5 成果物
入学式が午前で終了すると、昼休憩をはさんで部活見学が始まる。
といっても勧誘合戦のような盛り上がりはなく、いつも通りの部活動を新一年生が好き勝手に覗きに行くとという緩さである。このイベントのために食堂も開いているが、どのみち帰宅部勢は用が無い。
カチャンとスプーンが鳴る。
「ごちそうさま」
その皿はカレーを食したとは思えないほど綺麗に平らげられていた。
「……まだ時間あるな」
日向は食器をてきぱきと洗いつつ、直近の予定を考える。
春高の五階女子トイレに仕掛けた『報知くん』――火災報知器型カメラの撮影動画は夜間に回収するとして、それまで時間がある。普段ならトレーニングに勤しむところだが、侵入には万全の
コンロに載せた大鍋のふたを開ける。残りはほぼ無いと思っていたが、カレーはあと一食、いや二食近く残っており、作り置きしておこうという意思は早々に打ち砕かれる。
「基礎トレでいいか」
スポーツウェアに着替えて家を出た。
園内には大きな広場があり、小学校低学年と思われる男の子たちが野球で盛り上がっている。園外そばの道路では、女の子らが一輪車やホッピングを楽しんでいた。
春日野町は公園が豊富だ。
そもそもニュータウンとは典型的な三人以上の家族向けに、閑静な環境と快適な一戸建てを提供するタイプの住宅街であり、一家あたりの平均子供数は二人に迫る。
公園は重要な設備であり、街が力を入れて整備する最たる対象だった。
しかし、そんな手間暇かけてつくられた公園で遊ぶのは、せいぜい小学生まで。
中学生にもなると勉強や部活で忙しくなり、また遊びを覚えて麓のターミナル駅に進出するようになる。
だからこそ妙に目立っていた。
「202、203、204……」
公園の隅に位置する滑り台。そこを登った先の床を掴んでぶら下がり、上体を持ち上げては下ろしている男がいた。
日向である。
「205、206……207……」
反動には一切頼らず、ゆっくりと往復させている。
地味な懸垂ではあるものの、存在感があった。実際、通りがかる住民はつい日向を見てしまう。
「なーなー、ひなたー、おにごっこしようぜー」
半袖半パンの男の子が懸垂マシーンと化した日向に声を掛ける。
「210……211、212……」
「なー、ひなたってばー」
しつこく呼び掛けるが、日向は応えない。代わりに他の子供達がわらわらと集まってくる。
その一人、スカートを履いた女の子が階段を登り、真上から日向を覗いた。
「こわいかおしてる」
「237……238……」
「ねぇねぇ、ひなちゃんのかおがおもしろいよ。こんなの」
女の子が頭上から変顔を披露してみせると、日向の周辺が笑いの渦に包まれた。
「おれもみる!」
「わたしも」
「おれがさきだよ!」
かんかんと階段が鳴り、どんどんと滑り台が鳴る。
上った先の足場には五人以上の子供が集まった。その視線の全てが、ぶら下がっている日向に注がれる。
「うわっ、すっげえブサイク!」
「250……」
「げいにんになれるぜ、ひなたー」
「あはははっ」
「251」
「がんばりやさんだね」
「252……」
それでも日向の反復運動は揺らがない。
その動きだけを切り取って見れば、とても周囲を子供に囲まれているようには見えないほどの安定感を誇っていた。
「わたしのゆびよりふとい」
「きんにくさわってみようぜ」
「258……25うぐっ、あ、ばか、やめ――」
それも
日向が落ちる。
ほぼ無音に近い着地した後、頭上を見上げた。
「何やってんだてめえら……」
「ひなたがおこるぞ! おにごっこだ! にげろっ!」
一斉に逃げようとする子供達。
しかし狭い滑り台や階段をすんなり降りれるはずもなく、渋滞が起きている。「はやくいけよー」「おすのやめて」そんな様子を、日向は腕をもみほぐしながら眺める。
渋滞が緩んできたところでニタッとほくそ笑み、人が悪そうな声音で呟いてみせた。
「あと十秒だ」
子供達がはしゃぎながら園内のあちこちへと散らばる。
「公園の外はナシだからなー」
学校では決して出さない声量でルールを周知させた後、日向は狩りを開始した。
ちなみに結果は圧勝。
二分とかからず瞬殺してみせ、大きなひんしゅくを買った。
◆ ◆ ◆
夕食のカレーを平らげ、新たな作り置きも完了させたところで日向は家を出た。
外はすっかり暗くなっている。腕時計には午後八時が表示されていた。
日向の行き先は春高。
その目的は、仕掛けたカメラが捉えた動画の回収である。
校門に至る坂道を登る。
登下校中は多くの生徒で賑わうが、今は人っ子一人いない。街灯で薄暗く照らされてはいるものの、廃墟のような静けさがあった。
道の左右は
日向は擁壁に向かって走り出す。
蹴り上げて、高さを出した。
続く一歩でも更に蹴る。
計二歩の蹴りで、擁壁のてっぺんに手が届いた。両手でしっかりと掴み、引き上げて――あっという間に上った。
日向は茂みの薄いポイントを知っていた。春日野町の、特に春高周辺の地形について日向の右に出る者はいないだろう。
春高校内に入る唯一のルートは南から北進して南門を通ることだが、今の日向は違う。西側から回り込んで校内に入るルートだった。
敷地まであと数十メートルといったところでスマホを取り出す。
一つのアプリを起動すると、校内の見取り図が表示された。
所々に点滅線が引かれている。よく見ると敷地や建物の境界をなぞっているものが多い。
日向は西端の線をタップして選択した後、OFFと書かれたボタンをタップした。
点滅線の色が変わった。
