6 来訪
「なんでダメなのーっ!?」
「子供を一人暮らしさせるわけにはいかない」
とある田舎の廃校。その屋上には二人の男女がいた。
「
いかにも元気そうな制服姿の女子が問う。肩からバッグを提げているところを見ると、部屋にも戻らずここに来たらしい。
年配の男は嘆息して、フェンス越しにグラウンドを眺めた。
「あいつはしっかりしてるからな」
「わたしだってしてるもん」
「自炊もできないくせにか?」
「……い、今の時代っ、お金があれば外食で食べていけるのっ!」
「生活費はどうする。今の日向には一銭も送ってないぞ」
「ば、バイトをする……」
グラウンドの喧噪がここまで届いてくる。
その声は小学生に限らず、園児から高校生まで年齢層が広い。この賑やかさが男は好きだった。
「論外だ。貴重な青春をそんなことに使うべきではない」
「日向だって働いてるじゃん!」
「あいつには信念がある。夢がある」
施設一の変わり者であり、頑固者でもあった息子の顔を思い出す。たまには戻ってこいと再三メールを送っているにもかかわらず、かれこれ一年近くは会っていない。
男は振り返り、愛する娘の双眸に問いかけた。
「
「そ、それは……」
祐理の勢いが尻すぼみになる。それが有無の問題ではなく言いにくさの問題であることは、その赤面っぷりから見て取れた。
「無いのなら、この話は終わりだ」
急かすように歩き出した男に、祐理が叫ぶ。
「だったら!」
「……だったら?」
「日向のとこに住む! それならいいでしょ?」
思春期の男女が同じ屋根の下で生活する――
普通なら一蹴するところだが、
「そうだな。それなら認めてもいい」
「なんでよーっ!? 日向が一緒なら安――え、いいの?」
祐理はきょとんとした。ダメ元のおねだりがあっさり通るとは思っていなかったのだ。
「いいと言っている」
「マジで?」
「マジで」
祐理が破顔するのを男はまじまじと見つめた。
この子の笑顔は久しく見ていない。日向には悪いが応援してやろうという気になった。
「ついでに転入しちゃってもいいぜ。その方が通学も近いだろ。日向もいるしな」
「ひ、日向は関係ないもんっ!」
「今更何言ってんだ。そんなだから伝わらなかったんだろ?」
「うぅ……」
「愛いやつめ」
祐理の頭をぽんぽんと叩いてから、男は屋上を後にした。
階段を下ると、先生の一人が待ち構えていた。
「遠藤先生。聞いてたの?」
「偶然です。にしても施設長、いいんですか? 年頃の男女を同じ所に住まわせて」
「いいんだよ」
児童養護施設『村上学校』の施設長、
一職員である遠藤は烈を尊敬しており、彼が良いというなら疑うつもりなど毛頭無かったが、今回は好奇心を抑えられなかった。
「いいんですかね。祐理ちゃん美人ですし、腕っ節は強いですけど日向君なら軽々抑えるだろうし……何か起きてからでは遅いですよ?」
「むしろ起きてくれる事を祈りたいくらいだがな」
「え、それってどういう――」
「祐理の転入手続き、任せたぞ」
有無を言わせぬ依頼に、それ以上の追及は無駄だと遠藤は悟った。
◆ ◆ ◆
始業式、入学式と過ぎて土曜日。
休日であろうと日向の朝は早い。
朝の六時前には起床し、本日分の食事を作っていた。
フライパンの上には大量の肉と野菜。香ばしさが鼻と食欲を刺激する。肉野菜炒めだ。
「よし、できた」
それをタッパーに切り分け冷蔵庫に入れる。
調理直後に食せないことは気にしない。日向にとって食事とは健康が第一、強化が第二であり、味や鮮度はどうでも良かった。
タオルとスポーツドリンクを持って外に出た。
行き先は公園。
昨日とは違い、大型の複合遊具が目立つ公園だ。日中は多くの子供で賑わうが、今は誰一人いない。
軽く体を温めた日向は、軽快な動作で遊具を上る。
階段や滑り台は使わない。床を掴んで身体を引き上げ、柵の上端に跳び乗り、バランスを崩すことなく更に上を目指す。
瞬く間に最高点の屋根に着いた。
高さで言えば八メートル超。アパートやマンションの二階はおろか、三階分に近い高さである。
「慣れって怖いよなぁ」
日向はその場で立ち上がり、まるで立ち幅跳びのように構えると――宙に飛び出した。
位置エネルギーが運動エネルギーに変換され、身体が丸ごと地面に突き刺さる。常人ならまず耐えられない反作用が押し寄せてくるのを、転がることで分散する。
それは単なる偶然ではなく、身体の強さと技術の繊細さに支えられた受身であった。
「この高さでも何ともないんだからな」
受身の慣性に従ってスッと起き上がった日向は、再び遊具を上る。
一度目よりも明らかに早く屋根に到着した。
「いや何ともないことはないか。転がるのは地味にネックだよな。服も汚れるし、リュックとか背負ってたら転がれないし、第一狭い着地先には使えない……。でも普通の着地で吸収しきれるほど俺の身体は強くない。強くしようと思えばもっと速筋が必要になる。そうなると持久力とのバランスが……」
ブツブツ呟きながらも飛び降りて、着地を受身で吸収する。
また上っては、飛び降りる――
そんな反復をひたすら繰り返していた。
近所の子供らが活動的になる前に練習を切り上げ帰宅する。
シャワーで汗を流し、作ったばかりの肉野菜炒めをレンジで温めてから食した後――部屋の床にカメラを並べていた。
隅には口を開いた大型の金庫がある。ひょんなことで知り合った天才技術者、佐藤から贈られたもので、カメラ類を保管するために使えと念押しされているものだ。
日向は盗撮動画でお金を稼ぐ撮り師であり、盗撮動画販売サイト『カミノメ』の
自身が通う春日野高校内での盗撮を生業としており、日用品に模したカメラを設置したり、人目の付かない場所から遠隔で撮ったりと工夫を重ねている。
使用するカメラも多岐に渡り、高倍率ズームが可能な本格デジカメから、見た目は日用品にしか見えない小型のカモフラージュカメラまで様々なのだが――これらの大半が佐藤によって開発されたものだった。
佐藤製のカメラは市販や通販の物よりも圧倒的に優れている。
使い心地も、画質も、バッテリーや軽さといった性能も。その全てが。
当然ながら値段は桁が違うはずだし、そもそも佐藤自身が日向に悪用してもらうことを前提で開発した非売品も多い。
だからこそ管理は厳重にしなければならず、たとえば金庫のせいでベッドを置けなくても我慢するしかない。幸いにも日向は布団派であるが。
「さて、どうすっかな……」
床に並べたカメラを見下ろしながら日向は
いつ、どこで、誰を、どのように撮影するか。
カミノメ利用者はどんな動画を望んでいるのか。どんな動画なら高値を出してくれるのか。
バレないように動画を撮るためにはどうすればいいか。
リスクを取らないで無難な動画を撮るか。それとも果敢に挑むことで刺激的な動画を撮るか。
そうするとして下調べはどうするか。準備は? スケジュールは?
