第16話

「だいぶ早かったな」


 ツチカドは目の前の娘に言った。


「いえ、ツチカド様。セッカ殿は今まで弓を取る以外にも狩をなさっていたりしたので本来ならもっと早くついたかと」


 サコンは主人にそう言った。


「はっはっはっ、そうか、そうか。だいぶ立派な猪を仕留めたらしいな」


「いえ。あれくらいはまだかわいいほうですよ」


 セッカは恐れ多いとへりくだった。


「腕を上げたようだな」


 セッカはツチカドと過ごした時にも狩をしていた。その時は弓を射て野鳥やウサギを捕まえるくらいだったので、短剣で猪を倒すくらいものともしなくなった今、だいぶ上達しただろう。



「七年経ちましたから……。

 こちらがお望みの弓にございます」


 セッカはツチカドに弓を献上した。


「うむ。確かに弓を持ってきたな。これはそなたが受け取れ。もともとその為に造らせたものだ」


 ツチカドは本物かどうかを確かめると、またそれをセッカに与えた。


「え?」


「約束しただろう。もしまた会う時があれば、そなたにはオレのクニで一番の弓をやると」


「あ……」


 セッカはツチカドが森から出る日に、恩返しをさせてくれと言われ、それならば弓をくれと言ったことを思い出した。


 律儀にもこの男は覚えていたのだ。


「よろしいのですか?」


 こんなに立派な弓をもらえるとは、思ってもみなかった。


「あぁ、救ってもらった命に比べれば安いものだ」


「ありがとうございます。大事に使わせていただきます」


 彼女は深く頭を下げた。

 ツチカドはそれを見送ると、ココンを見る。



「さて。では約束通り、束並の背は栢間に任せることとしよう」


 にやり。これから面白くなりそうだとツチカドは笑った。


「感謝する」


 ココンもやっと束並と同盟を結ぶ事ができ、その表情を崩した。




 思いのほか長くなった束並での滞在も終わりを迎える。


「お世話になりました」


 セッカは世話になった女中たちに別れを告げる。女たちはセッカだけでもここに残ってくれればいいのにと別れを惜しんだが、彼女は笑って城を出た。


(イア、元気にしてるかな)


 栢間で待つ友のことを思うと何だか早く顔が見たくなった。


 帰路も行きと同じようにアスマの馬に乗せてもらう。

 違うことといえば、彼女は束並の服に、栢間の袴をはいて、その腰には弓を携えていることだ。

 後ろに弓を着けていては、アスマの邪魔になるので今は抱えるようにして持っている。


「セッカは弓を誰に教わったんだ?」


 帰りの馬の上は会話が弾んだ。


「父と師匠に教わりました。でもこんなに立派な弓を見たのは初めてです。うまく扱えるといいのですが」


 セッカは大事そうに弓をさすった。


「そうか。でもそれは束並の将軍さまが君のために用意してくれたものだから、きっと大丈夫だろう」

「そうですね」


 そう答えるものの、彼女がひとつ気にかかっているのは、果たしてこの弓を使う機会など女中の自分に来るのかということだ。


(考えても仕方ないか……)


 セッカは深く考えないことにした。

 今はそれよりも栢間で待つ友のことが気になる。

 数ヶ月働いた栢間の宮はもう、彼女にとってひとつの拠り所であった。


 そうして、行きと同じように先に合流地点で野営の準備を整えている班を追いかけ、尺取り虫のように栢間との距離を縮めていく。



 帰路二日目のことだった。

 天気良好、視界も良好な旅に不穏な空気が漂う。


「どうした」


 ウカイが合流地点に近くなり、様子を見に行かせた使いが額に汗を流して戻ってくるので異変に気がついた。


「この先に行ってはなりませぬ。何者かが野営班を襲った形跡が」

「何っ!」

「うわっ!!」


 トスットスッ


 使いがウカイに報告した次の瞬間には、一行に向けて矢が放たれていた。


「守りを固めろ!!」


 ウカイの号令に男どもはココンの乗る馬車を囲う。


 森から出てきた敵の数は多い。

 みな弓を構えているが、どこのクニの者かがわからない。


 敵の放つ矢は射るところがわかれば避けることができるが、馬を狙われてはまずい。

 どうしたものかと、セッカは様子を伺っているとウカイが何やら手で合図を送っている。

 それを彼女の後ろで見ていると思われるアスマの肩が一瞬強張るのがわかった。

 しかし、少しすると力が抜けていくのを感じる。

 そしてアスマは言った。


「……セッカ。馬から降りろ」


 それはセッカを見捨てるということに他ならなかった。


(なるほど。ココン様を逃がすことを優先するか)


 この状況ではそれが妥当だと、彼女は瞬間理解した。


「わかりました」


 まだ手綱を握ったままだったアスマの腕を優しく払って馬から降りる。


 その間にも攻防は始まっていた。


 今は前方からくる敵をココンの乗っていた馬車で盾にしているが、こちらまでくるのも時間の問題だ。


 アスマは守子である。

 ココンを守るのが彼の使命だ。


 彼を救うためには助かる確率が少しでも高い判断を下さなくてはならないことなど、考えるまでもない。


 ココンはすでに裏から馬車を降り、馬に乗っている。


「悪い……」


 アスマはその場を動かずにいた。

 彼も守子の中ではまだ若い。そう歳の変わらぬ女を戦地においていくことは初めてだった。


「平気ですよ。栢間には歩いて戻ります」


 セッカはアスマに微笑みかけた。

 彼は一体彼女が何を言っているのか理解するのに時間がかかった。

 こんなところで馬から降ろされるなど、死ねと言っているもの同然だ。

 罵られてもしかたないことを自分は彼女に告げた。たが、彼女が言った言葉は彼に対する非難などでは無かった。


 平気? 歩いて帰る?


 この女は何を言っているのか?

 時は一刻を争う。

 彼は指示通りに馬を翻すしかない。


「気をつけて」


 セッカはそんなアスマの背中にそう声かけた。彼とて守子と言えども生き延びる保証はどこにもないのだ。


 次の時にはアスマは馬の腹を蹴っていた。

 彼女の声が聞こえなかったわけではないが、彼はその声に応えることは無かった。


 彼にもう一度そちらを振り向く勇気は無かったのである。



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