ショートショート集「My World」

坂岡ユウ

断捨離

 高校を卒業した風野翼は、まるでバケツをひっくり返すかのように、身辺整理を始めた。モノを捨てる。心の中を整理する。口に出すだけなら簡単だが、いざ本気で実行しようと思うと、とても時間がかかって、思わず「面倒くさい」と口にしたくなってしまう。翼はそんな気持ちに何度も負けそうになった。それでも、今日もひとつずつ思い出の品を整理していく。


「そういえば、こんなのもらったな・・・。」


 翼が手にしたのは、元カノから貰った赤いマフラー。付き合っていたときはいつも身に付けていたけれど、別れてからは一度も使っていない。貰った時のまま、黒い箱の中で眠っていた。結構高めのブランドモノの筈なのに、使おうとすると元カノの顔が浮かんで来て、どうしても二の足を踏んでしまう。


「でも、これ使うかな・・・。まあ、いいや。捨てちゃおう。」


 モノを捨てるということは、思い出を捨てることと同じ意味を持つ。モノには、沢山の思い出が詰まっている。だから、簡単に捨てようと決心することはできないのだ。目標としていた大学に学校推薦で合格した翼は、もう一つ、大きな決断をする。


「これとこれだけ残して、あとは次のゴミの日にでも出そうかな。」


 そう、壁一面の本棚に入っている本を、十冊を除き、全て処分することを決めたのである。翼の高校時代は、勉強と生徒会活動が中心ではあったが、それと同じくらい読書にも力を注いでいた。お小遣いの中からやりくりしながら、本を買い、読み進めていく。時には古本屋で片っ端から本を買い、読んだりもした。そこで蓄積された知識が、翼を合格に少しは近づけたのかもしれない。


「ここで躊躇っても、もう読む機会はないもんな。」


 古本屋に売るということは一つも考えなかった。紐でくくり、「ありがとうございました」と言って、処分する。これは翼の一つの拘りである。自分で買ったり、人から貰ったものはお金にしたりしない。簡単なことかもしれないけど、意外と難しいことである。


「前の筆箱も、教科書も、置いてても仕方ない。」


 以前使っていた筆箱や教科書も全て処分することにした。小さなペンケースと、お気に入りの文房具。それさえあれば、大丈夫。物に溢れていた部屋が、どんどん綺麗になっていく。プリントの山も、熱心に読んでいたファッション誌も、もういらない。寂しいという気持ちはあっても、それを敢えて出さずに、淡々と捨てるという作業をこなしていく。それが「モノを捨てる」という行為を実行する時の鉄則である。


「翼!どう、ちゃんと捨ててる?」


 一階から母親の声が聞こえてきた。翼は少しイラっとした。僕だって、捨てるときはちゃんと捨てるんだよ。本音を押し殺し、こう返した。


「ちゃんとやってるって。」


 翼はモノを捨てるという行為に、あまり躊躇しない方だ。しかし、一つだけ捨てるかどうか迷っているものがある。それは幼い頃に大好きだったヒーローの変身アイテムだ。今でもちゃんと変形するし、電池を入れ替えてあげれば発光もする。


「変身!サンクチェンジャー!!・・・なんてね。懐かしいなぁ。」


 翼がこの変身アイテムに思い入れがある理由は二つある。それは、青春戦隊サンクマンが、人生で最初に観たテレビドラマだったから。そして、ずっと御守り代わりに持ち歩いていたからである。サンクチェンジャーがあったから、高校に合格できた。その頃にはヒーローものなんて見てなかったけど、この御守りはなんとなく、今でも翼自身を守ってくれてるような気がしていた。


「これも、もう傷だらけだし、捨てちゃおうかな。でも、流石に躊躇するな。毎日一緒だったもんね、こいつと。やっぱり・・・いや、ダメだ。決められない。」


 サンクチェンジャーが放送終了してから、もう13年も経つ。こいつはただの変身アイテムじゃない。


「翼!まだ部屋片付いてないの!?」


 痺れを切らし、部屋に入って来た母親が翼を怒鳴る。その表情は、半分呆れていた。頭の中の糸がぷつりと切れた翼が、こう返す。


「お母さんは、軽々しく何でもかんでも「捨てちゃいなさい」って言うけど、僕からすると、モノを捨てるなんて、そんなに簡単にできることじゃないんだ。」


 母親が翼の持っていたサンクチェンジャーを奪い取る。それを鷲掴みにして、ゴミ袋の中に放り込んでしまった。翼はその光景を見て、呆気に取られていた。そして、翼の感情はついに爆発した。


「いい加減にしろよ!どうしてお母さんはいつもこうなんだ!!」

「翼、口を慎みなさい。お母さん、あなたが捨てきれなかったもの、全部処分するから。」

「出来るものなら、やってみたら。」

「ええ、もちろん。あなたのために、やってあげますよ。」


 母親は部屋を出て行った。一人残された、翼の眼には涙が溢れていた。大切なものを雑に扱われたことへの怒りと悲しみが交錯する。結局、翼は本当に必要なもの以外、全部捨てることにした。きっと、今頃、御守り代わりのサンクチェンジャーは炎の中に消えているだろう。翼は人生で初めて、人を憎んだ。新たな感情が生まれた。これまで、母親の言われた通りに何もかもやってきた。全てを我慢して。中学時代、本当は軽音部に入りたかったけど、母親の一声で違う部活動に所属することになった。そこから歯車は狂い始めた。いや、翼自身が母親の欲望という名の歯車だったのだ。今日まで、翼はそれに気付いていなかったのだ。



「お母さん、これまでありがとう。自分の道、ちゃんと生きるね。」

「気をつけて。お母さんも、残りの人生、最後まで楽しむわ。」


 翼は大学を卒業し、一流企業に入り、一人暮らしを始めた。数年前の断捨離で空っぽになった部屋は、これまで自分の部屋を持っていなかった母親が使うらしい。断捨離でモノはなくなったし、高校までの思い出も整理できた。だけど、そこに残ったのは空虚な心だけ。それを命じた当の本人は全く気付いていない。やった方はすぐに忘れてしまうが、やられた方は一生覚えている。人はとても弱い生き物だ。もしかすると、自分自身さえも容易に断捨離してしまうのかもしれない。

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