第36話 手と手を取り合う技と業
「……それじゃあ、少し体を動かしてきます」
「そう? 体を動かすのはいいけど、動かしすぎて周りをボロボロにしちゃったらダメよ?」
「…………はい」
陽が落ちかけ、うっすらと暗闇があたりを覆いだした森の中で、石で作った簡易的な炉の前で食事の用意をしていたヒルダに対して、木剣を片手に二人並んでそう言ったレオンとカリンだったが、ヒルダのネットリとした言葉にスゴスゴとその場を後にする。
そんな3人のやり取りを見ながら、アンドレは声を抑えるでもなく苦笑する。
セクターの街を出てから既に一週間が経過しているが、未だにレオン達が訓練をする度にこのやりとりが行われていることを見るに、前回の騒動はヒルダにとってよほど腹に据えかねたのだろうと理解する。
理解はするが……。
流石にいつまでもこの調子で続けられても気まずいので、アンドレとしては少々不本意ではあれど、レオンのフォローをする事に決めた。
「流石にもう許してあげたらどうだい? あの一件で君が随分と骨を折ったのは知っているけど、2人共反省しているし、早々おかしな事はしないと思うけどね」
「ん? 別にもう怒ってないけど? 私はただ、純粋に、この辺りの景観が壊れたら嫌だなーって心配しただけだけど?」
アンドレの言葉にシレっと返したヒルダだったが、その言葉に食事の準備を手伝っていたソニンが「ブッ」と、吹き出し、慌てて右手で口元を隠すと「失礼しました」と頭を下げた。
普段から砕けた様子を見せない彼女にしては珍しい反応で、思わずヒルダとアンドレはお互い顔を見合わせたが、ヒルダは直ぐに可笑しそうに笑った。
「嫌ですね。別に深い意味はないですよ? 本当にこの辺りの地形でも変えられたら困るなって思っただけです。本来私たちはあまり目立ってはいけないのに、それを考慮に入れずに行動する2人に釘を刺したってだけで」
そう言ってヒルダは石の炉に乗せた鍋の中身を木ベラでくるりとかき回す。
その鍋の中に先ほどレオンとカリンが採ってきた切り分けた山菜を投入しつつソニンは首をかしげる。
「釘……ですか?」
「そーです。今までのレオン君は対人戦だと力を出せなかったですからねぇ。それまでの誰かさんの育て方も関係しているとも思うんですけど、どうにも対人戦で手加減する事に戸惑っているように感じますねぇ……。手加減すれば能力は発揮できないし、かと言ってまともにやれば相手を殺してしまうんじゃないかと考える。今のレオン君はそんなチグハグな存在なんですよ」
「なるほど……」
ヒルダの言葉に納得したようにソニンは頷いたが、反対に苦虫を噛み潰したような表情を見せるのはヒルダの対面の岩に腰を降ろしていたアイリスだった。
「何だ。その奥歯に物が挟まったような言い方は。言いたい事があるならはっきり口に出したらよかろ?」
「では遠慮なく。アイリスちゃんの教育の仕方が悪くてレオン君が──」
「それはそれで気分が悪いわ!!」
ヒルダの言葉にアイリスは声を荒らげた後、フンと鼻を鳴らして腕を組む。
「そもそも、あいつに戦いの仕方を教えたのは確かに我で間違いないが、持っていた技術は元々身につけていたものだ。その技術に関してまで文句を言われる謂れはないわ」
「確かに。レオン君の使っている剣術はアイリスちゃんの使うものとは別物ですものねぇ。あんな殺伐とした剣術をどこで身につけたのやら……」
「殺伐……ですか?」
「ええ」
ソニンの問いかけにヒルダは頷くと、右手の人差し指をピッと上げる。
「殺しに特化しすぎているんですよ。あの剣術は。レオン君はあの剣術を殆ど実践で使わないでしょう? それは、恐らく自分では完全に使いきれていないからです。逆にカリンちゃんはしっかりと使いこなせているから実践でも普通に使ってる。でも、レオン君の使っている技とは少し違うんですよねぇ……」
「当然だの。恐らく、レオンはあの剣術の全てをカリンに教えたわけではないのであろう。だから、カリンの剣はレオンのそれよりも優れているのに、剣そのものの“怖さ”がない。逆にレオンの剣には一種の怖さがある。我も対峙した事があるからこそわかるがの。あれはレオンだからこそ使える秘技だと思っておるよ」
