第2章
1 図書委員
「おはよー日向……って何やってるの?」
「何って――見りゃわかんだろ」
日向は部屋の隅を占有する大型の金庫にぶら下がっていた。
上端に手を掛け、足裏を側面に付けて、まるで壁にしがみついているかのような格好。その体勢からふわっと身体を持ち上げる。
「クライムアップだよ」
クライムアップ。日向が自身を鍛えるために大いに取り入れている、とあるスポーツの一技名。
「それくらい知ってるもんっ。なんで朝からそんなことしてんのさって言ってんの」
「ルーチンなんだよ。起床直後の状態で、全身に程よく負荷がかかるクライムアップをすれば身体の
軽快に身体を上げ下げする日向と、それを白けた視線で眺める祐理。
「どこがどれくらい疲れてるとか、超回復がどれだけ進んでるかとか――」
「あーはいはい。そういうのいいから」
「聞いてきたのはお前だろうが……」
「それより朝ご飯食べたい」
祐理がお腹をさする。ウサギがプリントされたスウェットを着ているが、胸部の一匹が引き伸ばされて可哀相なことになっていた。
こんな
「自分でつくれるようになりませんか」
「なりません。祐理は日向さまのごはんをたのしみにしているのです」
ぱんぱんと神でも崇めるように合掌する祐理。
「……すぐ行くから準備して待ってろ」
「はーい」
どたどたと足音が遠のくのを聞きながら、日向は嘆息した。
日向と同じ施設で暮らしてきた同い年の幼なじみだが、先週土曜日、何の前触れもなく日向宅にやってきた。
そのせいで、普段ならトレーニングに盗撮準備にと休日を満喫するところを、買い出しや家財の配置、共同生活のルールや分担の決定などに忙殺される
加えて盗撮活動という絶対にバレてはならない事情もある。対策や対処は進めているが、まだ完全には終わっていない。
「まあ、こいつ含めて
自分がぶら下がっている金庫の上面をぺちぺちと叩く。
――うぇっ!? なんじゃこりゃっ!?
それが金庫を見た祐理の第一声だった。
日向はとうに見慣れているが、どう考えても一般家庭用のサイズじゃない。幅と奥行きなら業務用冷蔵庫にも負けてないだろう。不自然なのは明らかだ。
通常なら誤魔化すのは困難と思われたが、日向は言い訳を用意していた。
金庫は前の住人が残したもの。開錠パターンも不明で、撤去も困難で、持ち主とも連絡が取れない。結果、そのまま残されているが、部屋が狭い分、家賃は安くなっている。
そして、どうせならとトレーニングに活用し始めた――そんな偽りの事情を祐理に伝えている。
その証拠として、こうして早速トレーニングを行い、祐理に見せつけたのだった。
日向がトレーニングバカであることは祐理には周知の事実。何の疑いも持たずに信じてもらえた。相変わらずの変人扱いも変わらないが、日向は気にしない。
クライムアップをさらに数回こなした後、金庫から降りた。
「朝飯。何つくろうか……」
日向にとって食事とは栄養補給と身体強化のための手段でしかない。
先週末こそ祐理の好物をメインに腕を奮ってやったが、平日に行うのは正直面倒くさい。というより調理に時間を費やすこと自体が苦痛だった。
かといって普段通りだと祐理が文句を言うのは目に見えている。
「いつもどおりでいいか」
しかしそんなことを気にする日向ではない。普段通りの味気無さで提供してみることにした。結果として――
「はげひなた」
なぜか頭が寂しいことになった。
なおも不満を漏らす祐理を聞き流しながら、日向は朝食を消化した。
◆ ◆ ◆
「あとは生活委員と図書委員だ」
朝のホームルームでは委員会決めが急きょ開かれていた。
「残ってるのは新井と佐久間と――渡会だな」
部活に入っていない者は優先的に割り当てられることになっている。
