第31話 赤く染まる空
マグナ教団の枢機卿がなぜレオン達に今回の依頼を指名してきたのか。
その理由まではわからなかったが、多くの護衛を引き連れてデミル村に現れた護衛対象の姿と立場をきいて、実力のある護衛を雇い入れている理由だけは理解することが出来た。
バラッグ領主バラッグ男爵の長女にして、現ハーゲル子爵の第一夫人であるセリア・ハーゲル。
それが今回の護衛対象者だった。
そんな立場にある彼女の護衛をする為の依頼人が、何故マダンテ枢機卿だったのかという疑問があったが、他の護衛の冒険者に話を聞いた所、彼女は敬虔なマグナ教の信者であり、大口のスポンサーであるという話だった。
(まさか、ここでバラッグ男爵、ハーゲル子爵、マグナ教団の三つの線が繋がるとはな……)
1人獣車に揺られながら、レオンは前方に見える馬車に目を向けて考える。
レオンにとっての平穏を崩した今回の騒動の始まりにして、現在も続いている不穏な空気の元凶こそ、この3つの組織のどれかでは無いかとレオンは考えていたのだ。
流石にそれぞれが足並みをそろえているという事はないだろうが、全てに関わっている人物が目の前にいる……という事になると、妙な邪推をしてしまうのも無理はなかっただろう。
(邪神に関するトラブルは終わった……少なくとも、領主とその関係者はそう考えている……筈だ。にも関わらず、このタイミングで俺たちを指名してまでの護衛依頼。どう考えても何かしらの思惑はあるはずだよな。そしてなにより──)
レオンは目を細め、射るような視線を馬車へと向ける。
(護衛としてアイリスを同じ馬車の中に招くくらいだ。確実にそのへんは探ってくる……か)
まさかアイリスがそのへんのヘタは打たないだろうが……。そんな不安を抱えながら、レオンは己の職務をこなす為に思考を戻していった。
◇◇◇
「ふふ。冒険者のランクを聞いた時は何かの冗談かと思いましが、実際に戦う姿を見てしまえば、良い噂の方が真実だったということがわかりますね」
「……悪い噂がどの様なものかは聞かんがの。満足してもらったようで何よりだ」
ろくに舗装もされておらず、決して乗り心地の良くない馬車の中でも上機嫌にコロコロと笑う子爵婦人の対面に座ったアイリスは、腕を組んだままぞんざいに答える。
初めはアイリスの無礼な態度に騎士と従者が苦言を呈したものだが、子爵婦人は寧ろそんなアイリスの態度に好意的に接し、逆に騎士と従者を別の馬車に追い払ってしまった。
その為、この馬車に乗っているのは子爵婦人とアイリスのみであり、何かがあった場合に真っ先に子爵婦人を守って剣を振るっているはアイリスだった。
ちなみに、先ほどの婦人の発言は、少し前に野党に襲われた際のアイリスの立ち回りの事を言っているのだろう。
「ええ。とても満足していますよ。貴女の事も、そして外の彼の事も。お二人共あのような田舎に篭っているのは非常に惜しい人材です。どうです? 今回のお仕事でハーゲルに赴いた際にそのままハーゲルに定住しては? その際は是非末永いお付き合いをしたいものですが」
「残念だが、相方が田舎での静かな暮らしを望んでおるのでな。我もあまり人の多い場所は好かぬしの」
「それは残念ですわ」
本当に残念なのか、それとも社交辞令なのかは不明だが、頬に手を当てて首をかしげる婦人の態度は、少なくともアイリスには本当に残念がっているようには見えた。
「それにしても──」
そんな婦人に対して、アイリスはぞんざいな態度はそのままに、婦人に疑問を投げる。
「何が目的かは知らんが、この様などこの馬の骨ともわからん輩を護衛もつけずに招き入れるなど、少々無用心が過ぎるかと思うがの」
「あら。馬の骨などとその様な事を口にするものではありませんよ? 私はただ、貴女と2人だけでお話したかっただけですのに」
「お話とな?」
「はい」
婦人はニッコリと澄んだ笑顔をアイリスに向ける。
「既にお気づきとは思いますが、貴女方の事は冒険者の方に頼んで少々調べさせていただきました。その報告が先日あったのですが、『あの村には邪神を倒せる人間はいなかった』というものでしたの。でも、でしたら誰が邪神の討伐をしたのかと疑問に思うではありませんか? その時にその冒険者が補足したのが、“複数でA級冒険者を討伐したのなら可能かも知れない”というものでしたので、冒険者アリアを殺害したと報告していた冒険者に指名依頼を出させていただいた次第です」
「なる程……あのハゲはお主の差金であったか」
「正確には私のお父様……ですね。最もその後に王都のマグナ教団に確認したのは私ですけど」
手の甲を口元に当てて笑う婦人にアイリスは僅かに眉を動かす。
「確認か……。マグナ神は……いや、聖女は何と言っていた?」
「ふふ。邪神は既にこの世にはいない。悪は去った……と」
「悪か……。ふん。まるで自分自身が正義である事を疑っておらぬかのようだの」
「疑っていないでしょう。マグナ神は大地の守護者。この世における至高の存在というのがマグナ教の教義ですもの」
「ふん。思うところは多々あるが口にはせんよ。実態はどうあれ、現状最も信者を抱えている教義に口を出すほど愚か者ではないつもりだしの」
「それが良いでしょう」
アイリスの態度からマグナ教団に対して良くない印象を持っている事は明白だったが、婦人は何も言わずに微笑み続ける。
そして、その笑顔のままに核心へと踏み込んだ。
「そこでお聞きしたいのですが、冒険者アリアを殺したのはアイリスさんとレオンさんのお二人……という事で宜しいですか?」
「……お主はどう思っておるのだ?」
