第30話 ハーゲルまでの道
サイモンと遊んだあの日。結局帰ったのは次の日になってしまった。
それでも、今回は前回のように死を覚悟するような状況になる事はなく、普段無断外泊してしまった時と同じようにカリンからの質問攻めと文句を聞いて、リズから外泊するときは一言欲しいと釘を刺された程度で落ち着いた。
理由は帰宅時間が遅くなった所で様子を見に来たアイリスが全てを2人に話してくれたお陰だった。
前回あれ程怒られたのに今回はこの程度で済んだことでやや理不尽な物を感じたレオンだったが、今回に関してはサイモンの手当てと言う立派な理由があったからだろうと解釈した。
さて、その様な事はあったものの、その後のデミル村は落ち着いた雰囲気を取り戻し、一ヶ月程は落ち着いた平和な時間が流れた。
頼んでいた自宅の増築工事も終了し、既に寒くなり始めた外からの冷気もしっかりと防いでくれるようになった壁にレオンはホッと胸をなでおろした。
また、増えてしまった家族用の個室も新たに作られて、プライベート空間とベッドが確保出来るようになったのもレオンの心境を軽くする効果を得ていた。
そんな、リフォームされた空間に、現在4人が向かい合って座っているのは嘗てレオンの寝室だった場所──ただ、一部屋しかなかっただけだが──であり、現在では応接室となっている広間だった。
現在はベッドも机も取り払われており、今までよりも遥かに広々として見えるその部屋は、現在は半ばウィルの寝床と化していたが、何かの話し合いや、食事の時間などはこうして集まる場所でもあった。
「ハーゲルまでの護衛依頼?」
先ほどギルドで依頼を受けてきたレオンの報告を聞いてピクリと眉を動かして怪訝な声を出したのは、湯気のたったコップを口元に運ぶ途中だった赤髪の少女カリンだった。
「ああ。だから、しばらくの間は留守になる。けど、今回の依頼はアイリスも一緒だから危険はないし、安心して欲しい」
こちらは特に問題ないとでも言うように口するのはコップからお茶を啜ったレオンだ。
だが、そんなレオンの態度に何か感じることがあったのか、当のカリンは眉を寄せて唇を尖らせた。
「アイリスと一緒に行く事がどうして安全に繋がるのかわからないんだけど」
「道中の身の安全の話をしてるんだよ。この村にアイリス以上の護衛は存在しないと思うが」
「それは物理的な安全でしょ? レオンの身の安全を考えたら決して油断できないと思うんだけど」
「すまん。俺にはお前の言っている事が理解できない」
当然反対されるだろうと覚悟していたレオンだったが、どうにも反対の理由が想定していたものと違ったのか、顔を顰めてコップをテーブルに静かに置く。
「……今回改まってその話を私達にしてきたって事は、私とカリンさんは今回留守番って事?」
そんな2人のやりとりを聞きながら訪ねてきたのはリズだ。
恐らくこれから教会に出勤するところだったのだろう。その身にマグナ教の神官の服を身に着けていた。
以前リズが来ていた一切肌を見せない格好とは違うが、それでも余り肌を見せないような作りになっている事から、元々宗教関係者の着る服というのは似たようなものなのかもしれない。
「ああ。最も、カリンに関してはこの家のっていうよりは、この村の留守番だな。俺たち……というより、アイリスがいない間に何かあったらまずい。言ってみればこの村に何かあった時の保険だよ」
「そう。なら私の役割は?」
リズの言葉にレオンは感心したような視線をリズに向ける。
どうやら、リズは自分の感情には左右されずにちゃんとした考えを持つ事が出来るようだった。
どこぞの2人とは大違いだった。
「神官としてのお勤めをしつつ、マグナ教団の動きを監視していて欲しい。ソニンさんに変な考えがあるとは思わないけど、アレンは別だしその他に教団関係者が訪ねてくる可能性があるからな。何かあったらすぐにカリンか村長……若しくは、ヒルダさんかアンドレに報告して欲しい」
