第21話 独りじゃない

 夢を見ていた。


 少女が目の前に広がる光景を夢だと判断したのは、それが一度は見た事のある光景だったからだ。

 ただ、その光景はセピア色にそまり、少女の目からはなんの色も映さない無機質なものでしかなかった。


 場所は少女の実家である屋敷であり、その広間であろう。

 行き交う人々は様々な豪華な衣装に身を包み、皆楽しそうに歓談しているのが見えた。


 その様子と、自らの容姿を目に留めて、少女は今見ている夢がどんなものかようやく納得することが出来た。


 これは、少女の弟──唯一の男児である次期当主が無事に5歳を迎える事が出来た祝いの席であった。

 しかし、そんな喜ばしい席においても、少女の周りに人はいない。既に6際になっていた少女だったが、その頃には【呪われた子】として扱われ、誰ひとり関わろうとしなかったから。


 しかし、その様な状況にある事など関係ないとばかりに──いや、実際に当時を思い返してみれば寂しくて半べそをかきながら会場を当てもなく彷徨っていたはずだった。


 だが、この世界が夢であると知っている少女は、当時の会場内の事を思い出し、早足で広間を人の間をすり抜けるように進む。

 その際、何人かには嫌なものを見るような目で見られたが、ここが夢である以上全ては自分の先入観によるものだろうと片付ける。


 足は進み、やがて会場の隅。その一角が見える位置まで来た所で足を止める。

 そこにいたのは少女の母によく似た女性と2人の男の子。

 少女が目に留めたのはその2人の男の子のうち、金色の髪の男の子。年の頃は10を少し超えた位だろう。夢の中の少女よりも年上なのはすぐにわかった。


 単色で色などわからない筈のその世界で、何故かその男の子だけ──厳密に言えばその男の子と少女の2人だけだが──この世界から浮き上がった存在のように色付き、輝いているようだった。


 母に似た女性の事は使用人の誰かの世間話が耳に入った事があったのでその存在自体は知ってはいる。

 リンダという名のその女性は、辺境の小国の公爵家に嫁いだという少女の祖父の長女だった。少女の母の姉に当たる人物だったが、公爵家とは言え田舎の小国に嫁いだということで実家ではあまり歓迎されていない存在だという事だった。

 現に、本来であれば招待されていておかしくないはずの彼女の夫たる公爵本人がその時の宴には参加しておらず、お互いの関係が良くないものだというのは少女の目から見てもよくわかる光景だった。


 やがて、少女の祖父であり、その女性の父たる壮年の男性が女性に近づく。

 その途端、お互いの顔に笑顔があふれ、それだけでその女性が父親からは愛されているのだろうな……と、少女の心の中で醜い思いが首を擡げた。


 そんな鬱々とした気分でその様子を眺めていた少女の目に、先程から視界の中に入っていた金髪の少年が少女に向かって顔を向けたように見えた。


 その頃の少女は特に何でもないと思っていた。

 ただ、その時の光景が後になって何度も瞼の裏に浮かぶようになり、調べられる範囲でその少年の事を調べたのだ。


 ただ、この時は叔母と祖父の良好な関係にショックを受けて、あまりその少年の事を注視していなかった為に記憶も曖昧で、ただ、妙に印象に残った雰囲気を頼りに追いかけただけだ。


 だから、夢だとわかっていながら少女はこの場へ駆けつけたのだ。

 ひどく印象には残るものの、どうしてここまで関心を持ったのかわからなかった少年の姿を目に焼き付けるために。


 少女の目に映った金髪の少年は、酷く疲れているように見えた。

 最も、辺境にある小国から少女の実家までかなりの距離を移動してきたのだ。

 前日に到着しているとは言え、心身ともに相当疲れてはいるだろう。


 しかし、少年の目に浮かぶそれは、それを差し引いたとしても疲弊していた。

 まるで、既に生きている事すら諦めかけているように。


(……ああ。そうだったんだ)


 その目を見た時に、夢の中の少女とは別の、本来の少女は妙に納得してしまった。


(あなたもずっと1人だった。家族と一緒にいる時でさえ気が休まらない程に。その姿が余りにも私と一緒だったから、きっと私は貴方の事が気になって、忘れられなくなっていたんだね)


