女性と男性
世界は女性の身体能力の低さには寛容であるが、男性の精神力の低さには不寛容である。
女性と男性は体の作りも脳の作りも違う。
同じ人間でありながら全く違う。
それゆえ当然その違いから、得意不得意は男女の間で違いを見せる。
勿論、個体一つ一つを見て行けば全てがそうであるとは言えないが、この際、個体は置き去りに全体の話をしたい。
種、全体で、一般的に言われている女性の弱点は筋力の無さが言える。また男性は女性と比較すると精神が幼いと言える。
ここでは、あくまで身体能力と精神力だけを取り扱う。
私が先に提示した寛容、不寛容は、社会全体からどう見られているかというところに視点を置いている。
では、女性の身体能力に対して寛容な面を紹介する。
例えば重いものが持ち上げられない場合。これを非難する男性はいまい。女性は筋力が無いという固定観念がある為、それは自然な状態であると認識する。
また、格闘技やスポーツにおいても、男女混合の試合はない。卓球やテニスの様なダブルスで男女がタッグを組むような場合は異例であるので、棚上げとする。
男女混合が無いのは、男性が女性に負けるはずがないという傲慢と、女性を傷付けてはいけないという倫理の両方が同時に働く為である。これにより女性の為に女性だけの大会が開かれていると言える。
この時点で「女性差別主義」「男尊女卑」の思想の持ち主かと疑われるが、そういうわけではない。
私は寧ろ、望んでいる。全ての競技が男女混合で開かれることを。のみならず、身体障碍者の方もパラリンピックではなくオリンピックに出場してほしいと思っている。
全ての人間が同じ条件の元、競い合う。
これが本来の平等だと私は考えるからだ。
保身の為に付け加えると、私は、妻が専業主婦であるにもかかわらず、フルタイムで仕事をしながら皿洗いは自分の仕事とし、たまに料理も振る舞う。決して女性を不当に低く扱い、何もかもを押し付けるような男ではない。寧ろ敬っていると言って差し支えないだろう。
閑話休題。
では、男性の精神力に対して不寛容な面も同じく紹介する。
例えば男性が下ネタを言った時。女性は引く。女性としてはセクハラを受けている感覚かもしれないが、男性はただ精神が未熟で小学生のままだと説明しても、引く。
既婚男性が浮気をした時。これもまた引く。のみならずバッシングの対象となり、広く顔が知られている人になればなる程、強く叩かれる。
いやちょっと待て。男は不純な事を行っているのだから、当然の仕打ちではないのか。と思われる方もいるだろう。
しかしながら、不純とは何か。
不純、不正、不当の類は誰が決めているのか。
世界や社会である。
その、後から作り出された不純で、そもそも備わっている男性の精神力の低さを攻撃しているのだ。
これはあまりにも卑怯だ。
先にも論じたとおり、男性はただ精神が未熟であるという固定観念は置き去りにてはいけない。いけないのに、起こってしまった事象に関して攻撃を行うのだ。
では、平等に、女性の身体能力は低いという固定観念を置き去りにして、先程の例を考えてみよう。
女性が重いものを持ち上げられない。これに対して男は怒るだろう。俺の仕事を増やすな。自分で持てるよう努力をしろ。甘えるな。など。
そして格闘技やスポーツの世界でも同じように、ただ弱い奴。として評価されるだろう。
勘違いしないでほしいのは、これは女性に対しての憤りを露わにしているのではない。世界に対してその理不尽さを改めて欲しいと思っているのだ。
女性も男性も等しく「固定観念に基づく評価」をするか、「固定観念に基づかない評価」をするか。
どちらかにしてほしい。
今は一方的に感じるのだ。
だから、世界は女性の拙劣な部分には寛容で、男性の拙劣な部分には不寛容であると思えて仕方がないのだ。
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