第2話
ひゅんっ
セッカは木にぶら下げられた揺れる的に矢を射ていた。彼女の手が硬くなるのにつれて、確実に腕は上がっていた。
2人はとある山の中で暮らしていた。今は冬に向けて食べ物を蓄えている最中である。
近くには町があったが、里で生まれ育った2人には山で年を越すことのほうが慣れていた。(ここで言う町とは、里よりも広く栄えた “クニ” をまとめる 長 が持つ地域のことである)
準備の合間を縫ってセッカは鍛錬を重ねており、両手を同じくらい器用に使うことができるようになっていた。
「セッカ、飯にしよう」
「うん」
自分の背よりも高い弓を持って、ヒューガのともに走り寄る。
里を出てから、四年が経っていた。
彼女はこの生活はまだまだ続くだろうと思っていた。お金を稼ぐのに、父は用心棒として働き、その間自分は下女としてはたらく。
お金がたまれば服を買ってくれたし、何より嬉しかったのは美味いものを食べさせてくれることだ。
時には、山にこもろうとした時、山賊と鉢合わせてしまうこともあったが、生きるのに手段は選ばなかった。
七つにしてこの世、__大和の地で生きる仕組みを理解したセッカは聡明だった。いや、物分かりが良すぎた。
彼女は父と別れても、涙一粒流さなかった。
「セッカ、お前は死ぬな」
そう言った父の顔は笑っていた。
五年、姿を現さなかった追手の奇襲にあった。彼らは用意周到だった。何故五年経った今なのかはわからないが、確実にヒューガを狙っていた。相手は武装した男5人、対するふたりはうち一人が八つになるかならないかの子供。たとえセッカが優れていても、力は敵わない。
ヒューガは娘を川に落とした。それは賭けだった。彼は、川に流される娘に矢を射らせまい、と戦っていた。それがセッカの見た最後の記憶だった。
「可哀想な娘よ__」
品の良い声が響く。
「まだ生きたらぬだろう?」
呆然と声だけを聞くだけで、セッカは何もできやしない。
「そなたに我の糸を授けよう。それで我が子を助けなさい。それがそなたの命だ」
すう、
その言葉を最後にセッカは瞳を開いた。
「生き、てる」
彼女はゆっくり起き上がった。
(どこだろう、ここは?)
寝床に寝かされていたらしい。あたりを見回せば、そこは小さな小屋のようだった。
「目が覚めたか」
ガタガタと戸を開いてひとりの老人が入ってきた。手には桶を持っている。
「あ、あの、助けてくださりありがとうございます」
とりあえずは礼を言っておいた。
老人はゆっくりとセッカに近寄り、額に手を置く。
「熱はないようだな。お主、三日は寝ていたぞ」
「三日も……。ごめんなさい」
「別によい。ここに辿り着けるのは選ばれたものだけだからな。悪いようにはせん」
どういうことか、彼の言ったことはわからなかったが、セッカはほっと一息もらした。どうやら追い出されはしないようだ。
老人は名をキヌガといった。
セッカはキヌガの住む小屋から少し離れた小さな湖に丸太と一緒に浮いていたらしい。
「あの、ここには選ばれた人しか辿りつけないって?」
セッカは気になっていたことを聞いた。
「そのまんまの意味だ。カミに選ばれたものしかここには辿り着けん」
「カミって優しい声の?」
「ほぉ、お声を聞いたか。滅多にないことだ。わたしはかれこれ八十年ほど生きてきたが、お声を聞いたことはない」
セッカは、カミについてよりキヌガが八十年ほど生きたということに驚く。
「そんなに長く?」
「あぁ。かつては『
そう笑って目を細めるキヌガに、セッカは驚愕した。
「天武って
「栢間、懐かしい響きだ。天武を知る者がまだおるか」
「それは、父さんがよく話していたから……」
セッカは父を思い出し、唇をぐっとかんだ。
もう会えないだろう、そんな予感がしていた。
その様子をみたキヌガはセッカに問う。
「お主、名は?」
「セッカといいます」
「歳は?」
「今年で八つです」
「驚いた、その歳にしては大人びているな」
彼女は下女として働く間に目上の人との関わり方は覚えていた。
「セッカ、今の大和はどうなっておる?」
「……たくさんのクニが力をつけ、人の暮らしも豊かになっていますが、力の差が生まれ始めました。
……
セッカは知っていることをできるだけ丁寧に伝えた。キヌガは話を聞き終わると、そうかそうか、と言ってセッカの頭を撫でた。
「賢い子だ。行くあてがないのなら、ここにいるといい」
「あ、ありがとうございます」
セッカはキヌガに世話になった。
彼女はキヌガとよく話し、彼女の知らぬ天武の武勇伝や、仕えていた長のこと。宮での暮らしを聞いた。
昔、ヒューガから天武の話を聞いていたので、頼み込んで彼を師として、手解きを受けることになった。キヌガは己の持つ全てのことを彼女に教えるが、セッカはとんでもなく飲み込みが早かった。
「セッカ、今日はそこまでだ」
「はい」
荒磨きだったセッカの武術には、キヌガによって磨きがかかり、精度が増していた。
水浴びを済ませたセッカが小屋に戻ってくると、彼は聞いた。
「お主、そんなに腕を磨いてどうしたいんだ? 女子にしては十分、男でも敵わない程の力がついてきておる。もう自分の身を守るくらいはできるだろう」
彼の言うとおり、セッカは強かった。背も伸びて、身体も引き締まり、これ以上を望まなくてもいいだろう、と思わせる。
「師匠には言っていませんでしたか? 私、死にそうになった時にカミの声を聞いたのです」
「あぁ、それは聞いたぞ。もうあれから五年が経つ」
「はい。それでカミは私に『我が子』を助けることが命だとおっしゃったので__」
初めて聞く話にキヌガは驚いた。
「お主、なぜそれを早く言わない。その『我が子』が誰かわかっておるのか?」
「……あっ」
珍しくセッカは声を上げる。
「……その様子だと、誰かわかっていないでずっと力をつけていたのだな?」
「はい。私、何ということを。なぜ今までそのことに気がつかなかったのでしょう」
真っ青な顔をしてセッカはうろたえた。
「落ち着け、カミのことだ、何かあればお主にとっくに鉄槌が下っとる」
「そ、そうですよね」
キヌガは押入れの中から道具を出し始める。
「師匠?」
「座っておれ。今から占う」
そう言うと金の器に水を張り、目をつぶって呪文を唱え始める。
彼は八十年の時を過ごす途中、武人として栢間の長に仕えていた時、痛手を負い、ここへ迷い込んだ。そして、この場に住んで身につけたのが『占い』であった。
彼曰く、この場所はカミが近いそうで、占いの精度が高くなるらしい。
ぱっ、と目を開く。
「なんということか……」
「師匠?」
「カミの言う『我が子』とは、
キヌガが取り乱すのもおかしくはない。なぜなら
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