掩蓋と不能

 誰がいったいいつの日から彼らの可能性に蓋をしてしまったのだろう。

 同じフィールドに居ないのであれば、それこそ逆転不可能な試合が始まってしまう。


 障碍者が健常者に勝てるはずがないと言う思い込みから、パラリンピックが開催された。

 女性が男性に勝てるわけがないと言う思い込みから、スポーツは常に男女別で行われる。

 確かに圧倒的に健常者の方が或いは男性の方が有利なスポーツもあるかも知れないが、だが全てそうだと言い切れるだろうか。

 私はそもそもそうやって別々に競技を行う事それ自体に疑問を抱いている。


 どういった人間であれ、そのスポーツに人生の全てを捧げてきた人間なら、最初からこの選手には勝てないと言われることがどれほど屈辱的であるかわかると思う。

 今は男女が、障碍者と健常者が別々で競技を行う事が当たり前になってしまっているから、悔しいとすら思わないかも知れないが、どうだろう。元々は全員一緒にやっていると仮定して、その中で「お前はあの選手には勝てない、絶対に。だから棄権しろ」などと言われたならば。


 私はそもそも運動が苦手なので、どういった競技にしろ、それに特化した存在というものには敬意と畏怖が生じる。それほどまでに高尚なものとして取り扱うわけだ。

 そしてその尊敬は男性女性健常者障碍者などというカテゴリを超えて、個人に対して向けられている。だから、女性だからという理由だけで男性選手と戦えないなどというのは、個人そのものを侮辱しているようにしか思えないのだ。勿論スポーツという観点から見れば、それは当然の事なのかも知れないが、私はそこに至る前の人間としての尊厳を守るべきなのではないかと思うのだ。


 唐突だが、とある実験の話をする。

 ある蚤が実験体だ。

 この蚤は1mの高さを跳ねる事が出来る固体である。

 地面から約90cmの場所に透明なプラ板を置く。

 すると当然蚤はプラ板にぶち当たる。何度も。

 しかし何度目かで学習をする。ここで90cm以上跳ねると痛い目を見ると。

 そこで蚤は跳ね上がる高さを90cm以下まで落とす。

 暫くしてプラ板を外す。

 すると蚤は90cmまでしか跳ねなくなっている。

 以前のように1m跳ねても構わないのにも拘らず。


 世界は、そう言う事を障碍者や女性にしでかしているのではないか?

 だとすればそれこそが無くすべき差別に他ならない。

 そうやって、健常者の男性には勝てないと言ったような常識を刷り込み、逆らえない世の中にしようとしているのならば、その常識は壊さなければいけない。


 確かに掩蓋えんがいはミサイルや銃弾から身を守ってくれる盾にはなるが、それの下でずっと蹲っていてはいつか餓死してしまう。

 時には塹壕から抜け出し走り出す勇気が必要な時もある。

 勿論これは世界が仕組んだ罠なのだから、我々には責められるべき点は何もない。

 だから、あっけらかんとこういってやればいい。

「アンタたちが弱いと蔑んできた者達からの会心の一撃を喰らえ」

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