「レオン。もしかしなくてもまだ教会の人の事警戒してるんだ」
「寧ろ、警戒しない理由が無い」
カリンの言葉にレオンは首を横に振って答える。
サイモンとの絡みでサイモンがこの村の戦力の調査に来ていた事はわかったが、その事実はサイモンが“監視者”では無かったという新たな事実を知っただけだった。
実は、レオンはずっとサイモンが監視者だと疑っていたのだ。
これまでの付き合いでソニンはその様な腹芸が出来るような人間とは思えなかったし、アレンは余りにもお粗末すぎた。
つまり、消去法でサイモンが怪しいと考えただけだったのだが、そのあてが外れた以上他に監視している人間が居るはずなのである。
「今までだったらこんな心配しなかったんだけどな。でも、このタイミングでハーゲルの街までの護衛依頼。それもマグナ教団からの指名依頼だ。幾らなんでも怪しすぎる」
腕を組み、眉を寄せて呻くように口にしたレオンに対し、不思議そうに問い返したのはカリンだ。
「そんなに怪しいなら断っちゃえば良かったのに。それに、そんな依頼を出してくるくらいなら、やっぱりソニアさんが怪しいんじゃないの?」
だが、そんなカリンの疑問にも、レオンは首を横に振る。
「依頼主はソニンさんじゃない。何でも王都の神殿に居るっていう枢機卿マダンテ様だそうだ。流石に断れる相手じゃなかった」
「……枢機卿マダンテ様……」
想像以上だったのか、リズが絶句したかのように声が漏らす。
カリンもその言葉にようやくレオンの懸念に気がついたのだろう。眉を寄せて疑問を口にする。
「どうしてそんなお偉いさんが口出してくるのよ? 怪しいのは領主様じゃなかったの?」
「俺に聞くなよ。どうしてそんなビッグネームが出てくるのか、俺の方が知りたいくらいなんだから」
両手を上げてお手上げのポーズを取ってみせるレオンに対して、言葉をかけたのはこれまで彫像のように黙っていたアイリスだった。
「ともあれ、現時点ではどちらが本命かわからんからな。レオンを排除するために動いているのか、単純にレオンをこの村から引き剥がしたいだけなのか……わからん以上は出来るだけ戦力は分けた方がよかろ? レオンに関しては我がいれば事足りるし、それ以外の戦力を村に残しておけばそうそう遅れも取るまい。最も、邪神や魔族クラスの相手が現れたらその限りではない……がの」
「それはあんた達だって同じでしょうが」
ようやく肩の辺りまで髪が伸び、もう少年に間違われる事も無くなったアイリスに対してカリンが噛み付く。
カリン自体アイリスの強さは知ってはいるものの、流石に邪神相手に戦えるとは思っていないのだろう。
「言いたい事はわかるけどな。でも、断れない依頼である以上こちらとしても対策は立てなけりゃいけない。既にこの話はヒルダさんとアンドレ。それから村長にも伝えてある。後はお前とリズが納得してくれれば終わる話なんだよ」
「何で私達が最後なのよ」
「お前が一番ゴネそうだったからだ。外堀が埋まってればお前も頷くしかないだろう?」
レオンの指摘にカリンは顔を顰める。
本当ならば反論したかったのだろうが、言い返す言葉が出なかったのかもしれない。
「私はそれでいいよ」
変わりに返事をしたのはリズだった。
姿勢を正してまっすぐにレオンを見つめている。
「悪いな。多分、一番神経を磨り減らす役目なのがお前だろうから。ただし、絶対に深入りはするなよ。何かちょっとした違和感だけでもいい。何かわかったらさっき言った人達に話せ」
「わかった」
レオンの言葉に頷くリズ。
そんなリズの様子を見たあとに、レオンは再びカリンに視線を戻す。
その視線を受けて、思わずうっと唸ったカリンだったが、やがて渋々といったていで頷いた。
「……わかったわよ。どーせもう私一人が反対したってどうにもならない状況なんでしょ? それならやれる事やってやるわよ」