訪ね返された婦人は窓の外に視線を向ける。
その視線の先には獣車に乗ったレオンがいた。
「初めは半信半疑でした。しかし、今は間違いなくお二人が殺害したのだと思っていますよ」
「……お主がそう思うのならそうなのだろう」
「否定なさらないのですか?」
「する必要があるのか? たかが冒険者が1人死んだだけだ。それも仕事。人を殺す事に思う所など……まあ、レオンはない事もなかっただろうがの。だが、我にとってはそれだけだ。仕事で1人人を殺した。それも1人に対して複数で。それに関して思う所がない以上、我からはこれ以上何もない。お主にとっても最上の結果が得られた。それで話は終わりではないのか?」
「ふふ……。たしかにそうですね」
婦人は居住まいを正すと柔らかな笑みを浮かべてアイリスを見る。
「今回貴女とお話できて良かったですわ」
「……そうか。我にとっては面倒この上なかったがの」
「まあ、そう言わずに。今後も何かあったらお仕事をお願いしても宜しいですか?」
「そういう話はレオンに聞け。我はレオンに着いていくだけだ。レオンが仕事を受ければ結果的に我が受ける事にもなろう」
「それではレオン様にお願いしておきます」
その後は事件とは関係ない雑談に終始した婦人とアイリスだったが、その様子はハーゲルに到着するまで続いた。
その空気にアイリスが辟易していたのは言うまでもなかった。
◇◇◇
「では、レオン様。先ほどのお仕事のお話、考えておいて下さいね? それではご機嫌よう」
ハーゲルに到着し、屋敷に向かって走り去る馬車を見送りながら、レオンは疲れたように顔を歪めながら肩を回した。
「……なんていうか、独特の空気を持った人だったな」
「素直に疲れる人間だったと言ったらどうだ? 少なくとも我はもう会いたくないぞ」
馬車が見えなくなった所で獣車まで引き返し、荷台に乗ったアイリスがぼやく。
そんなアイリスに表情では同調しながらも、御者台に乗ったレオンは言葉だけは取り繕った。
「今後も仕事で顔を合わせるかも知れないんだ。あまり悪く言うと何されるかわからないぞ?」
「まさか受けるつもりなのか? 今回あのハゲを村に送ったのはあの女だぞ」
まさか今後も仕事を受けるつもりだと思わなかったのだろう。
アイリスは珍しくレオンに対して非難するような視線を投げるが、レオンはそれに対して苦笑する。
「調査を送ったのは間違いないだろうな。でも、監視に関しては多分関わってないと思う。恐らく、そっちは別口だ。なんて言うか、嘘をついてるような感じしないんだよなあの人」
「それは……そうかもしれんが……」
たしかにアイリスの視点から見ても、セリア・ハーゲルという人物は裏があるようには見えなかった。
寧ろ、聞いてもいないこともペラペラと喋っている印象の方が強い。
「そうかもしれんが、我はもう関わりたくない」
「そうか。それじゃあ、断れそうなら断ることにするよ」
「いいのか?」
「ああ。まあ、たしかに面倒くさそうな人だったし」
既にハーゲルの街から離れたからだろう。
ようやく素直な言葉を口にしたレオンにアイリスはホッとする。
「それよりも、帰りは少し急ぐぞ。今回の依頼人があの人であった以上何もないとは思うけど、遅く帰ったらうるさい奴がいるからな」
「そう言えば我が儘を一つ聞いてやると言っていたの。今から覚悟を決めておいた方がいいのではないか?」
「……そうだな。でも、あんまり酷い要求はされないと信じてるよ」
「そこは信じたい……の間違いだの」
既に後方にハーゲルの街の姿は消えて、バラッグ領に向けて獣車は走る。
少なくとも、この時の2人はまだ冗談を言い合う余裕があった。
◇◇◇
「……何だ?」
それから三日後の夜の事。
村までの距離が近くなってきた事もあり、暗くなっても獣車を走らせていたレオン達だったが、向かう方向の空が赤く染まっているのを目にする。
「夕焼け……のはずないよな。あれは──」
「火だの。あの場所で何かが燃えておる。それも、広範囲でだ」
アイリスの言葉に一瞬でレオンの顔から血の気が引く。
これまでの距離、これから進む距離と方角。それから周りの景色を照合した結果、あの場所に何があるか気がついたからだ。
「アイリス!! 悪いが先に行ってくれ!! このまま俺達に合わせていたら、何かあった場合間に合わなくなるかもしれない!!」
「……いや……あれではもう……」
アイリスには遠目にも関わらずその様子が見えるのだろう。
何かを言いかけたようだったが、その言葉もレオンの表情を見て止める。
そして、視線を逸らし口を引き締めると何とか一言だけ紡ぎ出した。
「……心得た」
そして、一瞬で飛び立つアイリス。
その消えた姿を追うように、普段はあまり使わない手綱を強く叩くと、レオンはウィルに発破をかけた。
「頼むウィル!! 全速力で飛ばしてくれ!!」
「ウォン!!」
ウィルは答えるとこれまで悪路から抑えていたスピードを開放し、飛ぶような速度で街道を走る。
それにより暴れまわる御者台からウィルの背中に座る場所を移り、レオンは焦燥したように赤く染まった空を見る。
みるみる近づくその光景は、既にその炎の元が何であり、その結果その場所がどうなっているのかも容易に想像できてしまい──。
「ヤメロォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
ただ、レオンの叫び声が赤く染まった空に向かって響き渡った。
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