夏競馬が好きな男

 宝塚記念が終わり、東京開催と阪神開催が終了。福島・中京・函館の三場さんじょう体制になり、本格的な夏競馬が始まった。


 夢子ゆめこは、7月と8月は、競馬を休むと言っている。もともと夢子はあまり馬券を買わない。けれども、夢子は去年の9月の中山開催初日から先週の東京開催最終日まで、競馬場に行くことを休むことがなかった。

 夢子はあまり馬券の勝った・負けたに関心がない。新聞も見ないで、パドックでずーっと周回する馬を眺めているだけのことも多い。パドックで馬体を見て予想をしているのではなく、ただ単に馬の肢体したいを見ているのが楽しいのだ。

 皐月賞の翌週(4月第4週)から先週の開催日まで、夢子はずっと東京競馬場に通い詰め、ホースリンクという引退馬が間近で観られるスポットを足繁く訪れていた。


 気持ちはわかる。

 ぼくも、東京競馬場で、馬券を買ってレースを観るのに疲れたときは、ホースリンクに展示されている馬の鼻面はなづらを眺めて、癒やされたものだ。

 だけど夢子は異常だ。たぶんフジビュースタンドの4階と2階と1階に、ほとんど足を踏み入れたことがないのではないか。なぜフジビュースタンド4階・2階・1階に行かないのが異常なのかというと、フジビュースタンド4階・2階・1階は東京競馬場の主要な投票所であり、指定席利用者を除けば、馬券購入者が滞留たいりゅうすることのいちばん多いフロアだからだ。つまり、夢子は馬券を買わないので、東京競馬場に来ているにもかかわらずフジビュースタンドの4階・2階・1階にまったく立ち入らないという、来場者のなかで際立って奇特な存在なのだ。


 トウジは夢子のそういうが気に食わなかった。競馬の運営が、何によって支えられていると思っているのか。とうぜん、俺たちが買った馬券の収益によってではないか。夢子は競馬をスポーツだと思っている。夢子は間違っている。競馬の本質はギャンブルだ。理想主義者は現実逃避主義者だ。ロマン派はいつか罠にかかる……。


 6月30日。福島・中京初日、函館5日目。

 一昔前と比べればずいぶん様変わりしたウインズ後楽園で、トウジは函館1レースから福島最終レースまで馬券をひたすら買い続けていた。

 トウジは夏競馬が好きだった。トウジは、日本ダービーや有馬記念での馬券勝負を見送ることがあるほど、馬券に対しストイックだった。GⅠジーワンといえど馬券購入金額を上げず、むしろ金額を控えめにすることが多いトウジにとって、ダービーも未勝利戦みしょうりせんも変わりがない。日本ダービーや有馬記念の配当が10倍にならない以上、GⅠジーワンで大勝負する必要はない。そして、ダービーや有馬記念の配当が10倍になることなど、ありえない。

 トウジが夏競馬を好くのは、GⅠジーワンのような大レースに惑わされることがないからだ。今日の開催三場さんじょうのメインレースも、重賞じゅうしょうはおろか、オープン特別でもなかった。7月と8月のウインズは真の鉄火場てっかばだ。ほんとうの馬券好きだけが参加する、ガチバトルなのだ。そして、最終的に生き残るのは、馬券ファンなのだ。

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