わたし自身のモヤモヤの原因もなんとなく分かりました。
選挙という仕組みに限界を感じるのは候補者がどういう人格であるかを見抜くことが選挙活動だけではできないからです。
どんなに立派な政策を公約にしてもその候補者がたとえば子供の頃からいじめっ子ならば平気で反故にして人をいじめるような過酷な政治をするでしょう。
このエッセイのお陰でようやく整理がつきました。
ありがとうございます。
作者からの返信
naka–motooさん
コメントありがとうございます!
そうですね。選挙活動中は選挙で勝つ為に徹頭徹尾良い人のフリをするでしょうから、本質を見る事はできません。
今回選挙活動の裏側(本人達は善意の支援の為、全く裏だとは思っていませんが)を見れて、逆説的に否定の為に投票するのもありなのかなと思えたので、ある意味で良い経験になったのかもしれません。
naka–motooさんのモヤモヤが少しでも晴れて良かったです。
編集済
恐らく「投票してあげて下さい」に対してそれを断った場合の恐怖感があるために抵抗を感じるのでは無いでしょうか。実際にわたしの例で言いますと、「今度の選挙で◯◯が出るんだけど」と言われたことがあるのですが、「あんたんとこの◯◯って◯◯党じゃん!絶対入れないだろ、あはは」「まぁそうだよね」で終わった話なので、そこに恐怖感はまるで無いわけです。それで関係が切れるともお互い思っていないので、根本的な規範とは別のところに有るのでは無いかと少し思いました。ちなみに相手が誰であれ私は同じ反応をすると思います。
知り合いに投票を勧めることを推奨している訳ではございません。
作者からの返信
須藤二村さん
コメントありがとうございます!
恐怖感がありますね。こんな恐怖感を善人面で突き付けてくるのだから、たまったものではないです。
友達との関係性と言うのは仰る通り重要です。ただ30人規模のグループラインなので、集団心理を利用した悪意ある扇動と私は取りました。
「みんなの中で誰か一人が反対意見を言うわけがない」
と、高を括っているようでもありましたし。