2 始業式

 午前八時過ぎの教室内。

 机のフックはほぼ全席が埋まっているが、椅子は二割も埋まっていない。

 その二割に含まれている一人、渡会日向わたらいひなたは窓側最後尾の席にて、新しい国語の教科書に読み耽るふりをしながら、クラスメイト達の会話に聞き耳を立てていた。


「もう春休み終わりやん。だりいわ」

「だよなー。宿題やった? 俺はやってない」

「ワイもや」


 特に耳に入ってくるのが前方、最前列のあたりでたむろっている派手なグループのものだ。


「アンタら、少しは真面目にやりなさいよ」

「俺、去年はお前より成績良かった気がするけど?」

「うっ、うるさいっ!」

「なははは」

沙弥香さやかは要領が悪いからなぁ」

「そこ笑わない! 琢磨たくまも黙れ」

「まあまあ。彼よりは断然マシだろ?」


 グループの一人――琢磨と呼ばれた男が、最後尾の冴えない男を指差す。


「……アイツ誰や?」

「去年も同じクラスだったんだよ。なー、日向ちゃん」


 日向は迷った末、顔を上げることにした。


「え? 日向ちゃん? あの顔で? オモロイな」

「そーそー、可愛い名前だよなー。沙弥香より好きだわ」

「琢磨うっさい。……それでアイツが何なのよ?」


 沙弥香と呼ばれる女子と目が合う。

 整った顔立ち。外された第一ボタン。平均よりも大きな胸の膨らみ。短いスカートから覗く太もも。客観的に見て抜群に容姿端麗だが、日向は少しも動揺しなかった。

 それでも慌てて視線を外し、教科書のページを数枚ほどめくってみせる。


初心うぶなリアクションが可愛いよな。経験豊富な沙弥香とは大違――おっと、お前の手が出るのはお見通しだぜ」

「くそたくまぁ……」


 琢磨はへらへらと笑みを浮かべながら、沙弥香の腕を止めていた。


「お前ら仲良いよな。付き合わへんの?」

「付き合ったことあるけど、こいつ束縛激しいんだもん。俺から振ったんだよ。なっ?」

「脚色するな。フッたのはアタシでしょ」


 沙弥香は空いた方の腕も振り下ろすが、琢磨は簡単に受け止める。

 そんないちゃつきっぷりを日向は眺めていた。


 琢磨が再び日向を向く。日向は教科書に目を落としたままだった。誰も日向がさっきまで凝視していたとは思わない。

 しかし日向は確かに凝視していた。直前に反応して視線を落としたのだ。


 見られていない時に観察し、見られている時は観察しない――


 卓越した勘と反射神経による日向の離れ業だ。日向はこれを隠密人間観察ステルスウォッチングと名付けている。

 ちなみに誰にも喋ったことはない。というより話し相手がいないし、そもそも話す気もなかった。


「ともかく沙弥香は全然マシだよ。日向ちゃんなんて、ガリ勉なのに平均に届いてないんだぜ?」

「へえ、それはお気の毒ね……って、話変えるな琢磨っ」

「そろそろ始業式だ。行こうぜ」


 琢磨は沙弥香のあっさりと手を離し、逃げるように教室を後にした。


「待ちなさいよ!」


 沙弥香が後に続き、残った男子がその後を追おうとして、足を止める。


「なあ、日向ちゃんだっけか」


 声を掛けられるとは思わず、日向は演技無しに顔を上げる。

 成瀬誠司なるせせいじ。日向は彼を知っていた。相手が自分を知らずとも、日向は知っている。

 一年前にこの春高はるこう――春日野かすがの高校を狩り場と決めて以来、情報収集は余念なく行ってきた。


「そういう生き方で楽しいんか? もっとはっちゃけた方が楽しいで?」


 誠司はニカッと微笑み、小走りで教室を出て行った。

 他の生徒も既に退室済だ。教室は日向一人だけとなった。


 黒板に目を向ける。大きな字で『八時十五分から体育館で始業式! 五分前に着席すること!』と書いてある。

 次いで視線を上げると、壁時計が八時十分を刻んだところだった。


「楽しいかって? ――楽しいさ」


 無愛想なその表情がニヤつく。


「俺はこの学校で一番はっちゃけてる自信があるぜ」


 口角をつり上げ、わざとらしく呟くのだった。






 体育館内には新一年生を除く全校生徒全職員が集まっていた。


 始業式。

 校長先生の長話を始め、生徒にとっては退屈極まりない時間。


 こういう時は私語やスマホで時間を潰すものだが、先生に気付かれるとその場で注意されるという公開処刑が待っている。

 春日野高校の、このような所業は生徒間で『公開処刑』と呼ばれ、式中における私語の大きな抑止力となっていた。

 しかし表情までは抑止されておらず、露骨につまらなそうな顔をする者も少なくない。始業式後は校舎中で愚痴が飛び交うことだろう。


 そんな中、日向は姿勢良く座り、前を向いて話に傾聴し、起立着席もきびきびと行っていた。お手本のような立ち振る舞いだ。

 しかし日向の脳内は、全く別のことを考えていた。


(何とかして式中の女子を盗撮したいなぁ……)


