を訊いた。基本的に村側で対処してくれるのが幸いだった。


 長々と話している間、祐理はボストンバッグから私物――ほとんど衣類だが――を出して並べていた。

 その中には下着もある。意外と大人っぽいのを履くんだなと思いながら日向が見ていると、祐理が気付いたようで慌てて隠す。べっ、と舌も出してきた。


「それで、話は変わりますけど」


 しばらくはおとなしくしてくれるだろう。

 日向は部屋を出てドアにもたれ、一番気になっている質問をぶつけた。


「なんで俺のとこに送ってきたんですか? 施設長パパにしては激甘だと思いますけど。可愛い子は谷から突き落としましょうよ」

『まあそう言うな。お前のためだ』

「俺のため。それさっきも聞きましたけど、どういうことです?」

『お前はぼっちで人付き合いが苦手だからな。祐理と共同生活して色々と学べ』

「別に苦手じゃないですよ。必要無いからやってないだけで」


 強がりではなく事実だった。「相変わらずだな」と受話器越しにため息が伝わってきた。


『社会を舐めるな。プロを目指してんだろ?』

「そうですけど……」


 盗撮のことは施設長にも話していない。

 日向は『とあるスポーツのプロフェッショナルを目指している』という設定になっており、一人暮らしを勝ち取ったのもこのおかげだ。


「陣内からも言われてないか?」


 陣内とは施設長と旧知の仲にある人物で、一人暮らしを勝ち取れたのも彼の口添えによるところが大きい。どころか日向の生活全般をサポートする役目まで負ってくれている――ということになっている。

 実はその正体は、盗撮動画販売サイト『カミノメ』のオーナーこと『ジン』なのだが、施設長はそこまでは知らない。


「言われてますね。この前も彼女作れって」

『だろ。何なら祐理と付き合っちまえよ』

「勘弁してくださいよ。というか、妙に祐理を推しますね?」

『……まあな』


 その声調トーンが気になったが、


『祐理の人気っぷりは知ってるだろ。さっさとくっついてくれた方が何かと都合がいいんだ』

「都合のために嘘は付けませんよ。第一祐理もOKなんて出さないでしょ。兄妹みたいなもんだし」

『……変わってないな、日向』

「そうですか。変わり者ってよく言われますけど。さっきも言われました」

『そうじゃねえっつーの。……まあいい。とにかく二人とも仲良くやれよ』

「祐理次第ですかね」


 屁理屈を垂れていると背面のドアが強引に開かれ、祐理が顔を覗かせた。


「わたしがなんだってー?」

「なんでもない。施設長パパからお前の現状についてヒアリングしてたところだ」

『日向。さりげなく嘘吐くよなお前は。さっきも祐理と一悶着ひともんちゃく揉めてたろ? 突然通話切りやがったしよ』

「忙しいので失礼します」


 日向は通話を切った。

 施設長が割と放任主義であることは知っている。よほどの事情が無い限り、逃げれば有耶無耶うやむやにできることが多い。


施設長パパ、何て言ってた?」

「仲良くやれよってさ」

「いえーいっ」


 祐理がなぜか肩を組んできた。距離感の取り方にまるで成長が見られない。


「うぇっ……ガッチガチだね日向」

「人の肩を揉むな」

「えいっ」

「肩パンもやめろ」

「一発だけだから。ダメ?」

「ダメに決まってんだろ」

「日向が痛いって言ったらわたしの勝ち。何かおごってもらうね。痛いって言わなければわたしの負け。何かおごってあげるよ」

「理不尽なゲームが突然始まった件」


 懐かしいノリだった。


 久しく途絶えていた、祐理のいる日常。

 それが再び始まろうとしている。


「いっくよー?」


 日向は自覚する。


(快適な一人暮らしはしばらく見納めだ)


「……仕方ねえな。来い」


 直後、日向の悲鳴が響いたのだった。

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