模造惑星

 あっ・・・。また轢いてしまった。近頃、私の死に対する感覚が狂ってしまったように思える。最近の科学は本当にすごい。かつては研究者として世界的な発明をしたこともある私だが、年をとってからは、どのように地球が動いているのかさえ、わからなくなってしまった。一日は二十四時間、四季の存在などといった、地球の自然における大原則が変わり始めたのだから。

「ジェイミー、そこにあるタブレット端末を取ってくれ。」

「カシコマリマシタ。」

 老紳士がジェイミーと呼ぶ人工知能は、主人の命令を忠実に実行した。私は、ジェイミーが淹れたブラックコーヒーを飲みながら、タブレット端末を洪水のように流れるニュースを目にしていく。何も心配はいらない。私がいくら忘れっぽい人だとしても、今かけているグラス型のウェアラブルコンピュータが全てを記憶してくれるのだから。

「クルマの充電は済んでるか?」

「エエ。」

「擬似ガソリンモードの準備は?」

「モチロン、ゴシュジンサマ。」

 この年代になると、電気自動車も単に二酸化炭素を出さないということだけでは、もはや売れない時代になった。自動車は誰にでも簡単に製造できる時代になったのだから、デザイン性や機能性、そして走る歓び、その全てがセールスポイントになり得る時代がやってきたのだ。ちなみに、私のクルマはこれ。凝ったデザインの割には、安く作ることが出来た気がするな。休日には、欠かさず空力のアップデートを行うようにしている。そして、そのアップデートの効果を確かめるため、制限速度のなくなった街をゲーム感覚で疾走するのだ。

「今日は、二十年代の東京へ行ってみようか。」

「ヨジゲンマップノジュンビヲハジメマス。」

 全ての人にとって、クルマは道具なんかではなく、立派な遊具になった。好きな時代を旅してみたり、レーサーの視点になって、歴史的な瞬間の世界で最も間近な目撃者になることもできる。できないことなんて、ない。この時代の人々は、誰でもそう信じている。

「うわぁ、危ない!」

 クルマは木造家屋に突っ込んでしまった。だが、心配はいらない。全ては一瞬で再生されるのだから。いくら人を斬りつけたとしても、火災現場で炎に飛び込んだとしても、もう死ぬことはないのだ。それは、全ての物体も同じことである。この技術が開発されてから、世界中の文化遺産が破壊されるのは、もうショッキングな光景ではなくなってしまった。

「えーっと、次はどうしようかな。スパ・フランコルシャンとか、あったりする?」

「モチロン。」

「じゃあ、このクルマをレース仕様に変形させてくれ。」

「カシコマリマシタ。」

 かつて、フォーミュラ選手権の最高峰カテゴリーで活躍したマシンに、老紳士のクルマは変形した。森の中を、フォーミュラカーが駆け抜けていく。コーナーをどんな速度で駆け抜けても構わない。例え三百キロ出ていたとしても、新技術によって自由自在にクルマは制御されるのだから。十周ほど、同じことを繰り返していると、老紳士の脳内にある感情が湧いてきた。私が子供のころ、クルマはもっと面白かった。たしかに、一部の人にとっては道具だったかもしれないが、どんなに小さなクルマだったとしても、夢を見させてくれるような気がした。今はどうだろう。そんなことは、微塵も感じない。意のままではなく、誰でも簡単に曲がらせてくれる、上手くなったような気にさせてくれる電子制御システム。突然虚しさを感じ、車をスローダウンさせた。

「ランチア・デルタに乗ってみたかったな・・・。」

 道の端に転がっている、廃車となり錆びついた赤いクルマを見て、老紳士は幼い頃の夢を思い出した。全ての夢はここから始まった。結局、夢は途中で二度と進むことはなく、時代の波に飲まれてしまったけれど、私の人生そのものに悔いは全くない。だから、この時代で面白いことを沢山させてほしい。余生を有意義に過ごすために。家に帰り、ソファに腰掛けながら、メトロポリスを見つめる。ここは、緑と光が共存する都市。全てが人工物で出来た場所。もはや、この都市に自然からできたものは無いと言っても過言ではない。そう、地球は科学の進歩によって形成された、イミテーション・プラネットなのだから。

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