 日向が掲げる目標の一つでもあった。


 始業式を始め体育館内で行われる式典では、生徒は地べたに座り込む。

 それは女子の場合、スカートから覗く足が無防備に晒されることを意味する。その割にはまとまった拘束時間があり、動きも少ないため、長時間の捕捉もしやすい。


 座り方のバリエーションも一つではない。

 正座、体育座り、女の子座り――特に女の子座りはぺたん座りとも呼ばれ、盗撮動画販売サイト『カミノメ』でも最近人気を伸ばしているフェチだ。


 そもそも地べたに座るというシチュエーション自体、学校生活でもなければ珍しいし、学校生活でさえも珍しいため希少価値がある。

 インパクトには欠けるものの、好きな人にはたまらないはずなのだ。


 しかしながらその撮影は困難を極める。

 事実、この一年間で一千万円以上の成果を収める日向でさえも手を出せていない。

 だからこそ「今年こそは」と燃える日向であったが――


 始業式が終わり、生徒達がぞろぞろと解散する中。


「はぁ……」


 一人、背もたれに深く身を沈めて嘆息するのだった。




      ◆  ◆  ◆




新井沙弥香あらいさやかです。よろしくお願いしまーす」


 始業式の後、二年A組の教室にて自己紹介が始まる。

 新しいクラスメイトに期待し、自らの発表内容とその反応に不安を抱くという青春らしいイベントだが、日向は違った。


 盗撮対象を物色する判断材料を得るために。

 盗撮の実行犯である自分への注目度を感じるために。

 始業式とは打って変わって情報収集――傾聴に勤しんでいた。


 自己紹介がつつがなく進行していく。


「佐久間琢磨でーす。サクタクって呼んでください」


 クラスで最も注目を集めるであろう琢磨が爽やかな笑みを浮かべる。それだけでも女子の何人かが見惚みとれているのがわかった。


「趣味と特技はスポーツです。雑食なんで何でもこなします。気軽に誘ってくれたら嬉しいかな」


 身長は百八十センチに近い。スタイルはスレンダーだが、バランスの良い筋肉の付き具合とバネの強さをうかがわせる。

 そもそも去年の体育祭やクラスマッチ、果てはマラソン大会でも大活躍しており、同級生はおろか三年生にも知られる存在である。


「何でもできるんだねー」

「勉強も学年トップクラスなんでしょ?」

「かっこいいよねぇ……」


 女子らがヒソヒソと話している。

 男子らのやっかみもない。どころか他の男子にいじられて笑いが起きている。


 眉目秀麗、成績優秀、運動神経抜群。絵に描いたようなイケメンリア充だな、と日向が他人事に思っていると、琢磨と目が合う。


「今年は交友関係を広げたいと思ってまーす。みんなよろしくねー」


(放っておいてくれると嬉しいんだが……)


 友達0人。

 挨拶を交わす回数0回。

 女子と会話する回数0回――


 日向が掲げた『ゼロ三原則』である。これを維持することで目立たず、かつ人付き合いという制約も抱えずに学校を過ごせる、言い換えるなら盗撮に専念できる。そう日向は考え、実際に維持してきた。

 もし琢磨がここを崩しに来るのなら、荒立てないように回避しなければならない。

 自分にそんな魅力などあるはずもないが、一応用心しようと日向は思うのだった。


 自己紹介は更に進行し、最後の一列、最後の席までやってきた。

 日向が席を立つ。


「渡会日向です。よろしくお願いします……」


 寡黙で口下手なキャラクターを演じる。

 意識しているのは臆病で人見知りな女子。アニメのヒロインも参考にしている。過去にはうっかり女の子の口調で発言してしまったこともあったが、本性がバレないなら安いものだと割り切っている。


「ひなた、だってさ」

「名前可愛いな」


 ぽつぽつと漏れる感想や控えめな嘲笑は聞き流す。


 日向が席に着くと、担任が取り仕切って自己紹介が終了した。


 続いて今後の予定や注意事項などが伝達されたが、日向は聞いてはいなかった。

 その頭は盗撮の計画や戦略でいっぱいだった。

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