第32話 暗き闇より生まれし者

 カリンが異変に気がついたのは、まだ完全に辺りが闇に落ちる前。西の空に僅かに赤い残光の尾を残している頃だった。


「……なんだろう。凄く胸がモヤモヤする」


 それは所謂虫の知らせだったのか。

 それとも、これまで冒険者として戦いに身を投じてきた経験によるものだったのか。


 ともかくカリンは自宅の外に出ると、村の主要街道の中央に立った。

 そこでは時間帯もあるだろうが殆どの人が帰宅の為に自宅に向かって足を向け、それぞれの営みに戻ろうとしている所だった。


「…………」


 カリンは無言で村を歩く。

 向かう先はレオンの家だ。

 今は仕事で外出している為レオンは家にはいなかったが、変わりにリズが留守番しているはずだった。


 現在ではレオンの家族の一員となってレオンと共に生活している少女だが、最近では教会の神官として勤めているという事もあり、カリンと顔を合わせるのは朝食と夕食の時くらいだ。


 以前であれば昼食も共にしていたのだが、どうも昼食は教会で取るようになったらしく、ここ最近は昼に顔を合わせる事は殆どない。

 現に、今日も最後にリズの顔を見たのは朝食の席だった。


「……リズ?」


 レオンの家にたどり着くと、カリンはドアを開けて家の中を覗き込む。

 いつもだったらとっくに帰っているはずのリズの姿はそこにはなく、自然とカリンの胸騒ぎは大きくなった。


「…………」


 そもそも、どうして真っ先にリズに会いに来たのだろうとカリンは考える。

 リズが心配だったから?

 それはある。

 何しろ、今レオンはいないのだから、何かあった時にリズを守れるのはカリンだけなのだ。


 だが、それだけではない。

 それだけでは無い何かが、カリンの心をかき乱していた。

 そして、その原因を考えているうちに、ふと、一番最後に見たリズの顔が頭に浮かんだ。


「……そうだ。朝食の時の態度が変だったんだ」


 それは、ほんの少しの変化だったのかもしれない。

 言ってみれば、いつも見ているからこそ感じた僅かな違和感。

 しかし、その考えをカリンが最後まで続けることは出来なかった。


「きゃああああああああああ!!」

「!! 何っ!?」


 静かな村に突然響く女性らしき悲鳴にカリンは外に飛び出し辺りを見る。

 すると、悲鳴をあげたと思わしき女性が腰を抜かしたように道の真ん中にヘタリこんでいるのが見えた。


「ライラさんっ! どうしたんですか!?」

「あ、あ、あれ!!」


 女性に駆け寄り、しゃがんだカリン。

 しかし、腰を抜かした女性はそんなカリンに目を向けることなく、怯えた表情で正面に指を向けた。


 そこにいたのは、何やら倒れているであろう男性の首に喰らいつく一匹の獣の姿だった。


「あれは……マルクスさん!? くそっお前、マルクスさんから離れろっ!!」


 立ち上がりつつ細剣を抜き放つと、カリンは獣に向かって走る。

 そのカリンの気配を感じ取ったのか、獣は食事を一旦中断すると、顔を上げて口を開く──。


 所でカリンに首と前足を切り落とされ、更に腹に刃を突き立てられた後に蹴り飛ばされる。

 ついでにカリンは残された獣の頭も蹴り飛ばすと、食いつかれていたマルクスを見下ろした。


「……マルクスさん……」


 マルクスは既に息をしていなかった。

 首は半分ほど食いちぎられ、虚ろな瞳をカリンに向けている。

 一目見て死体とわかるその姿に、カリンの中で何か冷えていくような気がした。


「カリンちゃん!!」


 その時不意に呼びかけられる切迫した声に、カリンは即座に反応すると反転し、恐らくそこにいるであろう獣に向かって意識を飛ばす。

 しかし、カリンが手を動かすよりも早く眉間に矢が突き立ち、胴体に氷の礫が突き刺さり、カリンに向かって飛びかかってきていた獣は空中で向きを変えるとカリンから逸れて地面に滑るように転がった。


「大丈夫かい? カリンちゃん」


 カリンに駆け寄って声をかけてきたのはアンドレだった。恐らく、先ほどの氷の礫はアンドレの放った魔術だろう。

 すると、初めに警告の声を発して獣に矢を打ち込んだのはヒルダだろう。


 それが正しかったとでも言うように、すぐにヒルダもカリンのそばに駆けつけてきた。


「ヘルハウンドだね」


 獣を見下ろしながらアンドレが声を出す。


「本来この辺りには生息しないはずのだ。その口からは火球を放ち、群れで行動する習性を持つ。コイツがここにいるという事は──」


 アンドレが説明しながらヘルハウンドの死体に向かって歩き出した時、突然村の中心近くから轟音と共に火の手が上がった。


「教会!?」


 悲鳴のような声を上げたのはヒルダだ。

 普段は人をからかう様な態度を崩さないヒルダだったが、立て続けに起きた事態に自が出てしまっているのだろう。

 右手で口元を覆って両目を見開いて燃え盛る教会に目を向けていた。


「ヒルダ。どうやら驚いている場合ではないようだよ」


 アンドレの指摘にヒルダとカリンはすぐに意味を理解して気配を感じた方に視線を向ける。

 視線の先。村の入口に当たる暗闇から、一つ、また一つと次々に浮かび上がる光の玉が見て取れた。


「本来の習性通りに団体さんのお出ましだね。しかも、既に何匹かは村にも紛れているようだ。カリンちゃん。君はすぐに教会に走って教団の人に魔獣討伐の協力を要請して欲しい。ヒルダは各個撃破しつつまだ無事な人を一箇所に集めてくれ。最悪ここを放棄して逃げる必要があるかも知れないからね」