 世界はゆっくりと崩れていく。

 少女の周りに居た豪華な服を着た大人たちも、叔母や祖父も、絵の具を垂らした水面のようにぼやけ、引き伸ばされている。

 そんな中にあって、少女と、疲れ果てた瞳を向ける少年だけが残されて。


(そんな貴方が……どうしてあれ程までに強くなっていたのかな? 私はこんなにも壊れてしまったのに……。何が違ったのだろう? 何を間違ったのだろう? どうすればそんな風に強くいられるのだろう? もう私に先はないのかもしれないけれど、出来ることなら教えて欲しい。ねえ──)


 やがて、少年の姿もゆっくりと変わり、その姿が真新しい部分鎧と長剣を下げた金髪の青年の姿に変わる。


(──レオンハルト)


 その青年の姿がはっきりと現れた後にも少女の姿は変化せず、やがて世界そのものが崩れていった。



◇◇◇




「……あ、あの……もう一度報告してもらってもいいですか……?」


 相変わらず人の少ないギルド内。

 3つのカウンターに3人のギルド員。

 その他には3つしかないテーブルの1つにダイケンとハゲルが談笑しているくらいだろう。

 もっとも、そのダイケン達も冒険者ギルドのカウンターを挟んで話をしているヒルダとレオンの話は聞こえないらしく、相変わらずのバカ笑いが2人の下まで届いていた。


「ええ。ですから、ボンドさんから請け負った護衛依頼の完遂と、恐らく領主様から出されているであろう『Aランク冒険者アリアの殺害』の完了の報告に来ました。こちらはボンドさんから頂いた以来達成の報告書と、アリアの遺髪と認識票になります」


 カウンターに置かれた報告書と、茶色がかった金髪の束と金色の認識票をみて、ヒルダの頬が僅かに引きつる。

 それでも何とか営業スマイルを崩していないところは流石と言えるが、彼女の性格上それもあまり長くは続かないだろう。


「……Aランク冒険者の……殺害……」

「はい。ただ、こちらに関しては絶対にそうだと確信を持てるものだとは言えないので、報酬……もしくは処罰に関しては、後日という事で構いませんよ」

「処罰って! ちょっと待ってよレオン君!」


 レオンの言葉にヒルダは遂に受付の仮面を引き剥がすと、レオンの両肩に両手をおいて思わず叫ぶ。

 ただ、その叫びで皆を注目を集めてしまい、ヒルダは「しまった」という顔をすると再び営業スマイルを浮かべた。


「……とにかく、詳しい話は奥の部屋で聞くことにしましょう。あまり人に聞かれたくない話ですよね?」

「ええ。まあ。でも、ここ留守にしてしまって大丈夫ですか?」

「構いませんよ。どうせこの時間に来るのは暇なおっさん達くらいですから」


 ヒルダの言葉に後方から「おいっ!」というクレームの声が聞こえてきたが、それを無視してさっさと奥に引っ込んでしまったヒルダの後を追いかけ、レオンは「さて、どうやって説明しようか」と頭の中で色々とこれまでの事をまとめるのだった。



「……なるほど」


 ヒルダとレオンが場所を移したのはギルドのカウンターの奥に位置する、倉庫兼ヒルダの自室だった。

 一応ギルド内にも応接室のようなものもあるにはあるのだが、そこは3ギルドの共有スペースであるため、万が一情報が漏れないとも言えない。

 その為、完全なプライベート空間にあるとも言えるこの場所にヒルダはレオンを案内したのだ。


 そんなヒルダに、レオンはを除き、事の顛末を話し終えた後だった。


「この間の霊体の大量発生に関して何か原因があるかとは思っていましたけど、そんな理由があったのですか……」

「はい。ただ、本人にとっては晴天の霹靂というか……突然起こった不可解な事件程度の認識だったんです。当然、彼女に邪神に取り付かれている自覚はありませんでしたし、事件を起こしているつもりもありませんでした」


 レオンの言葉にヒルダは腕を組んで「うーん」と唸ると、眉間に皺を寄せる。


「でも、その事実だけで領主様からの依頼が『アリアさんの殺害』というのは少し安直というか暴論というか……」

「それはわかっていますよ。ただ、今回の事件を本当に解決しようと思ったら、邪神を倒す必要がありますし、邪神を倒そうと思ったらその本体とでも言うべきアリアさんを殺さなくちゃならなくなる。流石に、彼女を殺さずに依頼をこなすのは不可能ですよ」