「さて」
スマホをしまい、歩みを進める。
間もなく二メートルを超えるフェンスが姿を表した。
それを一蹴りして高さを出し、ひょいと飛び越える。
無音で着地。西側からの不法侵入に成功する。
この時、本来なら警備システムのセンサーに引っかかり、
目前に見える大きなシルエット――特別棟を辿るように歩く。
お目当ては排水パイプ。
何食わぬ顔で掴み、するすると登っていく。五階まで登ったところで、そばの窓に飛び移る。指先を乗せる幅しかないが、日向は問題なくしがみついた。
窓を開く。施錠はされていない。日向が事前に開けていたのだ。
メインのセキュリティは警備システムと一階部分の施錠であり、高階の施錠が意外とずさんであることを日向は知っていた。もっとも開いてないなら正面玄関や通用口から堂々と入ればいいのだが。
特別棟五階の男子トイレに侵入。
窓を閉める。風の音と虫の鳴き声がシャットアウトされ、無に等しい静寂が訪れた。
街灯と月明かりも薄くなり、足下すらおぼつかないほどに暗い。常人なら平衡感覚を失いそうだが、日向は何ら支障無く歩き出した。
足音はほとんど生じない。衣擦れの音も発生しない。仮に巡回の警備がいたとしても日向の存在には気付けないだろう。
渡り廊下から隣の一般棟に移り、女子トイレに入った。
ペンライトを
「大変なのはここからなんだよな……」
周囲に誰もいないことはわかっているが、不要な独り言を発する日向ではない。それでもあえて呟いたところに億劫さが見て取れた。
一番手前の個室に入り、天井に向けてジャンプ。
間もなく自由落下が始まるが、その手は報知くんを掴んでいた。本体を支えるシールも、さすがに日向の重みには耐えられない。あっさりと剥がれる。
日向は報知くんから記録カードを抜き取った。
「こんばんは」
「遅かったのう日向」
午後九時過ぎ。日向は佐藤の自宅を訪れていた。
「三台とも回収してきましたよ」
ケースに収めた六枚の記録カードを手渡しする。
形状はSDカードと瓜二つだが性能は段違いらしい。佐藤曰く一枚一万円は取れるとか。
「撮影時間はどのくらいじゃ?」
「朝の十時半から夕方の六時です」
「開始が遅くないかの?」
「新一年生が校舎に来るのは入学式の後ですからね。それで十分なはずです」
浮き足立つ様子を隠し切れていない佐藤が早速ケースを開き、自席から離れたところにある
「報知くんはどうしたんじゃ?」
「記録先はカードのままです。バッテリーも差し替えておきました」
「無線転送は使わんのか?」
無線転送モード――報知くんの撮影データを取り出す機能である。
これを使えばわざわざ記録カードを取りに行かずに済むのだが、報知くんのバッテリーが転送処理に食われてしまうというデメリットがある。
一日の撮影時間が短時間であれば運用できるが、日向はまだそこまで絞り込めていない。
「当面は日中撮影しっぱなしにするつもりです。後輩女子らのトイレ利用傾向も調べたいですしね」
「ご苦労じゃな」
「ホントですよ。毎日回収と交換しなきゃいけない身にもなってください。無線転送で一日中もたせられないんですか?」
「無茶言うなよ素人」
佐藤が席に戻ってきた。その手にはティッシュとヘッドホン。
「それが出来たらノーベル賞ものじゃぞ?」
「佐藤さんなら可能でしょ」
「……買い被りすぎじゃ」
佐藤がキーボードの一枚を引き寄せ、軽快に叩く。
早速お楽しみタイムと参るらしい。
「ワシはオナニーに入る。他に用事は無いよな?」
「機材室くらいですけど……中身、確認しないんです?」
ディスプレイには女子トイレ個室を真上から収めた映像が開かれていた。
動画数は三本。撮影時間は一本につき六時間超。そのうち大半は
「何言っとんじゃ。先がわからないから面白いんじゃろうが。どのタイミングで抜くかに悩んでる時が至福よ」
「ああ……佐藤さんはそうでしたね」
「盗撮動画は
オカズとしての動画をどう食すかは人それぞれだが、佐藤は律儀に最初から最後まで味わうタイプだった。
「そんなもんですかね……」
対して日向は――そもそも自慰行為をほとんど行わないが――抜けるシーンを手早く探すタイプであり、佐藤の楽しみ方はピンと来ない。
「用が無いなら帰れ帰れっ。それともワシの行為を見たいクチか?」
「自分の作品がどう食されているかを見てみたい、という意味では見たいですね」
「ほざけ。ワシは見られとうないわ」
佐藤は背中を向けると、ヘッドホンを装着し、ズボンを脱ぎ始めた。
日向は聞き忘れていたことを思い出したが、取り合ってもらえるとは思えない。
おとなしく部屋を出た。
「
日向は今回の動画も盗撮動画販売サイト『カミノメ』に提供する予定だ。
その際、六時間の生データを丸々渡すわけにはいかない。バリッド部分を中心にカットして、程よい再生時間に圧縮する必要があるのだが、この作業が地味に手間で、日向も嫌っていた。
「まあ佐藤さんなら覚えてるだろ」
半ば物置と化している隣部屋にお邪魔する。
簡素なテーブルと棚が並び、大きさも形状も多種多様な物体が所狭しと置いてあった。
明らかに高価そうなカメラからリュックサック、ティッシュ箱やリップクリームといった日用品まで、一見するとまとまりのないラインナップに見えるが、その全てがカメラである。
「ホントよく出来てるよな。佐藤さんすげえわ……」
日向はしばしカメラを吟味したのだった。
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