第21話

「アースマー」


 クロハエが部屋の前でアスマを呼ぶ。


「なんだよ」

「何? まだ拗ねてるの? セッカちゃん、目を覚ましたらしいけど?」


 ガタ、ガタンッ


 中で物が倒れる音がしたかと思えば、勢いよく襖が開いた。


「本当か!」

「フフッ」


 クロハエは慌てて飛び出してきたアスマを見て思わず笑ってしまう。


「騙したのか」

「いや、そうじゃなくてだな」


 アスマは怪訝な顔を向けるが、クロハエは笑いをこらえきれていない。


「セッカちゃんが目を覚ましたのは本当だ。ただ、お前、会いに行くなら鏡を見てからにしたほうがいいぞ」


 アスマの服は乱れ、髪はボサボサ、顔は目の周りにクマができている。


「眠れないほど心配だったのか。まあ、オレはいいと思うぞ」

「何が」

「いや? 気にするな!」


 含みのある言葉に怪訝な表情を戻すことができないが、言われた通りに身なりを直してから彼女の部屋の前で止まった。


 彼の行動を妨げたのは、あの時の場面。


『……セッカ。馬を降りろ』

『わかりました』


 一体どの面を下げて彼女に会うつもりなんだ?


 アスマは襖に伸ばそうとした手を力なく下ろした。

 しばらくそこから動けずにいると、声をかけられてしまう。


「セッカに会いに? ならどうぞ、中へ」

「あ、お、俺は」


 躊躇している間にも、襖は開いていってしまう。


 どうしようもなく俯いた。


「あ、寝ちゃってる」


 イアの言葉にアスマはそっと視線を中に移した。


「ごめんなさい、疲れて寝てしまったみたいです」

「いや、いいよ。あの、少しだけそばに居てもいいか?」

「? はい。どうぞ。わたしはこれを取りに来ただけですから」


 空になった水差しを持ってイアは立ち去る。

 それを見送ってからアスマは中に入った。


 静かに吐息をたててセッカは寝ている。


 彼女が今までどうやってここに戻ってきたのかは、モグラが丁寧に教えてくれた。


(こんなにボロボロになって……)


 皆、その話を一度では理解できなかった。


 彼女はココンの為に完璧な足止めをしてみせたそうだ。

 射る矢が無くなれば落ちた矢をも拾って応戦し、仲間をかばいながら戦った。結果的には悲惨な終わりではあったのだが、奇跡的に生きていた男を見捨てずに担ぎあげ、敵であったモグラに対しては情報を吐かせた上で話を聞き、男の有用性を認識するとその小さな身体で怪我人を支えながら山を越えた。