アイリスの言葉にカリンは眉をピクリと跳ね上げると、興味深そうにアイリスを見つめた。
「あの無茶苦茶な剣技ですか。ひょっとしてアイリスちゃんはあの剣術を過去に見た事が?」
「当たり前だ。あの技こそ、レオンが嘗ての我を追い詰めた切り札だ」
「……まあ……」
アイリスの告白にヒルダは左手で口元を押せると感嘆の声を上げる。
それは、アイリスの実力を目の当たりにして知っているからこその驚きだった。
「あいつの剣術のルーツは詳しくは知らんがの。恐らく、あのような異質な技は元の流派にもなかろうよ。あいつが死に物狂いで手に入れ、そして、強力が故に対人戦で使う事のなかった剣技。恐らく、生物相手に使用したのは我が最初であろうよ。更に言ってやるが、あの時のあの技はあのようなものではなかったぞ? カリンに見せる為に手加減したのであろう」
「て、手加減……!?」
アイリスの言葉に驚きの声を上げたのはアンドレだ。
火に照らされた顔は驚きのあまり青白くなっているように見える。
「ああ。そして、それでもカリンを傷つけた。レオンの実力では結局その程度の制御しかしきれんという事だの。さて──」
そこでアイリスは首を横に──先ほどレオンとカリンが消えた木々の奥に目を向けると目を細めた。
「──そんなじゃじゃ馬剣術を、本当にカリンが身に付ける事が出来るか……見ものだの」
◇◇◇
薄暗くなった木々の開けた空間に、木剣の打ち合わされる鈍い音が響き渡る。
何度も何度も打ち付けられ、縦横無尽に動き回る影二つの打ち、優位に立っているのは少女の形をした影だ。
レオンに先に剣を出させ、振り終わり際に飛び込んで木剣を振り抜く。
レオンはその剣筋を何とかずらしつつ柄の部分で辛うじて弾く。
更に踏み込まれた間合いは後退しながら確保しようとするも、素早い踏み込みであっという間にカリンにとっての絶妙な間合いに保たれる。
しかし、カリンの猛追もそこまで。
更なる一歩を踏み出そうとしたカリンの足が突然止まり、その足元に振り落とされた剣戟を捻って躱し、更に突き出された切っ先をバックステップで回避して元の場所に戻される。
──先程からこの繰り返しだった。
今までであれば、勢いのままカリンが押し切っていたのだが、今のレオンは何かが違った。
基本的な技術は変わらないはずだ。
しかし、後一歩という所で突然空気が変わり、カリンに最後のひと振りを振らせない。
「……いつもと……違う剣術……?」
思わず溢れたカリンのセリフに、しかしレオンは首を振る。
「いや、同じだよ。ただ、使い方を変えただけだ」
「使い方?」
「お前には一度見せただろう? あの動きを頭に思い浮かべろと言ったはずだ」
レオンは中段の構えで切っ先をまっすぐカリンに向けたまま、ジリと僅かに右足を前に滑らせる。
その動きに連動するようにカリンも足の甲ひとつ分下がりながら考える。
「……あの動きといっても速すぎて……せめてもう少し見せてくれれば目が慣れるかも」
「そう何度も見せられる技じゃない。下手するとお前を殺してしまうかもしれないからな。自分で思っていた以上に制御できなくて、前回は結構ヒヤリとしたから。それに、そんな甘えた事を言っていてお前の望む強さは手に入るのか?」
「うぐ……」
レオンの言葉にカリンは呻くと、既に濃くなってしまった暗闇でよく見えなくなってしまったレオンに目を向ける。
「態々こんな時間に訓練している理由はわかっているだろう? 目に頼るな。基本を思い出せ。俺は言ったはずだぞ? 俺は初級技しか使えない。その俺が使えるという意味を考えろ」
「……初級技しか使えないレオンでも使える。そして、私でも使えるはずの技術……ならば、あの技は初級技の組み合わせ?」
「どうやら解答に近づいてきたな。ならば、そいつを試してみようか」
「…………」
その言葉を最後にレオンの姿が闇に紛れる。
その技術は今レオン達が使っている剣術とは別の技術によるもの──暗殺術の一種だという事はカリンもわかっていたが、それを打ち破る剣術が2人の剣術にある事を知っている。
