第25話 女三人寄れば──

 さてどうしようか……。


 村に帰り付き、家の前に立ったレオンが最初に考えたのがそれだった。

 既に辺りは深夜と呼ばれる時間帯。空は無数の星が煌き、降り注ぐのは月明かり。

 既に村に点在する民家は明かりが落とされ、静まり返った村は既に完全に眠りについている


 そう。

 筈だったのだ。


 レオンは「むう」と唸りながら腕を組むと、目の前の我が家に目を向ける。

 一見他の民家の様子と変わらない自宅であったが、窓に落とされた木板の隙間から明かりが漏れているのが分かる。

 

 こんな時間まで明かりを使うなんて油代が……等と説教で有耶無耶にする事も考えたが、まず間違いなく漏れている明かりはアイリスが魔術で生み出している魔法の明かりだろう。油代がかからない以上手痛いしっぺ返しが待っているに違いなかった。


 となると後はレオンをフォローしてくれる仲間が居るかどうかだが、現在レオンの隣にいるは尻尾を振りながらレオンの腕に顔を擦りつけているウィルだけである。

 村に着いた時にはバラッグからやってきたマグナ教団御一行が一緒にいたのだが、彼女らは村に着いて早々宿の場所を聞くなりさっさと宿に入ってしまった。

 司教であるソニンは獣車の御者台で眠っていたし、アレンとサイモンも相当疲れていたようだったから、今頃は宿のベッドの中で眠りについているだろう。


 レオンは無意識に大きな息を吐き出す。


 一応言い訳ならあった。

 そもそも、こんなに遅くまで出かけているつもりはなかったし、ソニン達をつれて帰る道程に関してもここまで手間取るとも思わなかった。

 それというのも、サイモンはともかく、想像以上にアレンが役に立たなかったからだが、それもこの際どうでもいいだろう。

 とりあえず、今はこの状況をどうにかする事が先決だった。


「……リズは……まあ、多分大丈夫だろう。きたばかりで多少は遠慮もあるだろうし、こっちの味方についてくれる可能性もある。それか、もう寝てるかも知れないしな。とりあえずアイリスは……ああ、そうだよ。アイリスは俺の居場所が分かるじゃないか。って事は、今この場所で俺が立ってることも知ってるのか」


 今更ながらに思い出したアイリスとの繋がりの件に、レオンは思わず頭を抱える。

 そうなのだ。

 アイリスにとっては現時点でレオンがどこにいるのかも手に取るようにわかるはずなのだ。

 それなのに──


「──それなのにこの静寂……か」


 今レオンの耳に入るのはリーリーと美しい虫の声と、緩やかな風に揺られて、静かに打ち鳴らされる草木の囁きのみ。

 明かりが漏れているにも関わらず、目の前の家の中からは全く音が聞こえなかった。


「……明かりを消し忘れて既に寝てる……って事は……いや、睡眠が必ずしも必要ではないアイリスが、俺がいないのに眠るわけがない……な」


 1つずつ指折り数えて可能性を潰していくレオンだったが、どう考えても己の都合の良い展開にはならないとここに至ってようやくたどり着いたらしい。

 諦めたようにヌルりと前進すると、疲れ果てた様子でドアノブに手をかけた。


 キイッ……と。


 普段だったら絶対に気にもしないドアの開閉音がやたら耳に残ったのは今が静かな夜だからという理由だけではないだろう。

 当然、歩を進めるごとに軋む床板の音も同様だ。


 ギシギシと一歩一歩を踏みしめて進むレオン。

 狭い家だと出かける時に感じた通り、玄関から部屋にたどり着くまでの距離は実に短い。

 それなのに、その距離が異様に長く感じて、レオンはさながら某国のスパイにでもなったような心境で足音を殺して明かりが漏れている居間というか寝室というか……そもそも一室しかないのだが、ともかく、ベッドとテーブルが置かれている広間にレオンは足を踏み入れた。


 そして、そこで見た光景はある意味では予想通りであり、ある意味では完全に予想から外れた──勿論悪い意味でだ──ものだった。


 テーブルを前に席についていたのはだった。


 部屋の入り口から正面。つまり、レオンから一番よく見える位置に座っていたのはリズだ。

 既に眠っているであろうと予想していた彼女だったが、特に眠そうな素振りは見せておらず、ただ、澱んだ瞳をテーブルの一点に向けている。果たしてそこに何があるのか。シミかなにかでも数えているのか? とでも思わせる程に感情の篭っていない瞳を浮かべる彼女は、元死の神の聖女という立場も相成って、ある意味ホラーである。


 続いて目に付いたのはベリーショートの銀髪少女アイリスだった。

 彼女の方は別段普段と変わりが無いように見えた。

 テーブルの上に両肘を付き、組んだ手の上に顎を載せて瞼を落としている。

 何か考え事をしている時の彼女の決まったポーズだが、魂の片割れたるレオンがすぐ傍にいる状況で一体何を考える事があるというのか。甚だ疑問である。


 そして──


 最も意味不明だったのがレオンに背中を向けて座っている最後の1人だった。

 肩口で切り揃えられた赤い髪。

 何故か

 どうやら腕を組んでいるようで、背筋はピンと伸ばされ、三人の中では僅かとはいえ小さい部類に入るはずなのに、その背中は最も大きく見えた。

 そして、その異様な雰囲気は、まるでその背から死の神の本体でも漂わせているのか? とでも問いたくなるような有様で、その構図から赤毛の少女──カリンが、目の前に座っているリズを威嚇して、気圧されたリズが魂を抜かれて項垂れているように見えなくもなかった。