 レオンの言葉にヒルダ本人は多少理解するべき部分もあるのだろう。

 しかし、事が組合員の死亡に伴った事態であるだけにすぐに判断を下すのは難しいのだろう。額に皺を寄せたままうんうん唸り続けている。


「その辺を確認して貰いたいから、ヒルダさんに依頼について問合わせて欲しいんですよ。ちなみに、今回ヒルダさんに依頼を出したのが誰で、何を依頼されたか聞いてもいいですか?」

「……依頼ですか……。本来は守秘義務があるんですが、今回のような状況になるとそうも言ってられないんでしょうね……」


 そう言ってヒルダは腕を組んだまま片目を開くと溜息を付く。


「今回の依頼は村長からです。内容は移民団の護衛と途中現れるであろう不死者の殲滅。どうも、村長は今回アンデッドが途中で現れることを確信していたようですね」

「そのへんの事情は領主様の関係者から聞かされていたから……という事ですか?」

「それは何とも……でも、これまでの話を総合するとその可能性が高そうですね。何しろ、バラッグの冒険者ギルドからは寧ろレオン君たちが同行する事を許可しないように通達があったくらいですから」

「そうなんですか?」


 レオンの言葉にヒルダは頷く。


「そうなんですよ。まあ、こちらに関しては単純に報酬の額が減る事を恐れただけでしょうけど。それよりも、この辺の所を村長に聞いた所で、仮に村長が事情を知っていても知らないふりをするでしょうね。あの人はああ見えて口が堅い所がありますし」

「確かに。ヒルダさんくらい口が緩かったら良かったのに……」

「……一応、今回はレオン君の為にお話したんだ、って事は理解してくださいよ?」

「わかってますよ」


 ジト目のヒルダにレオンは笑いかける。


「まあ、いいでしょう。とにかく、今回の件は村長に報告することにします。もしも、それで村長が領主様に報告するようならばレオン君の予想通りですし、レオン君を守るために村長が領主様に報告しなければ、レオン君の先走りってことになるでしょうから」

「俺を守る……って。いいんですか? そんな事して」

「いいんですよ。それくらい」


 レオンの疑問にヒルダは答える。


「本心はどうあれ、今回領主様が内容を隠してレオン君に危険な仕事を依頼したのが始まりなんです。レオン君は冒険者なんですから自分の身に危険が迫ったら身を守る為に反撃するのは当然でしょう? 今回の件。私は村長と領主様の行動に問題があると思ってますからね」


 そう言って胸を張るヒルダの様子をみながらレオンは内心ホッとする。

 どうやら、色々と気をつけなければならない事はあるだろうが、とりあえずは面倒事にならずに済むかも知れない。


 少なくとも、ヒルダと村長は悪いようにはしないだろう。


「それじゃあ、俺もそろそろ帰りますね」

「あら。折角だし少しお茶でも飲んでいったらどうですか? あまりいいものはありませんけど」

「いえ、家にはアイリスも待ってますしね。今日はこれで失礼しますよ」

「……アイリスちゃん……か」


 立ち上がったレオンから目を逸らし、ヒルダは一言ポツリと漏らす。


「今回、邪神に取り憑かれた冒険者を倒したのってきっとアイリスちゃんなんだろうね。もしも、今回アイリスちゃんがいなかったらって思うと怖くなる」


 ヒルダらしからぬ弱気な発言に、レオンは目を瞬かせた後に目を向ける。


「怖い……ですか?」

「怖いよ。だって、Aランク冒険者ってだけでも殺されちゃうかもしれない相手なのに、力を失ったとは言え神様なんだよ? そんな相手にさ。もしもちょっと前までのレオン君みたいに1人だったら、きっと殺されちゃったと思うから。……でも……」


