イコールではないですけれどもわたしも近い感覚を持つことがあります。わたしの小説の目標はいじめや虐待の根絶ですけれども、いじめられている子たちを救いたいという欲求は間違いなく過去の自分を含めてわたし自身を救いたいという欲求です。そしていじめや虐待をする卑怯なひとたちを消し尽くしたいという表裏一体の欲求も同時に存在します。わたしもそうだからこそ書けていると気付かせて頂きました。
作者からの返信
naka-motooさん
コメントありがとうございます!
聞く人によれば、naka-motooさんが掲げるいじめの根絶と言う言葉も「大言壮語」や「理想論」などというものに括られてしまうかもしれませんが、本心からくる意思であれば、それは「真実」に他ならないのかなと思います。
何より、誰になんと言われようが貫いてほしい信念だと、私は他人の事ながら願っています。
エッセイの中では「こんなことを本当は言いたくないだろう」と決めつけていますが、アスリートの中には純粋に人々に希望や勇気を与えたくて仕方なくてスポーツをしている人もいるかも知れません。
色々と矛盾を孕むエッセイですが、何か感じて頂けたようで、幸いです。
「得る者はますます得るが、無い者はそれさえ取られる」新約聖書 マタイの福音書 25:29
なんと!キリストは紀元前から経済の法則を述べておられたのです。
金メダリストは既に遺伝子によって決まる領域にまできてしまっているので、なかなか夢の無い話ではあります。努力によって夢は叶う!としないと色々と齟齬が生じてしまうのではないかと思うのですけど、世界がお金で動いていることは否めません。
昨今、物書きの気概が……のような文脈を通りすがる時、いつもアルファなんとかのサイトの規制が頭をよぎるようになりました。開催主から言葉を狩られても平然としていられる作家が多いのは、やはり大人の社会には巻かれておくのが正解という認識が大勢を占めるのか、それともいくら言葉を取り上げられても残った単語で何とかするぜ!ってことなのか。文化とは簡単に消滅してしまう脆弱な物だと知らない人が増えたせいなのかも知れません。詮なきことではありますが。
作者からの返信
須藤二村さん
コメントありがとうございます!
つまり世界はどれだけ時代を紡ごうとも、根幹の部分はなにも変わっていないということですね。
お金で動いていることをみなさんがひた隠しにするので、私はピロッとめくってみたくなるのですよね。天邪鬼です。
アルファなんとかさんでもしもこのエッセイを書いていたら、NGを食らったりするのでしょうかねえ。結構きわどいところを攻めているので。
お話を聞いていて、「狩られた分だけ言葉を創ってやるぜ!」って若者が若者言葉を創って、それもまた先人たちがバカにしたり扱き下ろして文化を否定していたりするのかも知れないなあとか思いました。