漂流喫茶店

「俺ももう長くない。それはこの星も同じだ。人も、いつか死ぬ。」

「お客さん。そんなこと言わないでくださいよ。」

「まあ、仕方ない。これも宇宙の摂理だ。」


 マスターが半世紀経営してきた喫茶店は、今日で営業を終了する。閉店時間まで残り三十分。最後のお客さんは、閉店後に“ある約束”をマスターとしている元ヒーローだ。


「俺も、たくさんの悪を根絶してきた。様々な組織だったり、マッドサイエンティストだったり、時には巨大生物だったり。でも、世間は誰も気付いてくれなかった。数ヶ月前、ある組織を壊滅させた時、決めたんだ。“正義のヒーロー”を引退するって。」


 マスターは不思議そうに問いかける。


「お客さん、ヒーローに引退なんてあるんです?」

「それが、あるんですよ。自分がその使命を終えたと感じたとき、普通の一市民に戻るんです。」

「貴方が選んだことですから、おそらく後悔はないでしょうね。」

「後悔?それは沢山あるよ。好きな人を目の前で死なせてしまったり、いろいろ。」

「そんなことが・・・。」

「数え切れないほどの後悔を背負いながらも戦いを続ける、それもヒーローの仕事さ。」


 最後の一杯をコーヒーカップに注ぐ。マスターも、お客さんも、最後の一杯だ。客はゆっくりとそれを口に運んでいく。開店時から変わらぬ味わい。そして、薫り。「これが最後だ」と思うと、飲み干したくなくなってしまう。それでも、マスターが見守る中、客は丁寧に最後の一滴まで飲み干した。


「ごちそうさまでした。」

「貴方には本当にお世話になりました。この星で生活していくうえのいろはなど、教えていただいたりして。」

「気にしないでください、マスターとは長い付き合いですから。」


 客は黒と白が混じり合うマスターの髪を見て、言った。


「お互い、歳を取りましたよね。」

「ええ。貴方も、私も。でも、もうその心配もしなくて済みます。」

「こうして、俺達も宇宙の星になっていく。」

「あと二十年か三十年もしたら。」


 二人は笑いあった。腕時計を確認したマスターは、そっと、玄関のボードを返して、「CLOSED」に変えておいた。これから先、この場所は次の主が決まるまで、ずっと閉じたままである。


「マスター、本当にありがとうございました。」

「こちらこそ。貴方に淹れるコーヒーは、いつも力が入りましたよ。」

「ええ、そんな。でも、これからですよね。また別の星での生活に慣れていかなければ。」

「また慣れていくのに時間がかかってしまいそうな気がします。」


 客は、そっと自身のジャケットを見て、言った。


「どうせ、我々は宇宙の漂流者ですから。すぐに慣れますよ。」

「まあ、そうでしょうけど、でも、少し寂しいという気持ちもあります。」

「磯貝さんも、そんなこと思うんですね。」

「ああ、そういえば、私もそんな名前でしたね、広瀬さん。」

「地球名も、もう使わないんだなぁ・・・。」


 長い年月を地球で生活してきた二人にとって、もはや本当の名前以上に、地球名が身に馴染んでいた。また別の星に移住すると、別の名前を考えなくてはならない。


「磯貝さん、そろそろ準備をしましょうか。」

「そうですね。」

「十五分後、隣の部屋に来てください。出発の準備、その時には出来てますから。」

「わかりました。」


 広瀬は隣の部屋に移動した。そして、磯貝はポケットから携帯を取り出し、もっとも懇意にしていた友人に電話をする。


「磯貝さん?」

「この星を頼みましたよ。もう貴方しかいないのだから、精一杯最後まで頑張ってください。これが、私からの最終指令です。」

「はい。任せてくださいよ。広瀬さんにも、よろしく伝えておいてくださいね。」

「わかりました。それでは。」


 磯貝は、再びスマートフォンをポケットの中に仕舞った。そして、少しだけ店内を掃除してから、広瀬のいる部屋に向かった。


「広瀬さん、準備は終わりましたか?」

「はい。」

「これまで、私も大変でしたよ。老いを隠すのは。」


 磯貝と広瀬の顔が光に包まれて、皺がなくなり、若い時の姿に戻った。


「私もです。また、これの繰り返しかと思うと・・・。」

「仕方ありませんよ。いつまでも若いままの人間なんて、いませんから。」


 二人は笑い合った。


「磯貝さん、忘れ物はありませんよね?」

「大丈夫。ちゃんと整理しましたから。」


 宇宙船と喫茶店が静かに分離する。怪しまれないよう、地球人からは宇宙船は見えないようになっている。


「それでは、地球を出ますよ。」

「この景色も、これで最後か・・・。」

「さよなら、地球。ありがとう。」


 二人の乗っている宇宙船は一気に高度を上げ、地球を旅立った。



「いらっしゃいませ。お客さん、今日も来てくださったんですね。いつもので、大丈夫ですか?」

「大丈夫。」

「今日もジェンキンスさんはお仕事ですか?」

「そう。俺も、いつもと同じ。」



 大宇宙の遥か彼方、我々地球人が知らないような惑星で、一つの喫茶店が今日も営業しています。数十年の周期で様々な惑星を漂流していることから、その喫茶店を人々は「漂流喫茶店」と呼ぶようになりました。今日も、この喫茶店は何処かの星で営業を続けていることでしょう。もしかすると、あなたが住んでいる地球でも、マスターの喫茶店が営業しているかもしれませんよ。

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