第24話 来訪者達

 ウィルの遠吠えによる呼びかけに現場に駆けつけたレオンが目にしたのは、本来であれば嘆きの丘の周辺には出没するはずのない熊の魔物ベンガーキーの姿だった。

 

 ベンガーキーは本来ならば山岳地帯に出没する魔物であり、一度ホワイトデビルの討伐に出かけた際にレオンには戦闘経験があった。

 その為、その対処法──胴体部分は非常に革と筋肉が発達しており刃物による攻撃が通りにくく、変わりに首筋の魔術抵抗力が弱いこと──を知っていた為に即座に対応できたと言える。


 気配を探り、他に魔物はいない事を確認して近づいてみると、どうやらウィルも弱点である首筋を狙って仕留めたらしく、先に倒されていたベンガーキーの首が明後日の方向に向けられていた。


 しかし、レオンが悠長に状況を観察していられたのは、呆然とレオンに目を向けていた剣士風の男が、突然レオンに背を向けて、ウィルに対して長剣を振り上げた時までだった。


「……何だ貴様は?」


 急いでウィルと剣士の間に割って入り、振り下ろされた長剣の一撃を手にしていた長剣を抜きざま剣士のひと振りを受け流したレオンに対して、当の剣士が最初に口にしたのがそれだった。


 助けたはずの相手。

 それも、恩人に向かって剣を向けるばかりか横柄な剣士の態度に流石にレオンもムッとしたように顔を顰めた。


「何だ……とは此方のセリフですね。貴方の今の態度は、とても助けられた者の取るものとは思えない」


 若干の怒りを滲ませたレオンの態度にも、相対した剣士は鼻を鳴らす。

 それがますますレオンの怒りのボルテージを上げる結果になったが、剣士にとってそれはどうでもいいことらしい。


「馬鹿な。貴様の後ろに要るホワイトデビルは魔物ではないか。その魔物を守った貴様の方が、よほど不審な人間だろうが。どうせ、先のベンガーキーをけし掛けたのも貴様なのだろう?」

「……驚いたな。“魔物使いテイマー”の存在さえ知らない冒険者が護衛任務? こんな無知な人間を雇うとは、依頼人はどれだけ間抜けなんだ?」

「貴様っ! この俺を冒険者如きと──」


 レオンの言葉に激高し、再び長剣を振り上げる剣士だったが、今度はその刃がレオンに向かって振り下ろされる事は無かった。

 理由は、レオンの後方から飛んできた石が剣士の持つ長剣を弾き飛ばしたからだ。


 右手を押さえながら驚愕の表情を浮かべている剣士をよそにレオンが振り返ると、右手で拳ほどの大きさの石を弄び、左手をウィルの頭に乗せている頭を丸めた僧兵の姿が目に入った。


 視線を向けられた僧兵は目が合ったレオンに対しては人の良さそうな笑顔を浮かべたが、直ぐに剣士に向かって刃のような視線を投げる。


「止めろアレン。状況から考えてもこの兄ちゃんの言ってる事が正しいわ。助けてもらっておきながら、難癖つけて切りつけるのがお前さんにとっての騎士道なのかい?」

「何を言う! 何故俺がたかが“魔物使いテイマー”如きに──」


 僧兵の言葉にも耳も貸さず、尚もレオンに対して暴言を吐こうとした剣士の口の動きを止めたのは、又しても僧兵の行動だった。

 手で弄んでいた石を剣士の足元に投げつけると、レガースを身に着けていた剣士の足のすぐ横の地面を抉りとり、その様子を目にした剣士の顔から一気に血の気が引いていった。


「俺がと言ったんだよアレン。それともあれか。お前さんのチンケなプライドを守る為には、この俺とやり合うのも辞さないって考えでいいんだよな? だったら先に言えよ。いつでもやり合ってやるよ。ただし、喧嘩を売ってきたのはテメーなんだ。死んでも文句言うんじゃ──」

「お止めなさい」


 いよいよ険悪な雰囲気になり──最も剣士の方は顔を蒼白にして歯をガチガチと鳴らしていたが──今にもレオンの目の前で殺し合いが始まるかも知れない……そんな状況を止めたのは、馬車から降りてきた1人の女性の声だった。


