第29話 男達の遊戯 後編

(殺気が……消えた? いや、殺気だけじゃねぇ。気配まで薄く……)


 『殺してしまってもいいか』そう聞いてきたレオンの言葉に頷いた直後に起こった現象に、サイモンは唇をひと舐めすると前傾姿勢に移行する。


(何か隠し玉は持ってるだろうとは思ってた。しかしコイツは……もしかしなくても“裏”の技か)


 ──裏の技──


 それは一般的に出回っていない戦闘技術を一言で括った乱暴な言い回しではあったものの、その本質はどの技術においても同様であった為に殆どの場合はその一言で全てを説明する事が出来てしまっていた。


 魔術であれば禁術。武術であれば各流派の秘匿された技術がそれにあたり、大抵な場合はとても表に出すことの出来ない非人道的なものか、殺人を主目的にした業である事が殆どだった。


(奴の本来の職業は“剣士”って事だったが、どちらかといえば魔術の方が得意そうだった。例外は格闘術だが、そいつは俺の方が地力が上だ。“裏”の技とはいえ、目的と手順が違うだけで本質は同じだから此方の優位は変わらねえ)


 サイモンはゆっくりと回り込むようにレオンにいつでも攻撃出来るように体勢を整えていたが、最後の一歩を中々踏み出せないでいた。


(……優位は変わらねえ筈なんだ。なのに、何だ、この気味の悪さは……)


 サイモンの“眼”は前方のレオンを確かに捉えている。

 しかし、それ以外の五感の全てがレオンの存在を認識せずに、困惑しているように感じた。

 だが、いつまでもそうして向かい合っているだけでは始まらない。

 これまではレオンが詠唱を始めようとするタイミングで飛び込んで妨害しつつ攻撃をしていたサイモンだったが、今回は勝手も変わった事もあり、自らレオンに向かって飛び込んだ。


 足が地面を叩く踏み込みの音と舞い上がる砂煙。

 一瞬でレオンとの距離をゼロにして、更には瞬時に体を回してレオンの側面から練気の拳を振るうサイモン。


(とった!)


 確実に当たると確信を持って振り抜かれた拳はしかし、陽炎のように揺らめきながら消えたレオンの残像を突き抜ける。

 そして、一瞬だけ煌く魔力光。


 その光を視界に捉え、サイモンは動きを止めずに回転し、脚を振り抜き、その勢いを持って先ほどの光源に向かって速度を重視した左拳を振り抜く。

 しかし、その拳は再び空を切り、更に視界の先に魔力の光が一瞬煌く。


(……くそっ! 気配が完全に消えてやがる!! 魔力の光が見えるって事は魔術か? いや、魔術にしては魔力が小さい)


 光に誘われる虫のようにサイモンは視界に映った光に向かって拳を振い、蹴りを放った。

 しかし、そのどれもが空を切り、徐々にサイモンの体力を奪う。


 どれくらいそうしていただろう。

 流石に息が上がってきたのか、一度レオンと距離を取るために後方に下がろうとした瞬間にそれが起こった。


「!!」


 それはサイモンに備わっていた危機察知能力だったのか、それとも、第六感とも呼ばれる本能だったのか。

 ともかく、後方に下がろうとしたサイモンの足を止め、背中に流していた汗が一瞬にして氷を突っ込まれたかのような感覚を覚えた。


「やられたっ!!」


 思わず口に出してしまったのは自らの失態を自覚してしまったからか、それとも、に気圧されてしまったからなのか。


 脚を止めたサイモンの目の前に突然現れた強烈な殺気をまとったレオンは、唐突に魔力を帯びた体を晒し、サイモンに向かって拳を引き締め、光の戻った瞳を向けていた。


「暗殺者の【気配遮断】の技術と…………魔幻士の【魔導トラップ】の組み合わせかよ!!」


 恐らく、それだけではないだろう。

 そうでなければサイモンの攻撃をあれ程鮮やかに回避していた説明がつかない。

 しかし、実際に今確実に判明している使われた技術に驚愕し、サイモンは叫ばずにはいられなかった。

 複数の技術を持っていた事は知っていた。

 しかし、まさかそれを扱うことが出来るとは思っていなかったのだ。


 ──そして。


 サイモンが躊躇したのは時間としては僅かだった。

 しかし、その僅かな時間にレオンは魔術の詠唱己の力を滑り込ませた。


「我は願う! 古き盟約の名において我が身体に活力を満たせ!」

「!! しまっ!!」


 サイモンの周囲にめぐらされた対象を死に至らしめる魔導のトラップ。

 そのはサイモンの前方──レオンまでの道筋にしか存在しなかった。


 ただ、それを探っていただけのそれだけの時間。


 その時間にこれまで完璧に封じてきていたレオンの魔術の詠唱を許してしまっていた事に冷静さを失ってしまったサイモンの動きに、レオンは両足を大地に縫い付け、身体活性によって大きく向上した練気の力を右拳に集中し、サイモンの動きに合わせて振り抜いた。


「遅い!!」


 飛び込みながらも腰の入っていないサイモンの右腕は空を切り、その腕に交差するように飛び込んだレオンの拳がサイモンの腹を捉えて抉る。

 本来であれば後方に吹き飛び、多少なりとも威力を殺す選択をサイモンもしただろうが、後方に存在するのは即死級の魔導トラップだ。もしもこのまま後方に吹き飛ばされたらサイモンの体はたちまち細切れになってしまっていただろう。


