3 ハンターの意図

「君は参加しないの?」


 放課後、即行で帰ろうとしたところ、一人の女子に呼び止められる。

 日向は首を傾げてみた。


「これから親睦を深めるクラス会をやるんだけど、聞いてた?」


 うっすらと認識はしていた。今日は午前で終了するため、皆で昼食を食べてはどうかという話を主にリア充グループがしていたはずだ。

 教室を見回した限りでは、誰も帰ろうとしていない。全員参加という名の空気をひしひしと感じる。


「いや、その……妹の世話があるから」

「ふうん。いくつ?」

「七歳」

「そう。残念だね」


 日向は息を吐くように嘘をつき、その場を後にした。


「渡会くん、不参加だってー」

「えー、日向ちゃん出ないのー?」

「あははは」


 陽気な琢磨の声が響く。

 呼び止められることはないだろうが、念のため早歩きで廊下を突っ切った。

 玄関でさっと靴に履き替え、南門を通過する。


 春日野かすがの高校――通称『春高はるこう』には校門が一つしかない。

 ここら一帯は山を切り拓いてつくられたエリアであり、敷地の北側、西側、東側と三方向が緑豊かな自然で囲まれている。

 南側には校門があり、その先は綺麗に整備された下り坂の大通りが続く。

 一本道だが、距離にして一キロ超。勾配もそこそこきつく、春高名物の苦行である。

 坂道を下るとターミナル駅があり、大半の生徒はここで電車に乗り換える。周辺には商店街やゲーセンもあり、寄り道する生徒も多い。


 日向は運動部顔向けのダッシュで坂道を駆け下りていた。


「あの担任、ホームルームが早いのが幸いだな」


 登下校時は春高生で賑わう歩道だが、今はまばらである。

 日向の感触では少なくとも二年の間では自分のA組が最も早かったし、三年を含めても一番かもしれなかった。


「目立つのはゴメンだが、これくらいなら大丈夫だろ」


 自分に言い聞かせながら、抑圧していた運動欲を爆発させる。

 早歩きで下っている先輩女子を追い抜かす。その耳にはイヤホンが刺さっていたが、びっくりされたのが日向にはわかった。


「風圧か。めんごめんご」


 そんなこと言うキャラじゃないだろ、と胸中でツッコミを入れて一人苦笑しながら、日向は駆け続ける。


 しかしその足は麓に着く前に西側に逸れた。

 ここ春日野町は南東がターミナル駅、北東が春高、そして西側は一戸建てが並ぶ住宅街エリア――いわゆるニュータウンとなっている。

 名物の坂道からも何本か至れるポイントがあるのだが、春高生は立入を固く禁じられていた。罰も厳しく、帰り道に公園で遊んだ女生徒らが一週間の停学を食らうほどだ。


 唯一の例外が春日野町アドレス住所を持つ場合で、日向は数少ない例外の一人だった。


 綺麗に整備された生活道路を走り、親子連れで賑わう公園を横切り、自宅に通じる道も素通りして、街の北西端を目指す。


 箱形の無機質な建物が見えてきた。

 ニュータウンには似つかわしくない、研究所のような堅苦しさがある。しかし、最深部にあるからか街の風景としては違和感が無い。何度も通う日向ならなおさらだ。


 重厚な扉の前に立ち、指がちょうど収まるくらいのくぼみに人差し指を置く。

 ピッと電子音。照合成功を示す合図だ。

 言わずと知れた指紋認証だが、現代においても日常生活で実物を目にする機会はそうはない。最初は日向も驚いたものだが、今では何の感慨も無い。

 我が家のように足を踏み入れた。






 殺風景な部屋だった。

 タワーマンションのリビングくらいの広さだが窓は無い。出入口正面、突き当たりの壁際かべぎわには長机が伸びており、右側にはサーバー装置が、左側にはディスプレイが並んでいる。


「高価な『報知くん』を三つも使うたあ、どういう神経しとんじゃ?」


 その一枚を眺めている、くだびれた男がこちらを向いた。


「ちなみにいくらくらいです?」


 日向は何ら物怖じせずに歩み寄り、そばにあった椅子に腰を下ろす。


「原価で言えば十万かからんが、仮に商売するとしたら一台数百万はもらうわい。いや千万でもいいの」

「またまた大げさな」

「大げさじゃないわい。『報知くん』の神髄はソフトウェアにあるんじゃ。IoTの名に恥じない制御インターフェースとバッテリー省力化機構を持たせとるからの」

「へー」

「いいから答えろ。なぜ三台も同時に使った?」


 この男は作業しながら背中で語るのが普通だが、今は日向と目が合っている。

 憤っているのは明らかだった。


「初々しい新一年生の、貴重なトイレショットを撮るためですよ」


 男は目をぱちくりとさせたが、取り乱したのが恥ずかしかったのか咳払いで誤魔化した。


「……一台じゃいかんのか?」

「個室は三つあります。うち一つの天井にだけ何か付いてたら怪しまれますよ。三つ付いていれば怪しまれません」

「個室の真上に報知器があるって時点で怪しいとワシは思うがの」

「事実を知っているからそう思えるだけです。何も知らなければ怪しむことさえしませんよ。心理学じゃありませんが、何度も実験してます」


 天井に注目する者自体がごく少数であること。

 仮に天井を見たとしても、報知器っぽいものが付いていれば不審は抱かないということ――


 そんな中高生の心理を日向は知っていた。


 男はそんな日向の裏の顔と、その実力を知っていた。発言内容に疑いは持たない。


「消防点検までは五週間近くあります。それだけあればフレッシュなトイレシーンがわんさか撮れますよ」


 へへへと日向が薄ら笑いを浮かべると、男も「ふっ」と同調した。

 椅子にもたれて足を組む。一目で使い古されたとわかる椅子がぎしっと鳴った。


「入学式は明日じゃったか。楽しみじゃのう」


 男の名前は佐藤。

 明らかに偽名だが、表向きは世界的に知られた天才ソフトウェアエンジニアであり、開発したソフトウェアのライセンス料だけで年間億を超える収入を得ている。

 しかし裏の顔はハードウェアにも精通し、小型で静音なドローンを開発して露天風呂を盗撮したり、窓や壁の振動を読み取って高精度に音を拾う盗聴装置を開発したり、とやりたい放題やっていた。


「佐藤さんのおかげですよ」


 今朝、日向が女子トイレに仕掛けた物も佐藤の開発製品だった。


 火災報知器型カメラ――通称『報知くん』。


 火災報知器の見た目を模した高性能なカメラであり、外部からのコマンドで動作を制御できるようになっている。

 撮影可能時間は二十四時間だが、優秀なバッテリーと高度な節約機能があるため、たとえば一日一時間だけ発動して、あとはスタンバイにする、といった運用で一月以上もたせることも可能である。


「お前の行動力あってこそじゃ」

「楽しみにしててください。とりあえず明日の夜、入学式後の成果を回収するんで。カミノメに出す前に、先にお届けしますよ」

「ああ、頼んだぞ。このために溜めとるんじゃからな」


 佐藤が自らの下腹部を撫でる。


「佐藤さん、いい年して元気っすよね」

「お前はもっとオナニーせい。高校生と言えば一番溜まる時期じゃろうが。射精したらさぞ気持ちよかろうな」

「結構です。オナニーは免疫機能を低下させるので。筋トレの方が遙かに有意義ですね」

「つまらん人生じゃのう」

「俺は俺で楽しんでますよ」


 屈託無く笑う日向を見て、佐藤も顔を緩める。


「お前と出会って良かったわい」

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