 ヒルダはレオンに目を向ける。

 その瞳には涙が溜まっていたが、それでも嬉しそうに笑ってみせた。


「……生きて帰ってきてくれて良かった」


 そんなヒルダの笑顔を見ながら、レオンは罪悪感を覚えながらももう自分は独りではないのだと実感した。

 それはとても心地よく、今もきっと独りでいるであろう少女に対して想いを馳せた。




◇◇◇




「ただいま」

「お帰り」


 冒険者ギルドから自宅に戻り、扉を開けた所で出迎えてくれたのはアイリスだった。

 ただ、カリンから貰った白いワンピース姿は出かける前と変わらないが、その容姿は久しぶりに見たものならば驚いて見返したことだろう。

 長く美しかった銀色の髪は首元までバッサリと切られ、前髪も眉の上あたりで一直線に切り落とされている。

 その姿はどうにも少年のような出で立ちで、何時もの鎧姿だったなら少年と間違われたに違いなかった。

 そして、その感想は正確にアイリスに伝わったのだろう。目つきを鋭くしてレオンを睨みつけた。


「何だ。マーロゥの奴に滅茶苦茶に切り落とされてしまったのだから仕方なかろうが! これでも、そやつが切りそろえてくれたおかげで少しはマシになったのだぞ!」


 憤慨した目を向けながらアイリスが指さした先にいたのは1人の少女だった。

 茶色がかった金髪を肩口で切りそろえ、バツの悪そうな顔をレオンに対して向けている。

 元々は白い肌だったのだろうが、うっすらと日焼けしており少し赤くなっていた。

 

 ちなみに、今回の報告にアイリスがついてこなかったのは、ボロボロの頭髪を見られなくなかったからという乙女のような理由であるのだが、命が惜しいレオンはその考えをそっと心の金庫にしまいこんだ。


「髪か……そいつも回復魔法でパパッと直せりゃ良かったのにな」

「回復魔術はそこまで都合の良いものではない。特に自分の事となると……な。ま、特に命に関係ある事でもないしの。ゆっくり伸びるのを待つさ」

「そうか。まあ、似合ってるみたいだしいいじゃないか」

「そ、そうかの?」

「ああ。まあ、俺は前の髪型の方が好きだったけどな」

「最後の一言必要だったか!?」


 レオンの言葉にアイリスはキーキーと騒ぎ出すが、それを無視してレオンは部屋の中へ歩を進める。

 その先にいたのはレオンの服とズボンを身につけて椅子に座っている先ほどの少女がいた。

 最も、レオンとは体格が違うことから、袖も裾もまくりあげていたが。


「ギルドに報告に行ってきた。今回の件はすぐに領主様の元に届いて、【Aランク冒険者アリア】の死亡が確定されることになるだろう」

「そうですか」


 見下ろすような位置で告げるレオンの視線から逃れるように、視線を泳がせながら少女は答える。


「今後君は今まで築いてきた何もかもを失った状態で生きていかなければならなくなる。それは覚悟しているんだよな?」

「はい。勿論です」


 あくまでレオンとは視線を合わせずに少女は立ち上がる。

 少女はレオンからの報告を待っていただけだった。

 だから、報告を聞いた以上はこれ以上ここにいてはいけないのだと言わんばかりに歩き出す。

 しかし、少女の左腕を掴んでその動きを留めたのはレオンだった。


「1人で生きていくつもりか?」

「それ以外の何があるというのですか?」


 レオンの言葉に少女はようやく眉を潜めてレオンに目を向ける。

 

「マーロゥ様が消滅したことで、私は神聖魔術を失いました。嘗ての身分が無くなった事で頼れるべき人もいません。そもそも、私は大量殺人者のようなものなんですよ? そんな私が、1人で生きていく以外の道があるとでもいうのですか?」

「そう思うことがそもそもの間違いだ。俺は言ったぞ。Aランク冒険者アリアはもうと」


 そして、レオンは少女に自分の正面に向けさせると、両腕を握って顔を近づける。


「君はもうアリアじゃない。なら、今の君は誰だ?」

「……私は……今はわかりません。ですが、それは貴方にはもう関係ない事でしょう?」


 アリアはレオンを振りほどこうと体を捻るが、レオンはそれを抑えて真剣な眼差しを向けた。


「関係ない? そんな事あるもんか。俺は──俺達は君の力を奪ったんだ。そんな俺たちが、もうそんなの関係がないなんて言って放っておくとでも思うのか?」

「思いません。しかし、貴方達が何も間違った事をしていないのは事実です。それが私にもわかったからこそ、今こうしてここにいるのではありませんか。そうでなければどんな手を使ってでも逃げ出しています」