「ごめんな。帰ってきたら少しくらいの我が儘は聞いてやるから、村の人達の事頼んだぞ?」
「約束だからね」
リズは出勤、カリンは自宅に戻るためだろう。お互い立ち上がるとレオンに向かって顔を向ける。
「それで、出発はいつなの?」
「一週間後の予定だな。王都から教団の人達がくる日時で左右されるから確定ってわけじゃないけど、そんなすぐってわけじゃない」
「……一週間後は十分すぐだよ」
ショボくれた顔で文句をいうカリンに笑いかけながらレオンは立ち上がると、真っ赤な髪に右手を這わせる。
「アホ。今生の別れでもあるまいしそんな顔すんな。少し遠くに行くって言ってもハーゲルに行って戻ってくるだけの簡単なお仕事だ。それこそ、10日もあれば戻って来れる道程だろ?」
「それは何も無かったらって前提の話でしょ?」
「我がいて万が一も起こるものか。お前は我らの事は心配せずに自分の成すべき事だけ考えるのだな」
「……わかってるよ。もう」
アイリスの言葉にカリンは拗ねたように答えると、朝食の片付けをしてレオンの部屋を後にする。
そして、そんなカリンの後に続くようにリズも2人に声をかけた後に部屋からその姿を消した。
「……心配だの」
2人がいなくなってしばらくたった頃、椅子に腰を下ろしたままだったアイリスがポツリと呟いた。
そんなアイリスに振り向いて、レオンは先ほどのやりとりを思い出して同調する。
「ああ、そうだな。でも、ああ見えてカリンは一流の剣士だ。よほどの事がない限りは何とかしてくれるよ」
「いや、カリンもそうだがリズがの……」
「リズ?」
アイリスの言葉にレオンは意外な名前を聞いたとばかりに首をかしげる。
これまでの様子を見てみてもリズには問題ないように思えたからだ。
「幾らなんでも聞き分けが良すぎる。本来のあやつはあそこまで聞き分けが良い人間であったか? 我の勝手な印象かもしれんが、あやつは譲れん事は譲れんとはっきり主張する人間だったように思う。それが、お前が危険かも知れないという話にも何の反論も挟まなんだ。流石に違和感を覚えての」
アイリスの言葉にレオンはリズという少女の事を考える。
ここ最近は大人しい様子だったが、確かに出会った頃の……特に、レオンと対峙した時のリズはもう少し自己主張が強かったように感じた。
「……まあ言われればそうかもしれないけど……。今は居候みたいな状態だし、遠慮してるんじゃないか?」
「……遠慮か……いや、あれは遠慮というよりも……」
アイリスは腕を組んだ状態で天井を仰ぎ見て……言うべきどうか悩んでいるような素振りを見せた後、結局は思った事を口にした。
「あやつ……ひょっとして今回の件でお前に危険が及ばぬ事を何となく感じておるのではないか? それを確信するような何かを、これまでの生活で得ていたか……」
「…………」
アイリスの言葉にレオンは考え込む。
しかし、そこまで口にしたアイリスはそんなレオンの様子を目にすると、両手を左右に振った。
「いや、流石にそれはないか? すまんなレオン。別にお前に心配かけさせたくてこの様な話をしたわけではないのだ。許せ」
「いや、いいよ。確かに心配じゃないと言えば嘘になるし──」
そこでレオンは窓に視線を向けて活気に満ちているデミル村の様子を目に焼き付ける。
「──こんな訳のわからない状況で村を離れなきゃいけないのは変わらないんだ」
「……そうだの」
平和な村を目にしながら2人が口にした思いは完成したばかりの自宅の壁に吸い込まれるように消える。
この一週間後、2人はマグナ教団の護衛対象者を引き連れて村を出発する。
──そして、この出発こそ、レオンにとっての長い旅の始まりだった──。
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