「あんたはどうすんのよ!?」


 アンドレの言葉が終わる前に走り出すカリンの背中に一度視線を向けた後、振り返って怒鳴ってきたヒルダにアンドレは視線をそらさず答える。


「僕は残る。どうやら、障害物も何もないここが最も連中が集まる場所らしい。一匹一匹はともかくとして、この村でこいつらを群れで相手にできるのは僕だけだろう。この場所は絶対に死守してみせるから、君はカリンちゃんと村長と一緒に村に紛れたヘルハウンドを殲滅してくれ」

「…………っ!!」


 アンドレの言葉に何か反論しようと思ったのだろう。

 しかし、村の中で新たに上がった火柱を見て、ヒルダは遂にアンドレに背を向けた。


「みんなを集めたらすぐに戻ってくるからっ!! それまで絶対死んじゃダメだからねっ!?」

「それは勿論」


 アンドレの言葉を耳にすると、ヒルダは村に向かって走りゆく。

 その足音を耳にして、アンドレは小さな溜息をつくと自嘲気味に呟いた。


「さて……どれくらい道連れに出来るかな?」


 その時浮かべたアンドレの表情は、覚悟を決めた男の顔そのものだった。



◇◇◇



「皆さん!! こちらです!! 慌てず自警団の人達の下まで進んで下さい!!」

「ソニンさん!!」

「!! カリンさんっ! 無事でしたか!!」


 白く美しかった頬を煤まみれにして、住民を誘導していたソニンにカリンが駆け寄る。

 その元気な姿にお互いホッとしたような表情を見せるも、すぐに顔を引き締めた。


「教会が燃えてしまったみたいだけど……」

「大丈夫です。教会が燃えたときは混乱していた住民の皆さんを落ち着かせる為に外に出ている時だったのです。中には誰もいませんでしたから、被害はありません」

「……そっか。なら、リズも無事なんですね」

「……リズさん……ですか?」


 ソニンの言い回しに思う所はなくなかったが、とりあえずリズの無事を確認してホッとしているカリンに向けて、不思議そうな視線をソニンは向けた。


「リズさんなら今日は用事があると言って昼食の時間前に帰宅しておりますよ?」


 「ひょっとして帰ってきていないのですか?」と、続けたソニンの言葉にカリンはぎょっとしてソニンに目を向ける。


「用事? なら、今日は殆ど教会にもいなかったって事?」

「え、ええ。……そう言えば今日はアレンも姿を見かけませんでしたね。最も彼は最近は村の巡回などしているので見かけない事も多いのですが……」

「村の巡回?」


 初耳だった。

 少なくとも、カリンはアレンが村を見回っている姿を見た事がない。

 もしもそんな事をしていれば、何かしらのトラブルが起こっていたはずだ。

 彼が今までトラブルを起こしていなかったのは、教会でソニンの傍にいたからだ。


「カリン! 無事だったか!!」


 情報交換をしながらソニンと共に中央広場に向かっていたカリンに声をかけたのはレイドだった。

 愛用の戦斧を担いでいる所をみると、先程まで村のみんなを守っていたのかもしれない。


「うん。私は無事だよ。それよりもみんなは……」


 頷いて答えたカリンに、レイドは渋い顔を見せる。


「何人かはヘルハウンドにやられちまったみたいだが、冒険者たちのおかげで今の所深刻な被害は出ちゃいねぇ。けど、それも時間の問題だ。ヒルダが村の中に入り込んだヘルハウンドを仕留めていってくれちゃいるがキリがねえ。そこで、たった今村長がこの村を放棄して逃げる事を決めた。お前もすぐに住民達の保護に回ってくれ」

「わかった。でも、まだリズが見つかってないんだよ。そっちにリズはいた?」

「リズ? いや、見てないな。お前と一緒じゃなかったのか?」

「……ううん。とりあえず、私はもう少し探してみるから、お父さんは先にみんなを守ってくれる?」

「いや、それは構わんが……!! カリンっ!!」


 カリンと向かい合って話していたレイドだったが、突然顔色を変えるとカリンを力一杯突き飛ばす。

 そして、全く想定外のレイドの行動にカリンは受身も取る事が出来ずに地面を転がり、何とか起き上がって目にした光景は──。


「……な……」


 ──に焼かれて、上半身を失って後方に倒れゆく変わり果てたレイドの姿だった。


「お父さぁぁぁぁぁぁああああぁぁああぁん!!」


 カリンの絶叫に集まっていた住民達も事の事態を目撃し、恐慌状態に陥りあたりに怒号が響き渡る。

 そして、父の亡骸に向かって走り出すカリン。


 既に周りが目に入っていない赤い髪の少女の疾走に対して、体当たりをするように前進を止め、彼女の頭を押さえつけて地面に倒れ伏したのはススだらけの修道服を着たソニンだった。


 そして、倒れた2人の頭上を舐めるように噴出された漆黒の炎は、中央広場で混乱の極みにあった住民たちをアッという間に飲み込み消し炭に変える。


「……そ……そんなことって……」


 ソニンは全身をガタガタと震わせ、それでもカリンを力いっぱい抱きしめて、その身を自らの体に隠すように包み込むと、恐怖で歯の噛み合わない口で絶望の呻き声を漏らす。


「何故この様な場所に【上級魔族グレーダーデーモン】が……神よ……!!」


 

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