「違うな。君が今ここにいるのはそんな理由じゃない。もっと別の理由で君はこの場に留まっていたんだ」

「違いませんっ! もう私が全て悪かったって事でいいじゃありませんか! 貴方いったいなんなんですか!」

「リグレット・アルガン」


 業を煮やしたようにとうとうレオンの腕を振り払い、怒りの表情を向けた少女に冷水を浴びせたような一言をレオンは放った。


「嘗て俺はレオンハルト・ガーラルと名乗っていた。俺の母親はアルガン家の長女にあたる。つまり、リグレット・アルガンとは従兄妹同士という関係になる」


 そこでレオンは少女の瞳を覗き込む。


「ずっと不思議だった。アイリスから君の危険性を説かれても、君の中にマーロゥがいるって聞かされた時も、俺が思ったのはどうにかして君を救えないかって事ばかりだったんだ。不思議だよな。初めて会った人に対してさ。初めはカリンに似ているからだと思っていた。あの頃の刹那的だったカリンとそっくりだったから、きっと君を助けたいんだろうって。でも違った。んだ」


 先程まで暴れていたのが嘘のように、呆然と見上げる少女にレオンは笑いかける。


「あの日。君の中からマーロゥが消えたあの晩に捕らえた君を見た時に思い出したんだ。いや、正確には夢を見た……かな。馬鹿な事を言っていると思うかもしれないけど、唐突に見た夢で俺は君と過去に一度会っている事を思い出したんだよ」


 レオンの言葉に少女は両目を見開くと僅かに体を震わせた。

 まるで信じられないものを見るような視線を向ける少女に近づき、レオンは続ける。


「君がカリンに似ていたんじゃない。カリンが君に似ていたんだ。ずっと1人だった幼い君の姿を見て、ずっと1人だったのであろう今の君の姿を見て、あの時、君のお爺さんが俺にしたお願い事も思い出した。きっと、ずっとそれが心の中に残っていたから、俺はカリンを。そして君を助けたかったんだと思う」

「……約……束……?」


 レオンは少女の両肩に手を置くと、大きく頷いた。


「ああ。お爺さんは君が【呪われた子】として忌み嫌われていることを知っていた。知っていて、それをどうにも出来ない事を歯がゆく思っていたようだ。その時頼まれたのさ『ここに来た時だけでも構わないから、あの子と話をしてほしい』って。最も、あの頃の俺は他人を気遣う事の出来る状態じゃなかったし、その後アルガン家に訪れる前に俺は家から追放されてしまったから、それどころじゃなかったんだけどね」


 レオンの言葉に少女は首を横に振る。

 その瞳には涙が溜まり、今にも落ちてしまいそうだった。


「嘘です。だって家族はみんな私を──」

「嘘じゃない。他の家族はわからない。でも、少なくとも君のお爺さんは君の事を気にかけていたよ。とても大事に思っていた。いいか。何度でも言うぞ。君は独りなんかじゃない。君が気がつかなかっただけで、君はずっと──」


 そこまで口にして、レオンの脳裏に浮かぶのは嘗てのレオンの家族たち。

 

 最後まで自分に手を差し伸べようとしていた父親。


 自らを抱き、愛していると言ってくれた母親。

 

 怪我をした自分を必死になって治療してくれたもう1人の母親。


 そして……レオンに怪我をさせないように立ち会い、最後は今まで一度もしたことのない反抗を父に向かってしてくれた弟。


 その全てが。

 

 レオンの境遇と少女の境遇が被ったような気がして、力強く言い切った。


「──愛されていたんだ」


 レオンの言葉が引き金となったかのように、少女の両目から涙がこぼれる。

 そして、一度溢れてしまった涙はもはや止める術が無いとでも言うように、止めど無く溢れ出す。


「……あ……あ……あ……あ……」


 声にならない声を上げ、フラフラと彷徨わせる少女の右手をレオンは掴み、反対の手で少女の頭をそっと撫でる。


「今の君も。今の俺も何もない。けど、ずっと果たせなかった約束を、この場で果たすと今度こそ約束するよ。だから、生きよう。俺も君も。もう独りじゃないんだから」

「あああああああああああああああああああああっ!!」


 今まで何処にも置き場のなかった両手の置き場を見つけたかのように。

 アリアは右手をレオンの左手に、左手をレオンの胸元の服を握り締めると、その胸の中に顔を押し付けて大きな声で泣き始めた。


「……ふ……」


 そんな2人の様子を見ていたアイリスは、薄く笑った後に音を立てないように扉を開けて外に出た。

 少女の泣き声で何事かと集まってくる村人達を追い払いながら、いつの間にか足元に寄ってきたウィルと共にアイリスは泣き声が聞こえなくなるまでその場で2人の世界を守り続けた。




