窓の無い地下室から、蒼天に浮かぶ太陽を穿つ
詩一
差別と区別
私は差別が好きかと問われれば、好きでも嫌いでもないと答える。
更に差別は必要かと問われれば、必要であると答える。
道徳的な一般論ならば、恐らく差別は嫌いだし必要ない。でも区別は必要である。と答えるのであろう。
私が一般論の通りだと言えないのには理由がある。
それは、差別と区別の定義が曖昧であるからだ。
勿論しっかりとした定義を持っている方もいる。
「区別とは種類ごとに分け隔てる事で、差別とは不当に低く見積もって扱う事だ」
と、このように。
しかしながらこの定義を以ってしても、やはり私の中にある曖昧さは払拭できない。
例えば、給料を考えて欲しい。
人によって貰える金額が違うのは、今の日本において当然のことである。
そしてそれを差別だと言う人はいないだろう。
入社したての平社員と30年間会社に尽くしてきたベテランが等しい給料を貰っていては、何の為に今まで一生懸命会社を裏切らずに働いてきたのかわからない。
この昇給制度は、差別ととらえるか区別ととらえるか。
区別ととらえる人が多いだろう。
更に同じ年数働いている社員でも仕事内容によって給料が変動することがある。これは能力給と言うものだ。
一人の社員は一つの事しかできず、仕事も遅い。
一人の社員は複数の仕事を能率的に動かし、ミスもない。
一人の社員はリーダーシップを発揮し、人の上に立って指示を出せる。
この三人は恐らくまともな会社に勤めていれば同じ年数働いていたとしても給料に差が出るはずだ。
この能力給は差別か、区別か。
区別と答える人が多いだろう。
では、今登場した三人の内、一人目の仕事が遅い理由が
ここでは意見が分かれるはずだ。
私もそれなりにマスメディアの報道の仕方を見てきたが、ここを「区別だ」と言い切っている報道者を見た事がない。
「障碍者の給料が低いのは、普通の人間ができる事をやれないからだ。仕方ない」とは絶対に言わない。
あくまでも弱者の味方をするのが道徳的一般論を論じたがるマスメディアであると、私は思っている。
マスメディアの話は脱線しそうなのでここまでにする。
それで、先の問題は差別と区別のどちらなのだというところなのだが、私としてはもう既に答えを出さなくても言いたいことを言っている。
つまり「どっちだろう」と考えた時点で、もはやこの曖昧は拭えないのだ。
「いや、僕はこういう考えだった」と思っても、それと同じ考え方をする人が10割近い割合で居るかと問われたら、居ると言い切れるだろうか。
この差別と区別の境界、定義が曖昧な状態で、社会の人々は皆口を揃えて「差別は嫌いだし必要ない。でも区別は必要である」と言うのだ。
これほどまでに恐ろしい事があるだろうか。(実際たくさんあるからあるだろうかと自問自答するとあるという答えなのだが)
ちなみに私は、一人目の仕事のできない人間が障碍者であろうとなかろうと、できる人間よりは給料は低くあるべきだと思う。
それを障碍者だからだとか怠けているだけだからとか理由を付ける事がそもそも差別の発端なのだ。私はそう思う。
差別の無い社会を作ろうと声を大にして演説している人間が、誰よりも差別をしていると、なぜ気付かないのだろう。
障碍者だからだとか病人だからだとか、そんなことは関係ない。まずもって人間である事を重んじるべきだ。
健常者も障碍者も病人も等しく人間である。その中で仕事の出来不出来があれば、それによる給料の上下があるのは当然ではないか。
そういう私は健常者だからそんなことを言えるのだろうと思われるかも知れないが、告白すると私は持病を持っている。
“てんかん”という病気をご存じだろうか。
脳波に異常が生じ、痙攣を起こし意識不明になる。同時に嘔吐により
人によって容体は様々で、一日に何回も発作が起こる人もいれば、一年以上何事もない人もいる。意識を失って半日目を覚まさない人もいれば、数分で目を覚ます人もいる。嘔吐をする人もしない人もいる。
ちなみにてんかんは
実際私も医者に大丈夫と太鼓判を押され薬を飲むのを止めたら発作が起きたので、もう今は薬は手放せない。毎日朝と夜の二回の薬は欠かせない。
旅行に行ったとしても旅先で薬を忘れたら、計画は崩れる。かと言って飲まないで過ごしたら旅先で倒れて結局計画は崩れる。
てんかんによって仕事の幅は制限される。
重機を扱う仕事、人の命を扱う仕事、酒を飲む仕事、車を運転する仕事などはできない。
一応医師の診断書でOKの判断が出れば、運転免許証などは手に入れる事はできる。だから厳密に言えば制限されてないとも言える。しかしその実てんかん患者が車で人を轢き殺す事件は私の知る限りでも3件はあり、自分が4件目を出さないとは言い切れない。
つまり私はこの病気によって仕事が制限され、更には能力給によって他の人間よりも給料が低くなる可能性を持った人間と言える。
しかしそれでも私はされてしかるべき差別だと思っている。
できない事を無理矢理やらされて人を殺してしまうより、できる事をやって人より低い賃金で働いた方が良いと思うのだ。
これで私が健常者の目線から障碍者や病人を迫害する為に論じているわけではないという事を信用していただけたであろうか。
閑話休題。
以上の事を踏まえて、私が最初に言っていた事を思い出して頂きたい。
私は差別は好きでも嫌いでもないが、必要である。と論じた。
初めは「何を言っているんだこの馬鹿者は」とか「差別される辛さを知らないのか」とか「心を傷つけられた、訴訟」などと思った方も居るかと思う。
しかし他人から与えられた教養や道徳、或いは価値観、倫理観、常識をそのまま受け止めるのではなく、自分の中で咀嚼し、一から考える事によって、更に踏み込んだ場所で自分の意見を持つことができるのだ。それは自分自身にしかわからない唯一無二の、人には共有できないものになるだろう。恐らく究極のマイノリティだと思う。
これをただの自己満足だと言って気持ち悪がる人も居る。そしてその人はマジョリティに属する人間だ。
マイノリティになる事を恐れず、マジョリティから配給された「正解」を「本当にそうか?」と言う疑いを持って掛かることが、生きていくうえでとても重要であると私は思うのだ。
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