 確かに馬車があったのだから、ひょっとしたら中にいるのは要人かなにかなのかもしれないとレオンも思ってはいた。

 しかし、あれだけ大騒ぎしていたのに反応が無かった事から、その存在が頭の中からそっくり抜け落ちてしまっていた所での横合いからの声である。


 どうやらそれは他の2名も同様だったようで、ハッとしたような表情を見せたあと、剣士はその場で片膝を付き、僧兵はバツの悪そうな表情のまま剃り落とした頭をかいていた。


 その様子を見て、レオンはようやく厄介事が無くなったと判断して改めて馬車から降りてきた女性に目を向け、思わず息を呑む。


 一言で表すならば、その女性は今までレオンが目にした事がないほどに美しい女性だった。

 腰のあたりまで伸びた長く艶のある黒髪は頭の後ろで纏められ、風に流されるそれを押さえる指は細く、どこまでも白い。

 髪の色と同様に黒く輝く瞳はレオンを真っ直ぐに見据え、全てを許容する母親のように柔らかな笑みを浮かべていた。

 

 年齢はレオンと同年代かやや年上だろうか。少なくとも年下ではないだろう。

 身長はレオンよりも少しだけ低いくらいで女性としては高い部類だが、線が細く、とても戦闘などを行うような体格には見えない。

 しかし、神官服を持ち上げるように自己主張する胸元のモノにかんしては、非常に母性を感じさせるものであった。


 その雰囲気が何処かで覚えがあるように感じて、レオンは直ぐに思い出す。

 目の前の神官服を身にまとった美しい女性が纏う空気が、もう1人の母親であるマーガレットに似ていたのだ。


 勿論、容姿などは全く似ていない。「どちらが美人か?」と問われれば、間違いなく今目の前にいる女性だと答えただろう。

 最も、レオンがこれまで接してきた女性の殆どはどちらかといえば皆美人というよりも可憐な美しさ──所謂、人形のような美しさとは対極に位置する人達が多かっただけに、単純比較はできなかっただろうが。


「この度は危ない所を助けて頂き、大変有難うございました。また、従者が大変失礼な態度を取ってしまったようで、そちらも合わせて謝罪致します。申し訳ありませんでした」


 レオンの傍まで歩み寄ると、一転して眉尻を下げて深く頭を下げた神官服を着た女性の態度にレオンは慌てるが、それ以上に取り乱したのは片膝を付いていた剣士の男だった。

 

「ソニン様! 頭を上げてください! このような下賎な者に頭を下げるなど──」

「アレン」


 立ち上がり、直ぐに謝罪を辞めさせようと近づいてきた剣士の男──アレンに対して、ゾッとするような低い声を出したのが目の前の女性だとレオンが気がつくのにしばらくかかった。

 それほどまでに、先程までの空気と乖離した冷たいものが目の前の女性から流れてきたからだ。


 そして、それはその冷気をまともに受けたアレンはたまったものではななかったのだろう。

 先ほど僧兵から威嚇された時以上に恐怖したのか、腰を抜かしたようにその場に腰を落とすと、後ろ手に後ずさる。


「アレン。貴方はまだわからないのですか? ここは教会ではないのです。いえ。教会であっても同じです。この大地に生きる以上、その命の価値に優越などありません。ましてや、この方は私達の命を救って下さった恩人ですよ? その恩人に対して、貴方は自身の態度が恥ずかしいと思わないのですか?」

「……も……申し訳御座いません……」

「謝るのは私に対してではないでしょう?」


 神官の女性の言葉にアレンはフラリと立ち上がると、レオンに向かって歩み寄る。

 ただ、その視線は常に地面に向けられ、両手は血が滲むのではないかという程に強く握られていた。


「……申し訳……ありませんでした」


 注視しなければわからない程僅かに下げられた頭、決して合わせようとしない視線、小刻みに震える体、耳を澄まさなければ聞こえないほどの小声での謝罪。

 全てがこの行動に対するこの男の不満の表れを示していたが、レオンはもはや関心を失ったように「いえ」と一言だけ口にして神官の女性に向き直る。

 その態度が更にアレンの気に障ったようで、足元の砂をこじる様な音を響かせた。


 そんなアレンの態度に神官の女性は悲しげに眉を寄せると、諦めたように小さく首を横に振る。

 ひょっとしたらこの様な態度を彼がするのは初めての事ではないのかもしれない。


「重ね重ねの無礼お許し下さい。私はマグナ教団バラッグ支部にて司教を務めさせて頂いておりますソニンと申します。この度は、領主様の命を受け、布教の為にデミル村まで向かう途中でした。その為の護衛として同行して頂いたのが此方の神官騎士のアレンと──」