そして、レオンがあえて暗殺術を使用してきたという事は、それを使えと言ってきているのだとカリンは判断した。
「…………」
目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのはあの時のレオンの動き。
あの時レオンは一瞬陽炎の様に振れて、次の瞬間には姿を消していた。
あれは単純なスピードによるものと考えていたカリンだったが、よく考えてみれば胸に走った痛みはレオンが消えるほどの速度で動いて切りつけてきた割には衝撃が遅れていたように思う。
それはコンマ何秒かの違いでしかなかっただろう。
しかし、剣の世界において一秒以下とはいえその差は大きい。
ならば、レオンの姿を見失った別の理由があるはずだ。
それも、カリンに使う事の出来ない暗殺術とは別物の──。
「……そっか……あれは──」
一つの答えにカリンの思考が移ろいだその刹那。
光を自ら絶ったカリンの右横の空間がブレる気配を感じ、カリンの体が剣術を扱う事のみを目的とした存在と化す。
吹き付ける風は柳の動きで流しつつ、大地に踏みつけた両足は衝撃を逃がすために螺旋の動きで右側に流れ、風の隙間にねじ込んだ右腕は新たな風を生み出し、完全に力を抜いた切っ先は、何よりも早く風の壁をこじ開けた。
そして──。
衝撃を逃がすために緩衝材の役目を果たしていた両足が、一つの流れの元大きな炎の如き激しさで、突き出したひと振りに全ての力が乗ったのを実感した。
瞬間、辺りに響き渡る轟音。
まるで向かい合う崖から転がり落ちてきた巨石同士がぶつかり合うような衝撃音がカリンの鼓膜に届き、全身を襲ったのは後方に向かう浮遊感。
自らの体が何かの力に反発され、跳ね返されて吹き飛んだのだと悟ったのは、地面に叩きつけられ、転がって大木の幹に背中を強かに打ち付けた後だった。
「30点……かな」
やがて静かになった暗闇から、レオンの声がカリンの耳に届き、ゆっくりと瞼を開ける。
すると、既に姿を消す事を止めたレオンがカリンに向かって手を差し伸べているところだった。
カリンはその手を取って立ち上がると、痛みが残った背中と、痺れが取れず、いつの間にか木剣を落として空きとなった右手を見た。
「……少し……わかった気がする」
「ああ。どうもどうやらそのようで」
おどけたようなレオンの言葉に、カリンは顔を上げると、差し出されていた木剣を左手で受け取る。
どのみち、右手で剣を握る事ができない以上、今日の訓練は終わりだろう。
「さっき私は全ての基本技を一つの動きに取り入れて動いてみた。でも、あの時のレオンの動きと比べるとあれでも遅すぎた。私の技を弾いたレオンの技は多分あの時の技じゃない。でも、それでも私は剣は届かなかった。つまり、技と技は組み合わせているわけじゃない」
「……やっぱりお前はすごいね。なんだかんだ言って動けば感覚を掴むんだから。脳筋とも言うけど」
「……教えるのが下手なレオンに言われたくないよ」
レオンの言葉にカリンは唇を尖らせると、他の皆が野営している場所に向かって歩き出す。
その横に並ぶようにレオンも続くと、ポツリと一言。
「力のない人間は、例え一人ぼっちだとしても手と手を取り合わなけりゃ天才には勝てないってね」
「……なにそれ」
「あの業に関するヒントかな」
隣で歩き、クックッと笑うレオンを横目で見ながら、カリンはその言葉に妙に納得するような気分になった。
「……なる程ね。自分一人でも喧嘩しちゃいけないってことね。何となくわかった」
「そうそう。その感覚を忘れずに研鑽しな」
笑いながら頭を撫でてくるレオンの行動はそのままにして、カリンは村を出てからようやく──ほんの少しだけ笑顔を見せると、うっすらと明るくなっている木々の向こう側に向かって歩く。
一行にとってのとりあえずの目的地。
バラッグの街は既に目と鼻の先まで近づいていた。
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