7 籠城戦

「わたし、今日からここで暮らすの」


 突如襲来した幼なじみ、一ノ瀬祐理いちのせゆりはそんなことを言い出した。

 手元の大きなボストンバッグが冗談ではないことを示している。


「どこに泊まるって? この辺にホテルはねえぞ」

「何言ってんの? 日向ん家に決まってんじゃん」

「何言ってんのは俺の台詞だ。聞いてねえぞ」

「秘密にしてたもん。びっくりした?」


 祐理が無邪気な笑顔を浮かべる。施設の男子をことごとく勘違いさせたその武器は相変わらずだが、今はデコピンをぶちかましたい気分だった。


「……施設長パパに繋いでくれ」


 何かの間違いであることを祈りたいが、無駄な足掻きだろう。


「あ、施設長パパ? 日向に代わるね――はいっ」

「――もしもし」

『よう日向。パパからの進級祝いだぜ。有り難く受け取りな』


 明らかに確信犯である。日向は頭を抱えた。


「聞いてませんよ」

『驚かせたかったんだと』

「……勘弁してほしいんですけど。第一施設長パパは知ってるでしょ、俺が何のために一人暮らししてて、高校になってここに越してきたのかを――ておい祐理。待て」


 祐理が日向を強引に押し退けて玄関に入る。

 止めようと腕を掴もうとしたが、するりと交わされた。


「へー、ここが新しい日向ん家かー。アパートなのに結構広いんだね。あ、バッグはよろしくね。トイレってどこー?」

「どこから突っ込めばいいんだ……」

『日向の困り顔が目に浮かぶぜ』

「笑い事じゃないですよ。つかよく許しましたね」


 日向と祐理が属する児童養護施設『村上学校』――通称『村』では、高校卒業まで原則一人暮らしをさせない。日向は例外中の例外で、こうして暮らせているのは綿密な作戦と、あとは運によるところが大きい。

 まして祐理は女の子である。まず許してもらえるはずがないのだ。


「まあな。お前のためだ」

「――俺のため?」


 意外な言葉が飛び出し、きょとんとする日向。

 祐理の背中が遠ざかるのを眺めながら、その意味を考えようとして。


「……しまっ!?」


 思わず声が漏れた。


(俺はさっきまで何をしていた!?)


「ん-、なにー?」


 振り向いてきた祐理に、たった今ひらめいた時間稼ぎを講じる。


「祐理。施設長パパが代わってくれだと」

施設長パパが? なんだろ?」


 日向は平静を装ってスマホを返す。『そんなこと言ってねえぞ』と受話器から聞こえたが無視をした。

 その頭は部屋の状況を思い出し、どうやって片付けるかの検討に入っていた。


(盗撮動画とカメラを出したままだ!)


 祐理に見られるわけにはいかない。危ないところだった、と胸中で一息つく。


「どしたの施設長パパ?」


 しかしピンチはまだ終わっていない。むしろここからが本番だろう。


「え? そんなこと言ってない? ねーねー日向、これって――」


 日向は全力でスタートダッシュを切った。

 刺激せずに歩いて部屋に入ることも考えたが、祐理が「日向の部屋見てみたい!」などと言って急に走り出すビジョンがありありと浮かんだため採用しなかった。


「あっ、逃げたっ!」


 祐理もすぐに反応して後を追う。

 相変わらず身体が先に動く奴だな、と軽口を叩く暇も無い。部屋に入ると同時にドアを掴み、騒音の配慮を度外視して、けたたましく閉める。

 ドアを背中で押さえつけ、その場で踏ん張った。


「日向っ! 怪しすぎるぞっ!」


 ぐっ、ぐっ、と押し込まれるのに全力で抵抗する。


「気にするな。トイレなんだろ? 早く行ってこいよ」

「やだっ! 絶対怪しいっ! 施設長パパもそう思うよね!?」


 スマホにも問いかけているようだが、ドア越しでは施設長の声までは聞こえない。


「……いや、聞く必要もないか」


 ドアを防衛しながら、日向は部屋を見渡す。


 モニターに映るのは女性の裸に、局部のアップに、スカートの内部アップスカート

 床には全く統一感のない物体たちと、素人が見ればカメラ趣味を疑うような重量級カメラ。


 どう見ても、どう捉えても、どう考えても言い逃れはできない。


「落ち着け俺。他は何も考えるな」


 まずは現場の隠滅に全力を尽くす。

 パソコンは全てのウィンドウを閉じた後にロック。カメラは全部金庫に入れてから扉を閉じる――

 そのために必要な作業は? 動きは? 一個のカメラを手に取り、金庫に置いてから、またここに戻ってくるまでの時間は?