 だが、そんな考察も静寂を引き裂く一言で中断されてしまったが。


「──おかえり」


 その一言は一体誰が発したのか。

 

 決まっている。


 右手に見えるアイリスは相変わらず瞼を落としたまま微動だにしなかったし、正面のリズも光の抜けた瞳でテーブルを見つめたままだ。


「……ああ。ただいま」


 レオンも答える。

 しかし、その場を動かずに。


「……座れば……?」


 だが、レオンの僅かな抵抗も、カリンの一言で粉砕される。

 その言葉でレオンは観念したように足を動かすと、カリンの左手前の席に腰を落とした。

 その位置から伺ったカリンの顔は──意外にも笑顔だった。


「楽しかった?」


 笑顔のまま、カリンが尋ねる。


「……いや……仕事だし。別に楽しくは──」

「──ほう。女と楽しく話しながらの帰り道に見えたが……随分と作り笑顔が上手くなったものだの」


 カリンの質問に恐る恐る答えたレオンだったが、予想していなかった方向から飛んできた鋭い声に思わずギョッとする。

 視線を向けると、変わらず両目を閉じたままのアイリスがいた。

 ……特に大きは変化は感じない……。


「……女の人かぁ……綺麗な人だったんだろうね」

「そうだの。年甲斐もなく顔を真っ赤にして見惚れるくらいには綺麗だったのだろうさ」

「お、お前っ!」


 カリンとアイリスのやり取りに、事の次第に勘付いたレオンは立ち上がるとアイリスに向かって指を突きつける。


「あれ程留守番してろって言ったのに、隠れて後を付けてきてたな!?」

「静かにしろ。近所迷惑であろ」

「あ……ああ……」


 アイリスの指摘にレオンも多少冷静さを取り戻し、再び椅子に腰を落としたが、既にアイリスに向ける瞳は油断のないものとなっており、1人だと思っていた敵が2人になってしまった事でより警戒心が高まっていた。


「別にお前との約束を破ったわけではない。そもそも、お前は我に留守番とやらを頼む時に何と言った? 確か『リズを1人にするわけにはいかないから』そう言っていたと思うがの」

「……確かにそう言ったが……」

「そして、今回。カリンがわざわざ家まで訪ねてきて留守番を変わってくれると言ってくれるばかりか、までしてきたのだぞ? はて? これは我の失態なのかの?」


 あくまで目を閉じ、手の上に顎を乗せた体勢を変えないまま淡々と言葉を紡ぐアイリスの様子に不気味なものを感じながらも、レオンは無駄だと知りつつも反論する。


「いや、そう言われればそうかもしれないけど、一応俺にもプライバシーってものが──」

「プライバシー?」


 しかし、レオンのそんな反論も、最後まで言わせる事もなくアイリスの言葉が遮った。

 そして、その時に開かれた瞳の色を見て、レオンは自分が何やら良くないものを踏んでしまったのだとようやく気付いた。


「言うに事欠いてプライバシー。しかしてその実態は女との逢引。しかも帰ってきたのが深夜ときた。はて? これが普通の感性を持つものならば、リズをダシにして仕事と偽り隠れてこそこそ遊びに行っていた……と、言われてもおかしくない状況ではないかの?」


 その両目は真っ赤に染まっていた。

 普段のアイリスの瞳の色は金色だ。

 そして、一緒に旅をしていたことのあるレオンは、アイリスがどの様な時に瞳の色を変化させるのか知っていた。


 即ち、だ。


 レオンは思わず声にならない悲鳴を上げて、椅子から立ち上がろうと腰を浮かせる。

 しかし、その動きを封じたのはやはり全く予想していなかった方向からだった。


「兄さん」


 村の人たちに“親族”だと説明してしまった以上、呼び方が“レオンさん”では何かとまずい。

 そんな理由から、リズはレオンの事を“兄さん”と呼ぶようになっていた。

 つまり、レオンの事をそう呼ぶのはリズだけだということになり、立ち上がろうとしたレオンの左手を咄嗟に握り締めたのもリズということになる。


「な、何だ……?」

「私……ダシに使われたの?」


 リズの言葉にレオンの顔から血の気が引いた。

 単純に言われた事に答えにくかったから……ではない。

 言葉と同時に握り締められていた手首の骨が砕けそうなほどに締め付けられたからだ。


 そこでレオンは考える。


 確かにリズはマーロゥの加護を失い神聖魔術を失ったが、その身に宿る膨大な魔力が失われたわけではない。

 そもそも、その魔力をほかの使い方に転用出来る事はほかならぬお墨付きなのだ。

 それこそ、呪文を使わないような簡単な腕力強化くらいならば半日もあれば習得するのではないだろうか。


「レオン……さぁ……」


 リズとアイリスに視線を向けて、何とかこの場から逃げようとしていたレオンだったが、その眼前に突如として突きつけられた細剣の刃に、今度こそ泣きたくなってしまった。


「平和的なお話し合い……しよ……?」


 細剣の刃をレオンの目の前でユラユラ揺らしながら、あいも変わらず笑顔で告げてくるカリンの言葉を聞きながら──。


 もしも明日の太陽が拝めるなら、余計な手間をかけさせて帰宅時間をここまで遅らせ、話をややこしくしたアレンを絶対に殴ってやろうと心に決めた。


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