第26話 信仰無き拳

「……生きてるって素晴らしい……」


 朝日が差し込む床の上。

 細切れにされたテーブルの欠片に埋もれるように目が覚めたレオンの目に一番最初に飛び込んできたのは、何やら焦げ付いた天井だった。


 とりあえず、部屋に朝日が差し込んでいるという事は誰かが起きて窓の木板をはね上げたのだろう。

 レオンは上半身を起き上がらせると、丁度隣で丸くなっていたウィルのお腹を撫でながら大きなあくびをして周りを見渡す。


 ──一言で言うなら酷い有様だった。


 天井が焦げているということは、どこかの馬鹿が夜中に魔法をぶっぱなしたということだし、テーブルが細切れになっているという事はどこかのアホが夜中にテーブルを切り刻んだという事にほかならないのだ。


 一応、その当事者の1人である金髪の少女はベッドの上でスヤスヤと安らかな寝息を立てているが、残りの二名に関しては行方知らずだ。

 最終的にレオンの必死の説明で粗方誤解は解けて、こうして命を繋いだわけだが、勘違いをこじらせて最も大暴れしたのが今しがた姿が見えない2人である。

 つまり、こうしてレオンとリズが止めを刺される事もなく無事に朝日を浴びる事が出来たということは──。


「……逃げたな」


 レオンは呟き、頭を乱暴に掻きむしった後立ち上がる。

 どのみち今日はソニンに会って、色々とやらなければならない事があるのだ。

 焦げ付いた天井どころか大穴の空いた壁を目にして溜息をつきながらも、レオンは活動を始めるのだった。



◇◇◇



「それで。どうするつもりだ?」


 レイド武具店の台所の一角。

 そこで食材を目の前にして2人並んで包丁を握っているのは、件の行方不明者2人組だった。


「どうするって……まるで私だけが悪いみたいに言わないでよ」


 ぷうっと頬を膨らませたのは赤髪の少女カリンだ。

 恐らく寝ていないのだろう。うっすらと両目の下に隈ができていたが、特に気にする素振りもなく包丁を食材に落とす。


「確かに貴様だけの責任ではないがの。ありのままを報告した我とリズに対してある事ない事吹き込んだのは貴様であろ?」

「ある事ない事って何さ。言っとくけど、レオンがその女の人に鼻の下伸ばしてたのは本当なんでしょ? だったら、全部が全部勘違いってわけじゃないじゃん」


 イライラしたようにカリンは乱暴に食材を切り刻む。

 勿論、レオンの説明で昨晩の事が誤解であるという事は分かっていたのだが、感情面までは納得いかないのだろう。


「まあ、そうだがの……。だが、あやつも男だ。美しい物を見たら見惚れる事もあるだろうて」

「私そんな風に見られた事一回もないんだけど!」


 食材を切り終えたのだろう。手にしていた包丁を勢いよくまな板に突き立てて叫んだカリンの顔をアイリスが眺める。


「まだ子供ではないか」

「アンタにだけは言われたく無いんだけど!?」


 目を剥いたカリンの言葉にアイリスは内心溜息を吐く。

 確かにカリンの言う通り、アイリスの見た目はカリンと大差は無い。

 しかし、実際にはこの世界に生きる誰よりも長く生きており、アイリスから見ればこの世界の人間は誰もが子供の様なものだった。


 最も、それを口にしてしまえばアイリスが人間では無い事がバレてしまうし、そうなるとこの村で静かに生きようとしているレオンの望みを叶える事が出来なくなってしまう。


 だから、アイリスはその事には触れずに諦めたような口調で現実的な問題点を口にする。


「……ともあれ、朝食を持って行く時には家を壊してしまった事をレオンに謝らねばいかんの……」

「……それは……うん……」


 アイリスの言葉にカリンは直近の問題を思い出したのだろう。

 バツの悪そうな表情のまま、先ほどとはうってかわってノロノロとした動作で丁寧に切った食材を鍋に入れている。


 その姿を見て、どうやら本日の朝食の時間は遅くなりそうだとアイリスは人知れず溜息を吐いた。



◇◇◇



 いつもならば朝食を食べている時間になっても2人が現れなかったため、レオンはリズを伴って村の中を歩いていた。

 目的は、マグナ教の司教であるソニンとデミル村の村長であるデュランの仲介だ。


 これは昨日の帰り道にソニンから聞いた事で、今回の布教に関してはマグナ教団にとっても本当に急な話であり、ソニン達の布教とデミル村への代表者への通達と親書を届ける事がセットになっているという事だった。