 だからこそサイモンはレオンの拳をそのまま受け止め、歯を食いしばってその威力に必死に耐える。

 だが、身体活性で威力の倍増したレオンの拳は、容赦なくサイモンの臓腑を抉る。


 それでも、サイモンは最後まで後方に下がる事を拒否し続け、血反吐を吐いてその場に崩れ落ちたが、遂に後方に下がることは無かった。


 それは、拳一つで生きてきた男の最後まで譲る事の出来なかった意地だったのかもしれない。



◇◇◇



「……負けちまったなぁ……」


 サイモンがそんな事を口にする事が出来たのは、度重なるポーションの摂取により、ようやく内蔵の損傷が問題のないレベルにまで回復してきた頃だった。


 既に辺はうっすらと闇が落ち始めており、草原に大の字になって転がっているサイモンの傍らに座っているレオンの前に揺れている焚き火の炎の灯りが、辺りを染め始めていた。


「結果的にはそうなりましたけど、サイモンさんが要所要所で手を止めてくれていなかったら、立場は逆転していましたよ」

「それはそっちも同じだろう。お前が最初から本当の力を使っていたら、そもそも前半の苦戦もなかった筈だ」

「それは……サイモンさんが死ぬのは無しって言ったからで……」

「ああ、そうだな。そうだったわ。俺の言い方がまずかったな」


 レオンが最後に使ったのは暗殺術だ。

 つまり、相手を殺すための技術である。

 当然、“殺しは無し”の戦いで使うべきモノでは無かった。


「それにしても、ポーションの作成までやれるとはなぁ……薬剤師のスキル持ちってどんな生き方をしてくればそんな多種多様な技術を身に付ける事が出来るんだか」

「普通の人生では無かったのは確かですね。でも、俺が覚える事が出来るのは触りだけで、その道を極める事が出来ないんです。だから、この世界で生きていく為にはとにかく沢山の事を覚えるしかなかった」

「一つの道を極められない……か」


 サイモンは呟くと、右手の拳を握って空に掲げる。


「その道のプロと同じ技術でやりあったなら、確かにそれ以上の不利な条件はないよな。それだけ聞くと確かに冒険者としては失格だわ」

「…………」

「……けど……よ」


 そこまで口にして、サイモンは右腕を地面に落とすように下ろし、まだ内臓が痛いのか苦しそうな息を吐いて。


「何も出来ない。役にたたないように見えて、色んな技術を組み合わせてなんでもやっちまうお前の才能は、俺にとっちゃ羨ましいもんだ。多分、そう思うやつはこの世の中に沢山いる」

「……羨ましい……ですか?」

「ああ。そうさ」


 サイモンは笑い、再び拳を握ってレオンに向ける。


「俺にはコイツしかなかった。本来であれば幾重にも続いている可能性という名の進むべき道の選択肢も、コイツを使う以外の選択肢は殆ど選べなかったのさ。わかるか? 限られた道しか選べない人生の辛さが。そんな道しか選べなかった人間にしてみれば、今のお前はとてつもなく羨ましい存在だろうさ」


 サイモンの言葉にレオンの脳裏に1人の少年の姿が浮かぶ。

 剣の才能しか持たず、しかし、その才能を切望された赤毛の少年。

 いつか戦うことを宿命づけられ、それでも後ろを付いて回っていた愛しい存在。


「……俺の才能は──」


 レオンは口にして空を見上げる。

 うっすらと輝きだした星空が何だかぼやけた様な気がした。


「──ひょっとして既にこの手の中にあった……?」

「今更何言ってんだ?」


 レオンの言葉にサイモンは笑う。

 それはとても軽く、当然だとでも言うように。


「この俺様をここまでボコボコにしておいて、才能が無いはないだろう。そんなこと言われたら、俺の立つ瀬が無くなっちまうよ。きっと、アレンも……そして、これまでお前にやられた連中も全て……な」


 レオンの頭に次に浮かんできたのはだった。

 A級冒険者にまで上り詰め、それでもレオンに敗れた従兄妹。

 彼女もそんな気持ちだったのだろうか?

 それでも、今はリズと名乗ってレオンについてきてくれている。

 その心情を図る事は出来ないが、それでも彼女はレオンに対して“強い”と言ったのだ。


「今回の依頼……な」


 空を見上げたまま下げようとしないレオンに向かってサイモンが口を開く。


「『デミル村に邪神を倒せる冒険者は存在しない』と報告はする。恐らくそれでも何らかの厄介事は起こるだろう。それでも、俺は安心して帰る事にするぜ。自信を持って報告するぜ。何しろ俺は──」


 そこでサイモンは口端を釣り上げ嬉しそうに笑って。


「──デミル村には大量の初級技を工夫して組み合わせる凄腕が……それこそ、邪神でさえも倒しちまうような才能の持ち主が居るって知ってるからな」


 サイモンのそんな言葉にもレオンは視線を下げる事はなく、変わりに頬に小さな光が反射する。

 その光景をサイモンは見なかったフリをして瞼を落とした。


 ようやく自分の進む道を見つけたであろう若者の今後の幸福を願って。

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