 しかも、あの戦闘で肋骨の骨を折っていたのにも関わらず、だ。

 最後には自分の感覚を奪う薬を大量に飲み、なんとか栢間の町までたどり着いたらしい。


 はじめは誰もが疑ったが、敵同士の殺し合いの謎はそれで辻褄が会うし、彼女の困憊様ではあり得なくはない。


 痛みに耐えるためか、手のひらには爪が食い込んだ跡が残り、

 肩には縄が食い込み赤くなり、

 身体中には傷と痣。


 カガリが運ばれてきたと聞き医療室に駆けつけると、どう見てもカガリより重症な真っ白な顔に血で黒くなった服を着たセッカの治療が優先して行われていた。


 その時、見てしまったのだ。その傷を。


 その場には同じくココンやウカイ、守子かみこらがいたが、思ったことは全員同じだろう。


 __ひどい。


 ただ、その一言に尽きる。


「そいつ、媚薬を大量に飲んで感覚を麻痺させてる」


 後ろから男の声がかかり驚いて振り返ると、ココンが反応した。


「お前は」

「お久しぶりです。若長殿。先日は失礼しましたが、あなたにあの時の真相と裏幕の正体、その証拠を渡したい」


 男も疲労しきった顔色なのだが、威厳のある口調で言った。


「モグラか。まさかあの場にいたのか」

「本当は潜入して情報を得たら抜けるつもりだっんですけどね。この様です」

「今の話、本当か」

「もちろん。『土竜』としてあなた様に持ちかけている」

「そうか。なら話を聞こう。だが、今は治療が先の様だな」


 部外者であるルカの判断をココンが下すと、すぐに彼にも医者が寄ってくる。


「ああー、おれはいいからそこの嬢ちゃんを助けてやってくれ」


 しかしルカはそれを拒もうとする。


「その子、ここ三日ずっとそこの頭打って寝てる男を担いだ上で、おれにも肩を貸して歩いてたんだ」


 その場にいたものは、そんなことは正直嘘だと思った。


 だが、セッカを診ている医者はルカをそばに呼ぶ。


「さっき、媚薬を飲んだと言ったな、どのくらいのんだかわかるか?」

「包みを三つだ」

「ありがとう。ほかに何かわかるか」

「その肩の傷は男を背負う時に両手をあけるために括り付けていた縄が食い込んだあとだ」


「じゃあ、肋骨が折れたのはどの時かは?」


 それを聞いた瞬間、ルカは目を大きく見開いたかと思えば彼女が横たわる寝台に掴みかかった。


「お前! なんでそれを言わない!!」

「ちょっと!」

「おい」


 殴りかかりそうな勢いに、アスマも止めに入った。


「おれといる時に肋骨を折る様な事は起きてねぇよ」


 ルカの体から力が抜ける。


「じゃあ、肋骨が折れたまま三日ほどカガリくんを背負ってだという事でいいね」


「ああ……」


 男の声にもう覇気はなかった_____




 アスマはセッカの隣でその時のことを思い出していた。

 あれから五日後の今日、やっと彼女は目を覚ました。

 この五日間は、もし目を覚まさずこのまま死んでしまったらどうしようか、という考えが頭によぎっては夜も眠れなかった。


「すまない」


 アスマの口から小さく溢れる。


「アスマさんが謝ることは何もないですよ」

「お、起きて?!」


 まさか聞かれてしまったとは、アスマは苦虫を潰したような顔でセッカを見た。


「ちょっと体が痛くて……」


 どうやら痛みで目が覚めたらしい。


「……薬、飲むか」

「いや、たぶん媚薬のせいであまり効かないんだと思います。っ……」


 セッカはアスマに背を向けて体をよじった。

 徐々に痛みが戻ってきているようだ。

 その様子にアスマはいたたまれない気持ちになった。

 __それもこれも、自分のせいだ。



 どうすることもできずに医者を呼ぼうかと迷ったのだが、少しするとセッカがまた口を開く。


「アスマさん。私、大丈夫ですから。ちゃんと歩いて帰ってきたでしょう? あなたが気に悩むことはありません。どうかまたいつもの通りに話しかけてはくれませんか」


 彼女はアスマの心中を察していた。

 先程彼の顔を見たとき、薄っすらだが目の下にクマができていたのをみて申し訳なく思ったのだ。

 心の優しい彼のことだ。きっとセッカを馬から降ろしたことを後悔でもしているのだろう。


「なぜ怒らない……俺はあの時、たしかに君を見捨てたんだぞ」


 彼は聞くしかなかった。


「それはウカイさんの指示でしょう? ココン様を守るのに私がいては足手まといにしかなりませんし、死の危険なんて常に隣合わせなんですから、今更危険を冒すことを恐れてはいられませんよ」


 彼女の言うことは最もだ。

 しかし、人の感情とはそういうものではないだろう。

 アスマが黙ったままでいるので、セッカは続ける。


「……私、昔は父と旅をしていたんです」

「旅?」


 会話の内容が変わり、彼も疑問符を浮かべた。


「はい。訳あって常に身の危険は隣り合わせでした。父は強い男だったので、まだ幼かった私を育てながらでもそんな状況でも楽しく過ごしていたんです。でも、長くは続かなくて、私が八つの時。ある日族に襲われ父は私を生かそうと川に突き落としました」

「え」

「父の考えてることは汲めましたが、正直言って死ぬかと思いました」


 はは、と笑いをこぼす。


「だから、アスマさんがしたことも別に何とも思いませんよ」


 アスマは何か言わないといけないと言葉を探したが、かける言葉がすぐに見つからない。


「アスマさんがもしそれでもこの前のことを気にするというのなら、止めませんが、私は、今まで通りに、あなたに接し、ま、す」

「セッカ?」


 彼女はよく話していたが、言葉がぶつぶつと切れ始める。

 最初のほうの話はアスマの『誤解』を解くためであったが、途中からは痛みから気を紛らわすためでもあった。


「今、医者を呼んでくる」


 異変に気がついたアスマは慌てて医者を呼びに行った。


「ああ、やはり効果が切れてしまったかい」


 ヤヒロと言う、この宮の医者は額に汗を浮かべるセッカの様子をみて察する。


 その後、アスマはそっと部屋を出た。




 次にやるべきことは、もうわかっていた。


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