 つまり、今回の件に関しては、ソニンがデュランに会う事で初めて彼女達の目的がデミル村に知れ渡るという事を意味していた。

 そう考えると、昨晩のカリン達がレオンの行動に疑いを持ったのもある意味では道理である。


(とは言え、どうしてこんなに急いでマグナ教の人間をこの村に派遣する事になったんだ? ……まあ、何となく理由はわからないでもないけど……」


 考えながらもレオンは隣を歩くリズに目を向ける。


 恐らくだが、領主は前回の依頼においてマーロゥを倒した冒険者を監視しようとしているのではないか。

 その監視にマグナ教団という組織を使った理由としては、取り付かれていた冒険者が神官だったからだろう。


 通常、現在の神聖魔術を使用することの出来る信仰は【大地の神マグナ】のみである。

 つまり、神聖魔術を使用することの出来る神官は、マグナ教の関係者のみであり、当然、神官アリアもそう思われている。

 だからこそ、関係者であるマグナ教団の人間に、本当にアリアが死亡しているかどうかの確認もさせたかったのかもしれない。


(まあ、そもそも関係者じゃないから確認なんて出来ないだろうけど)


 リズに視線を向けながらその様な結論をだしたレオンだったが、レオンに見られていた事に気がついたリズは違う意味で見られていたと思ったらしい。

 直ぐに視線を泳がせながらオロオロとした仕草をした後に頭を下げる。


「えっと……ごめんなさい……」


 既に起きてから何度目になるのだろうその謝罪に、レオンは足を止めてしまったリズの手を取って再び歩き始める。


「だから別にもういいって。話を聞く限りリズはあの2人に乗せられた様なものだったみたいだし。そりゃ、折角これから一緒に生活していこうって言っていた矢先に見捨てられると思ったら不安にもなるよね。未だに謝りもせずに逃げ回っている2人にも見習って欲しいくらいだ」


 笑顔でそう口にするレオンだったが、リズはまだ少し納得できないのか眉を八の字にして黙っている。

 そんなリズの様子を見ながら、いずれ時間が解決するだろうと、レオンはそのままリズの手を引いて目的地まで歩を進めた。


 目的地である【フロンティア】はデミル村に一軒しかない宿屋だ。

 この様な僻地で果たして生活していけるのだろうかと当初は不思議に思っていたレオンだが、この宿は宿泊は勿論、食堂や酒場としても機能しており、何より、この宿以外の外食できる店はデミル村には存在しなかった。


 そして、開拓地の玄関口とも呼ばれるデミル村は宿泊客もそれなりに居るため、生活できる程度の利益は上げているという事だった。

 何より、デミル村にきたばかりの頃のレオンもこの宿には随分とお世話になったため、ここの食事が美味であることも知っていた。

 最も、現在はカリンの世話になっている事もあり、あまり利用しなくなってしまったのが……。


 さて、そんな懐かしい宿であるフロンティアだったが、その入口には懐かしくもなんともない人物が入口を塞ぐように立っていた。

 グレーの板金鎧に腰には長剣。ブラウンの短髪に鋭い眼光を手当たり次第に周りに向けている姿は、余りにもこの村には似つかわしくなかった。


 最も、レオンとしては馴染んでもらっては困る人間ではあったので、殊更気分が不快になる。

 さらに、昨晩危うく殺されそうになった原因の一端がその男にあると思っているだけになおさらである。

 

 しかし、相手を不快に感じているのはどうやらお互い様であったようで、レオンの姿を目視した鎧姿の男の目が、大きく釣り上がった。


「何だ貴様は?」


 そして、いきなり喧嘩腰での問いかけに、レオンも不機嫌さを隠さずに近づく。

 そもそも、この男の事は絶対に殴ってやろうと思っていたので、相手から喧嘩を売ってくるならやり易いとも考えていた。


「何だもなにも、ここは宿屋で食堂だぞ? 村の人間が訪れるのになんの不都合もないと思うが?」

「ふん。残念だが、この建物は昨晩よりマグナ教団が接収した。用もないのに近くを彷徨かないでもらおうか」

「接収? そんな話は聞いてないぞ。そもそも、この宿……いや、この村にそんなルールはないはずだ」


 小さな村であるだけに、それぞれの施設は一種類につき一軒しか存在していない。

 当然、そういった施設が貸切になると住民たちが困るため、そういう行為はそもそも禁止になっているのである。

 それは領主だろうと貴族だろうと関係なく、それでも「貸切にしろ」と言ってくるような相手に対しては、通常村長の自宅を貸すことになっていたはずだ。

 当然、レオンはその様な話は聞いていなかった。


「ルール? その様なものは関係ない。マグナ教団が接収すると言ったら素直に差し出すのが人としての義務なんだよ。その様な事も貴様のような下賎な者には理解ができんのだろう?」