「冒険者のサイモンだ。よろしくな。兄ちゃん」


 紹介されても全く反応を示さず下を向いたままのアレン、友好的な態度で右手を上げて自己紹介するサイモン。

 そして、最後にソニンに目を止めて、レオンは不思議そうに首をかしげた。


「……布教……デミル村に……ですか? その様な話、俺は初めて聞きますが……」

「あら、ひょっとしてデミル村の方でしたか? よろしければお名前を伺っても宜しいでしょうか?」

「ああ、そう言えば自己紹介がまだでしたね」


 ソニンの言葉にレオンはようやく大切な事が抜けていたと思い出すように居住まいを正すと、まっすぐソニンの目を見て答える。


「俺の名はレオン。デミル村で素材集めを生業として生活している者です。一応都合上冒険者ギルド、魔術師ギルド、商業ギルドの3つのギルドに所属していますが、肩書きについてはどのように呼んでもらっても構いませんよ」

「素材集めって……兄ちゃん“魔物使いテイマー”じゃなかったのかよ?」

「正確に言えば使ってだけで、職業としての魔物使いではないんです。だから、あまり危険な事は得意じゃないんですよね」


 サイモンの疑問に答えながらレオンはウィルを呼ぶと、道具袋から取り出した布を魔術で濡らし、近づいてきたウィルの口元の血を綺麗に拭き取った。

 その一連の流れを見ていたソニンは目を開き、感嘆の声を上げる。


「……テイムどころか魔術まで扱えるのですか……」

「嗜み程度……です。残念ながら本格的な魔術は使えません」

「いいえ。ご立派な能力だと思いますよ? そのように謙遜しなくてもよろしいのに」


 特に謙遜した覚えのないレオンだったが、特に裏の感じない純粋なソニンの笑顔に目を向ける。


「そうですか……デミル村で冒険者を……でしたら、1つお願いを聞いて貰っても宜しいでしょうか?」

「お願い……ですか?」


 レオンの言葉にソニンは「はい」と口にしつつ頷く。


「ご覧の通り私たちは移動に必要な馬を失ってしまいました。ですが、この馬車も、乗せているものも色々と理由があって捨て置けません。そこでそのワンちゃんです。どうやら体も大きく力も強い様子。もしもこの馬車をそのワンちゃんに引いていっていただけるのなら、貴方を正式に護衛として雇い、デミル村まで案内して欲しいのです」

「ウィルが馬車を……ですか」


 ソニンの提案にレオンはウィルと馬車とを交互に見ながら考え込むと、申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。


「……重さ的には大丈夫だとは思うのですが、体格と合っていないので無駄な負担がかかりそうなんですよね。それに、実は俺達は個別に荷車でここまで来ていまして、それも運ばなければいけません。そこで提案なんですが──」


 そこまで口にすると、レオンは未だに地面を睨みつけてふてくされているアレンと、ニヤニヤしているサイモンに目を向ける。


「馬車に積んでいる荷物を俺の獣車に積み直して、空になった馬車をそちらの2人に押してもらうというのはどうでしょう? 荷物が乗っていなければ2人で引けば引けない事も無いでしょうし、ソニンさんは獣車の御者台に乗ればいい。流石にそこまで荷物が乗ればウィルも早くは動けませんし、俺も歩きますから2人の移動速度にも合うでしょう」

「な、何だと!?」

「はっはっはっ!!」


 レオンの提案にソニンは目を丸くして、アレンは絶句したように顔を上げ、サイモンは何が可笑しいのか膝を叩いて笑い出している。

 そして、サイモンは馬車の後ろに回り込むと、何度か押して頷き、首を回してソニンに告げた。


「ソニン様。その提案飲みましょうや。流石にこの荷物にソニン様を乗っけた状態でこいつを押すのは骨でさぁ。それに、確かに荷物がなけりゃぁ動かせないこともないし──」


 そこでサイモンはニヤリと笑い。


「──いい訓練になる」


 その表情が本当に嬉しそうだったので、冒険者に脳筋が多いのは本当だなと、対照的に恨みがましい視線を向けるアレンを視界の端に捉えながらレオンは思う。


「そうですね。2人が良いならそうしましょう。では、レオンさん。道中よろしくお願いしますね?」


 そして、アレンの恨みがましい視線など全く気にしていないように振舞うソニンの態度をみて、「ひょっとしてこの人も大概なんじゃないか?」と、声に出さずに心で呟くレオン。


 こうして、珍妙な一団と化したレオン達一行は、徒歩でのペースでデミル村へと向かうのだった。

 

 ──進行速度の低下による帰宅時間の遅延で、自らの身に降りかかる厄介事に身を竦ませながら。

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