 そもそもどうやって祐理の隙をうかがう?


「ひなたーっ! 開けろー!」


 どん、どん、とドアが叩かれ、急に止んだかと思えば、いきなり押し込みが入ってくる。

 下手なフェイントだが、祐理なりに工夫しているらしかった。


 どっしりともたれて構える日向はびくとも動かない。

 普段からストイックに鍛えている。それも単に『見せ筋』や『筋トレをするための筋肉』を鍛えているのではない。祐理一人に負けるはずもなかった。

 しかし、分で言えば日向が明らかに悪い。


「パソコンは最悪ロックだけでいい。1.5秒あればいける」


 祐理の攻撃に耐えながら、自分さえも聞こえるかどうかという声量で呟きながら作戦を整理する。


「カメラは――厄介だな。壊さないよう金庫にはゆっくり置かなきゃいけないが、それを高速に行えるイメージが湧かない」


「祐理の言動も傾注しないと。このドアをほんの少し開けておけば、トイレの開閉音は拾える。しかし、いつ行くはわからないし、行ったとしてもチャンスは一度のみ。その間にかたをつけられるか……?」


「この騒ぎに隣の住民が駆けつけてくるなんてことは……ないな」


 このアパートは片側に一階と二階が一戸ずつ、それが向かい側にもあって計四戸で一棟という構造になっている。

 日向の部屋は出入口から向かって左側の一階。隣接しているのは二階のみだが、その主はいわゆる社畜らしく、帰りは遅い。土曜日もいつも仕事だ。


「いいかげんにしてよー。開けようよー。ほら、楽になりなってー」

「祐理こそ楽になれよ。漏らすなよ」

「漏らさないもんっ! 日向のエッチ! 変態っ!」


 ふと幼なじみのトイレシーンを想像する。

 多くの盗撮動画を視聴してきた知識と、幼なじみと過ごしてきた経験。その二つを併せ持つ日向は、妄想ではなくリアルな想像として脳内に繰り広げることができた。


「……職業病というやつか」


 笑えない冗談に自分で苦笑している間も、背中越しに力が加わってくる。


(このまま行ってもジリ貧だな。根本的に作戦を変える必要があるだろう。たとえば祐理の戦意をくじくとか――)


 祐理の押し込みに急かされながらも思考は加速し。


「……」


 打開できそうな言葉を思い付く。

 日向の決断は早かった。


「なあ祐理。勘弁してくれないか」

「だーめっ! 絶対怪しいもん!」

「……はぁ。こうなったから言っちゃうけど、絶対ひくなよ」

「内容による」

「とりあえず施設長パパとの通話を切ってくれ」


 この演技はおそらく施設長には通じない。連絡手段は絶っておくべきだろう。


「切ったよ」

「嘘付くな。証拠として俺のスマホに通話をかけろ」

「へんたいひなた」


 祐理としてはただの悪口なのだろうが、的を得た表現である。日向は再び苦笑した。


 なおもブツブツと投げられる祐理の声に、やがてバイブ音が重なった。

 見ると、机上に置いてある日向のスマホが振動している。


「そのまま聞いてくれ祐理。いいか、絶対に誰にも言うなよ」

「たぶん」

「たぶんじゃない。絶対だ」

「……」

「返事は?」

「……もう、仕方ないなあ。二人の秘密にする」


 祐理は良くも悪くも正直だ。言葉として引き出せれば信用してもいい。


「えっと、なんていうかだな、その……エロい動画を視てたんだよ」


 嘘は言っていない。盗撮動画もAV――アダルトビデオの一ジャンルである。

 厳密に言えば、盗撮ジャンルとは『盗撮している風に撮影した作品』であり、本物の盗撮動画とは異なる。もっとも、この辺りは宗教論争であり、カミノメのコミュニケーションルームでもたまに論争が勃発する。