「――ダメだ。発散しちまう」
しばし考え込んだところで諦めた日向は、カメラを踏まないように部屋の奥に移動。
椅子を引いて腰掛け、パソコンを操作する。
机の下には見るからに高性能そうなHDDが置いてあり、机の上には高解像度のモニターが三枚並んでいる。
日向はデジタルが得意ではないし、むしろ嫌いなくらいだが、撮り師なら避けては通れない。以前佐藤に整えてもらい、効率的な使い方も教えてもらった。
「他作品でも見てみるか」
ブラウザを立ち上げ、カミノメのウェブサイトを開く。
プロバイダー用アカウントでログインし、トップページから人気作品一覧を辿った。
気になる動画を片っ端からホイールクリックで開いていく。タブが溜まったところで、ツールバーに並ぶボタンの一つをクリック。
すると画面が忙しなく変化する。タブが新しいウィンドウに分離され、適当な位置とサイズに調整された後、ずらりとタイル状に並んだ。
「この拡張機能も佐藤さんが作ったんだよな。便利すぎる」
日向は動画というコンテンツが好きではない。書籍やテキストデータと違って素早く流し読みしづらいからだ。
しかし、こうしてウィンドウを並べて複数動画を同時再生すれば、ある程度は時間を節約できる。各ウィンドウの制御についても佐藤に教えてもらい、素早くこなせるよう反復練習も重ねたため、今ではキーボードだけで手足のように操作できる。
仮に学校で披露しようものなら、オタクだのマニアだのハッカーだのとレッテルを荒稼ぎできるだろう。
「やっぱ銭湯モノは強いな」
複数のウィンドウには、脱衣所で服を脱ぐ女の子や洗い場で体を洗う若妻が映し出されていた。
「なんたって裸だからなぁ」
日向の作品では基本的には裸は登場しない。というより、できない。
「変態どもめ……結局は裸なのかよ」
自分の事を棚に上げて呟く日向。
落胆するのも無理もないことだった。
裸の盗撮は難易度が高い。
まして銭湯にもなれば不可能に等しい。
事実、銭湯モノを撮影するのは女性の撮り師だ。客の一人として紛れ込むしかないのである。
「海水浴場に限定すれば俺でも……いや、そうじゃない。『JKP』は、そういうコンセプトじゃない」
校内の女子高生をコンセプトに掲げ、一部の利用者から熱狂的な支持を集めている。カミノメの寄付機能から万単位もの大金を受け取ったこともあった。
「安易にコンセプトを外れたら、熱狂的なファンを失ってしまう。俺の収入源の半分以上はそこで支えられてるからな……」
カタカタと打鍵音を響かせ、まるでネットサーフィンするかのように日向は動画を流し読みしていた。
そんな時だった。
インターホンのチャイム音が日向に刺さる。
「――何も頼んでないはずだが」
まだ届いていない通販があっただろうか、と日向は考えて、すぐに諦めた。
日向は「盗撮の道具調達用に」と佐藤からクレジットカードを与えられており、通販でもそこから差っ引くようにしてある。口座のお金は全て自費だが、去年カミノメで一千万円以上を稼いでいるため、日向はいつも懐を気にすることなくポチる。日向は几帳面だが、余計な事に頭は使わない。
部屋を出て玄関に行き、ドアを開ける。
「はい。どちらさまで」
「やっほー、久しぶりー」
見慣れない制服を来た女子高生が立っていた。
その顔には明るい笑顔を浮かび、その胸には大きな膨らみが浮かんでいる。
久しく会っていないが、見間違えるはずもない。
「――祐理」
日向と同じ施設で暮らした、同い年で幼なじみな女の子であり。
住所も教えてなければ施設長にも口止めしているはずで、決してここに来るはずのない人物でもある。
両手に提げたブツから嫌な予感をひしひしと感じながらも、日向は答え合わせをした。
「やけに大きなボストンバッグをお持ちのようで……」
「うんっ、今日からここで暮らすのっ!」
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