日向は去年も帰宅部だったが、孤児という事情を盾に逃れることができていた。しかし今年からは普通の生徒と同じ扱いをしてほしいと親権者たる施設長が学校側に依頼している。どう
「日向ちゃーん、どうするよ?」
教卓の真正面、中央最前列に位置する
その軽薄そうだが端正な顔立ちは窓側最後尾からでもよく見えた。
「え、えっと……」
カーストの低い地味男子として戸惑いを演じつつも、日向の内心は決まっている。
生活委員は登校時の挨拶運動や放課後の校舎見回りを主に行い、各クラス二名選出。
図書委員は図書室でのカウンター当番や書架整理がメインで、各クラス一名。
「せんせー、アタシと琢磨は生活委員がいいでーす」
答えようとする前に、ちょうど日向の対角線上、最も遠い席に座る
琢磨と沙弥香はクラスでも目立つグループで、仲が良い。抜群の容姿と運動神経を持っていることもあり、実質男女のツートップと言えた。
そんな彼女の意見をあえて崩す理由はないし、時間的拘束で言えば図書委員の方が楽である。日向も異論は無かった。
これでホームルームが終わると思われたが、担任が空気を読まずに口を開く。
「そういえば今年の図書委員は大変らしいな。図書室のリニューアルがあるらしくて、力仕事が得意な真面目男子が欲しいと山下先生が言ってたぞ」
「ラッキーやん琢磨。やましーにカッケーとこ見せな。今年はやましー落とすんやろ?」
琢磨の二つ左隣、同じく最前列の
「だってさー沙弥香。図書委員やってもいいか?」
「なんでアタシに訊くのよ。好きにしなさいよ」
「さやちん、正直にならんとあかんで?」
「誠司うっさい」
一つ飛ばしで最前列に並ぶ三人がじゃれ合う。白けた空気感は無く、これがスクールカーストの力かと日向は他人事のように眺めていた。
「いやいやそうじゃなくてさー。俺が図書委員になったら沙弥香と日向ちゃんの二人だぜ?」
沙弥香がはっとして日向を睨む。
目が合った。
遠目に見てもやはり美人だな、と日向は思いつつ目を伏せ、派手な女子に緊張している様を演じた。
「日向ちゃんをいじめんなよ沙弥香」
「別にいじめてないんだけど。――アンタもアンタで、もうちょっとシャキッとしなさいよ」
後半は日向に向けた言葉だ。
「シャキッとはしてるでしょ。日向ちゃんの背筋見てみなよ、一日中アレだから」
よく見てるな、と日向は感心した。
地味男子を演じるなら姿勢も猫背くらいがちょうどいいのだろうが、普段からストイックに鍛えている日向としては身体に悪い行為や習慣は容認できない。そのため入学当初からお手本のような姿勢で過ごしてきた。
わかる人なら相応の筋力や習慣に支えられていると気付けるのだが、そんな物好きはそうはいない。
実際、真面目キャラという位置付けで片付けられている。
日向が黙って俯いていると、
「それよそれ! どうしてそこで黙るのよ? 言いたいことがあるなら言ってみなさいよ」
「なはは、さやちん容赦なっ」
「ねぇ、せんせ-もそう思わない? もう高校二年生よ? 小学生じゃないんだから」
想像以上に容赦がなさすぎて日向は吹き出しそうになっていた。
「言い過ぎだ新井。江口先生から聞いてるぞ、去年も物言いが過ぎるってな」
「せやな。女も男も泣かしたもんな。ジ●イアン顔負けやで」
「誠司うっさい。あと琢磨も笑うな」
「ははは、そうだな。程々にしてくれよ新井」
「せんせーまでひどくないっ!?」
担任の機転で矛先が変わったのを感じ取った日向は顔を上げる。
「――それじゃ新井と佐久間が生活委員で、渡会が図書委員。これでいいな?」
担任の語尾は疑問系だったが、手元ではペンが走っている。
間もなく決定が告げられ、ホームルームが終了した。
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