「ふうん。男子ってそんなもんじゃない?」


 予想以上に反応が薄いが、日向には想定の範囲内だった。


「俺は違う」

「視てるって言ったじゃん」

「今はさておき、村にいた頃は違ってたんだよ。そうだったろ?」


 日向が最も一緒に過ごしていたのが祐理だ。

 祐理は村でもモテていた。性格的にもそうだし、何より身体的にも。小学校高学年の時点で同級生や先輩から性的な目で見られていたし、祐理自身も自覚していた。

 そんな中、日向だけはそういう目で祐理を見なかった。これっぽっちも興味が無いと言えば嘘になるが、素直に従うことは祐理に負けたようでしゃくだったし、そもそも他に夢中なことがあって、言うなれば祐理など二の次だった。


「そだねー、日向だけは違ってた気がする」

「でも今の俺は違う。興味を持っちゃったんだ」

「……へー、そうなんだね」


 その直後「ラッキーかも」と小声で呟かれたのだが、日向は聞き取れなかった。


「俺の言いたいこと、わかるよな?」

「わたしにムラムラした」

「違えよ」

「じゃあ何さ」

「――恥ずかしいんだよ」


 向こう側から押し込まれる力が、いつの間にかゼロになっている。

 祐理のことだから話が終わるまでは不意打ちをしないはず。だが、迂闊に日向が動けば隙が出来たと考えて心変わりするかもしれない。

 日向は気も体も緩めないまま、祐理との会話を続けていた。


「……恥ずかしい? 日向が?」

「そりゃそうだろ。俺はそういうキャラじゃない」

「昔、みんなのスカートめくったりお風呂覗いたりしてたよね」

「あれはゲームだ」


 鬼ごっこが好きな日向は、そういったイタズラを鬼ごっこを開始するスイッチとして利用していた。

 ずいぶんと楽しかったことを覚えている。施設長にこっぴどく怒られたことも。


「さいてー」

「時効ということで勘弁してくれ」


 今は盗撮で金稼ぎをしているという意味で何百倍も最低なんだがな、と胸中で付け加えておく。


「開けてくれたら許してあげるよ」


 背中が微かに圧力を捉えたが、戦う意志が感じられない。

 やはり本気で突破する気は無いらしい。今のところはだが。


「だから恥ずかしいっつってんだろ」

「なんで恥ずかしいのさー。わたしと日向の仲じゃん」


 同じ施設で育った幼なじみ。施設長の言い方をするなら家族。

 日向は家族という言葉が好きではなかったが、祐理に対してだけは心からそう思っている。

 最も長く一緒に過ごしてきた女の子で。

 有り体に言うなら、妹のような存在。


「だからこそだよ」


 その共通認識を――ひっくり返す。


「相手が祐理だから、恥ずかしいんだ」

「何それ。意味わかんない」

「言わせんなよ」


 一呼吸置いて、日向は言う。


「カッコ悪いとこを見せたくねえっつーことだよ」


 今まで祐理に対しては気取ったことがない。裸でうろつくことだってできたし、屁だっていた。

 わかるはずだ。そんな幼なじみがカッコつけることの意味を。


「え。それって、どういう、こと……?」


 祐理の声音が少しだけ上擦うわずっている。


(よし、通じた)


 日向は胸中でガッツポーズをきめつつ、トドメを指す。


「とにかく、俺はいきなり祐理が来てびっくりしてんだよ。なんか綺麗になってるしよ……。だからせめて十分。十分でいいから、片付ける時間をくれ」


 さりげなく容姿を褒める一言も添える。


「……ん。わかった。外出てるね」


 今度は拳を握り込む。


「すまんな」

「ううん。へーき」


 背後で立ち上がる気配。

 微かに届いてくる足音。

 玄関のドアが開けられ、バタンと閉まり、またすぐに開く。ぼすっと何かが置かれた。ボストンバッグだろう。


 もう一度閉まる音が聞こえた後、日向は体力ロックを解除して外の様子を見る。

 懸念していたフェイント――閉めたフリをして実は中にいたという罠は無いらしい。


 部屋を出て玄関に向かう。ボストンバッグが置いてある。

 それをまたぎ、ドアの鍵を掛けた。

 これでもう侵入されることはない。


 日向はゆっくりと撤収作業を行い、どう考えても普通じゃない大型金庫が部屋にあることの言い訳を考えつつ、盗撮サイドの関係者――ジンや佐藤とうっかり鉢合わせしないよう『親戚が居候することになった』とメールを送ってから。

 きっちり十分で祐理を呼び戻した。

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