◇◇◇




「邪神の残香は全く感じません。古の神が消滅したことはほぼ間違いのない事かと」

「そうか」


 ロウソクで照らされた執務室と思われる部屋の中央で、体格のガッシリとした壮年の男性と、白い口ひげを生やした老人がテーブルを挟んで向かい合うようにして座っていた。


 テーブルの上に置かれていたのはひと房の金髪と認識票。

 その内老人は髪の毛に触れていた手を離すと安堵の息を漏らした。


「領主様から邪神の存在を示唆された時はどうなる事かと思いましたが、どうにか処理する事が出来て何よりです」

「いや、礼を述べるのは此方の方だ。其方がいなければ冒険者アリアが邪神に取り込まれている事実に気が付く事はなかっただろうし、ハーゲル子爵ともしなくても良い戦争をしていたかもしれなかった。心から礼をいう。この通りだ」


 テーブルに手をついて頭を下げる大男に老人は慌てて立ち上がると、焦ったような声を上げる。


「あ、頭を上げてください。私はこの領に住む領民として、領主様のお力になれればと協力したに過ぎません。何よりも全てが上手く言ったのですから、それでいいではありませんか」


 老人の言葉に大男は頭を上げると、うっすらと笑う。


「そうだな。確かにその通りだ。この度は誠にご苦労であった。下がって良い」

「はい。失礼いたします」


 大男に頭を下げ、使用人と共に去っていく老人を見送ると、大男は机の上に置いてあった髪の毛のを手にとって眼前に掲げた。


「お父様」


 そんな大男の背後から、1人の若い女が近づいてくる。

 真っ赤な長髪を背中に流した小柄な女だった。

 薄紫のドレスに身を纏い、その顔にはうっすら笑みを貼り付けている。


「……何だお前か。その様子から話は聞いていたのだろう? もう安心していいとにも伝えておけ」


 手に持っていた髪の毛の房を再びテーブルの上に放り投げると、ぶっきらぼうに言い放った大男に赤毛の女は苦笑する。


「それは勿論。ですが、この度の件に関しては、バラッグ冒険者ギルドに所属する冒険者の不始末です。その点はお忘れなきよう」

「んな事言われなくてもわかってるさ。しかし、実際に無許可で私兵を動員したのはお前の旦那だ。不始末に関してはお互い様だ」

「ふふ……確かに。そのように伝えておきましょう」

「……やれやれ。お前ももう完全にハーゲルの人間だな」


 呻くようにこぼすと、大男はテーブルの上に乗っていた果実酒を一気に煽り、テーブルに叩きつけるようにコップを置く。


「今回の冒険者は確実に死んでいると思いますか?」


 娘からの問いに大男はテーブルの上の髪の毛と認識票に目を向けると首肯する。


「邪神に関しては間違いなく消滅しているらしい。そして、邪神に取り付かれている以上、取り憑かれた人間を救う術はないそうだ。魔術師の連中に確認した所だと、魂とやらが邪神と強く結びつくんだそうだ。だから、邪神が死ねば取り憑かれた方も死ぬ」

「なら、安心ですね」

「ああ」


 赤い髪の女が空いたコップに新たな果実酒を注ぐと、大男は間髪入れずに注がれた果実酒を再び煽る。


「今回依頼をこなしてくれた冒険者は如何なさるのですか?」

「適当に金とギルドのランクを上げるように言っておくさ。冒険者などどいつも金のために行動する胡散臭い連中だからな。今回邪神に取り憑かれた冒険者も、常にフードを被っていた怪しい輩だったからな。結局、わかっているのはギルドに登録してある情報と、女だったって事くらいしかない。目は見たが、それだけじゃあな」

「ふふ。既に死んだ人間の事などどうでも良いではありませんか」

「確かにそうだ」


 娘の言葉に頷きながらも、しかし、大男は少し考えるような素振りを見せる。


「だが、生きている方に関しては多少は気になるな。何しろ、そいつは力の大半を失っていたとは言え、邪神を殺せる人間だ。……少し探らせてみるか」


 顎に手を当てながらそんな呟きを漏らした父親に微笑みを浮かべながら、赤毛の女は再度空いたコップに果実酒を注ぐのだった。

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