 ふんっ! と、馬鹿にしたように告げる鎧姿の男──アレンの態度にレオンは額に青筋を浮かべるが、殴りかかろうとした衝動はギュッと握られたリズの手の感触により何とか踏みとどまった。


「……まあいいや。それならソニンさんに面会だ。レオンが来たと伝えてくれるか?」

「却下だ。その様な話は聞いていない」


 アレンの返答に遂にレオンは睨みつけると、リズに握られていない右手の拳を固く握る。


「そいつは変だな。確か、俺はソニンさん本人から今日の朝に訪ねてくるように頼まれたんだが?」

「ソニン様……だ。貴様のような者がソニン様を親しげに呼ぶ資格など存在しない。いいからさっさとこの場から去れ!」

「質問に答えろ。ソニンさんから俺が依頼を受けた時にお前も傍に居たはずだ。これは明らかな契約違反だぞ。そいつは確かにソニンさんの意志なのか? もしもそうなら、この事をギルドに報告させてもらうぞ。確か、領主様からの依頼だということだが、教団に取って不利益になる事も承知の上なんだろうな!」

「ソニン様だっ! 何度言ったら貴様はぁっ!!」

「質問に答えろと言っている!! この無能騎士風情が!!」

「貴様ーーーー!!」


 レオンの言葉に激高し、遂に腰から剣を引き抜いて振り上げてくるアレンに対して、レオンは握られていたリズの手を解くと、発光させた右手の掌底をアレンの胸に叩きつける。


「ごあっ!」


 それだけで吹き飛び、宿の壁に叩きつけられたアレンの胸元に飛び込むと、レオンは気功を練った左手の掌底を鎧越しに叩きつけ、苦しさから下がってきたアレンの顎に気功を十分以上に練り込めた右拳を思い切り振り抜いた。


 すると、凄まじい打撃音と共にアレンの頭が後方に弾け飛び、後頭部から宿の壁に激突。そのまま壁を破壊して頭をそのまま壁の中に埋めると、痙攣しながらその動きを止めた。


「……剣士が簡単に懐に入られてどうする。後ろが壁で下がれないなら、せめて長剣を手放すか、短剣に持ち替えろ馬鹿」


 呆れたように呟くレオンの呟きはアレンの耳には届かなかっただろう。

 しかし、2人のを見ていた人物はいたようで、拍手と共にその人物がレオンとリズの前に現れた。というよりも、屋根の上から降ってきた。


「いやいや、お見事! アレンの奴が弱すぎて相手にならなかったというのは勿論あるが、それにしても鮮やかな手並みで感服した! そして、それよりも気になるのはその拳!」


 砂煙を上げながら着地した僧兵風の男──サイモンは笑いながらレオンの拳に指を向ける。


「まさかの【練気拳】の使い手とは! 昨日はモンスターテイムに魔術。そして今日は練気拳! まるで技術のビックリ箱であるなっ! 兄ちゃんは! そもそも、練気拳はマグナ教に信仰を捧げた僧兵のみに教授される秘拳の筈! ひょっとして、兄ちゃん俺達のお仲間だったのか!?」

「いや……マグナ教の信者ではないですよ。こいつは知り合いに教わった技術です」

「なんと! その知り合いとは誰だ?」

「すみません。それはこの技を習った時に言わない約束になっているので……」


 実際には嘗て戦った相手から模倣した技術だが、それは口に出さない。

 そもそも、この技を使ってきた男はレオンを散々痛めつけた後に名前も言わずに去ってしまったのだから、名前がわからないというのは本当だった。


「そうか。それにしても信者でもないのに気功に目覚めるとは凄まじい才能を持っているのは確か。それに、魔術もテイムも扱えるのであれば、それ以上の技術を持っているとも考えられる。どうだ? 兄ちゃん──」


 腕を組んでうんうんと考えながら口にしていたサイモンだったが、そこまで口にするとニヤリと笑い、レオンに近づき右手をレオンの肩に置く。


「──ちょっと俺とも遊んでみねぇか?」


 その瞬間、何やらゾッとしたものがレオンの背中を駆け巡り、思わず腰に下げた剣の柄に右手が伸びかけたが、その行為を止めたのもサイモンだった。


「──なんてな。邪魔も入っちまったし、後日にしようや」


 そう言って笑いながらレオンから離れたサイモンだったが、果たしてその発言が何処まで本気なのかの判別も出来ず、レオンはただ、その背中を見つめるしかなかった。

 そこへ──


「何事ですか!?」


 まだ眠っていたのだろう。

 夜着に乱れた髪の毛のまま、血相を変えたソニンが宿の入口に現れたのはそのすぐ後だった。


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