暴力と募金
トモダチをカツアゲして得た金を募金箱に入れた者が、
そんな人はいない。と、言えるかどうか。
私は言えない。
実際にそうではないにせよ、それに近しい者を見たことはある。
例えばの話だ。
友達に金を貸したとしよう。その友達が本当に困っていると思ったからだ。
貧困に喘いでいる状態であれば、そんなに簡単に返済されるとは思っていない。だから勿論すぐさま返せとは言わない。
ところがある日その友達は、買い物の際に出たお釣りをそのまま募金箱に入れた。
こんな裏切りが有るだろうか。
返済を待っているという事は、本来自分が使えるお金を他人が使っている状態とも言える。
例えそれが1円だったしても、それは本来私に返されるべきお金である。なぜならその1円は既に彼には不要のものだから。不要であるから募金箱に入れたのだ。
そうでないとすればなんだ?
彼は私への返済よりも、誰とも知れない人間を救う為にお金を支払ったのであろうか。
ふざけるな。
ならばその1円をまずもって私に返せ。その上で「もしよかったらその1円を募金箱に入れてあげてくれないか?」と始まり、更にはその1円を募金箱に入れる有用性について長々とプレゼンテーションをすべきである。
そこで私が納得して初めて1円を募金してもいいとなるのだ。
そのプロセスをすっ飛ばしていきなり寄付など、暴挙も甚だしい。
これと同じ道理で、生活保護のお金も自身の為以外に使う事などあってはいけない。それを人の為に使う事が許されるのであれば、ヤクザが住まいを用意して浮浪者を受け入れ、生活保護を受給させ、得たお金をヤクザが一部着服するのも許されなければいけない。
私はそもそも生活保護に対してあまり良い印象を持っていない。仕方の無い事であろうと善意の上に胡坐をかいて貰えるのを当たり前みたいに思うのも、実に野性味に満ちた人間らしくて悪くはないが、仲良くはなりたくない。
我々の血税を、どうしてそう簡略化しようとするのか。
とは言え、国が支払うと明言してしまっている以上、貰う側に罪はないのだが。
閑話休題。
さて、この例と先述したカツアゲと、何が違うと言うのであろう。
私には違いがさっぱり分からない。
だから私は思うのだ。想像してしまう。きっといるはずだと思ってしまう。
人から奪ったお金を善意に変えて周りから称賛を受ける極悪非道な善人を。
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