第20話 それが汚れた力でも

 レオンが迷った末に駆け出したのは開拓村とは反対側の方角だった。

 本来であれば村に戻って寝かせるべきであるのはわかっていたが、もしもアイリスがマーロゥを倒す前にアリアが目覚めてしまった場合、何が起こるかわからないという不安が、レオンが村へ向かう事を止めた理由だった。


 そして、その直感は的を得ていたこととなる。


「がっ!!」


 突然背中に走った激痛に、レオンはアリアを半ば放り出すように地面に倒れこむと、直ぐに半身を引き起こして後退する。

 それは次に来るであろう攻撃を警戒してのものだったが、レオンが心配していた攻撃は無かった。


 変わりに、右手にショートワンドを手にしたアリアがレオンに背を向けた状態で四つん這いになり、アイリスたちがいるであろう場所へと戻ろうとしているところだった。


「……戻らなきゃ……戻らなきゃ……」

「アリアさんっ!!」


 既にレオンのことなど意識の外に出してしまっているかのような行動に走るアリアに向かって声を掛けるレオンだが、直後に振り返ったアリアの形相に思わず声を失ってしまう。


「邪魔……するつもり?」

「……っ!」


 先ほどのように黒い靄に纏われているわけでもない。

 瞳も既に元に戻っているし、黒い涙も流してはいない。

 

 ただ、その雰囲気が余りにも刹那的で、ある意味では先ほどの状態よりも遥かに危険な状態に見えた。


「もうやめようアリアさん。あなたにとってマーロゥがどんな存在なのかはわからない。でも、マーロゥがアリアさんと共にある限り、今後も同じ事が起こり続けるんだぞ!? あんなに開拓団のみんなが助かった事を喜んでいたじゃないか! あんなに皆の事を心配していたじゃないか!! マーロゥが居なくなればそんな事もなくなるんだっ!! アイリスがきっと何とかしてくれる! だから──」

「わからないなら!! 無責任な事言わないで!!」


 レオンの悲痛な願いもアリアの一喝により遮られる。


「ええそうよ。あなたにはわからないでしょう。あれ程強い人が常に身を守ってくれている貴方には! 私には誰もいなかった。そう、ただ、声が聞こえただけ! ただそれだけで他の子達と何も変わらなかったのにっ! それだけで私はずっと一人ぼっちだったのよ! ずっと信じていた家族に裏切られたのっ!! なら!! どんな力だって縋るしかないじゃない!! 1人で生きていく為には使えるものを使うしかないじゃない!!」


 ゆらりと幽鬼のように立ち上がり、アリアはレオンをまっすぐ見つめる。

 その瞳を真っ赤に燃やして。


「私にはマーロゥ様しかいなかった。マーロゥ様がいたから、私はここまで生きられた。それが今更どんな力だって言われても……諦められるはずないじゃない……」


 それはまるで自分自身を正当化するように。

 そんなアリアに向かってレオンは立ち上がる。


「……それが他人を死へと誘う汚れた力でもか?」

「……ええ。そうよ。例えそれが汚れた力でも、もう1度1人になるくらいならそれでもいい」

「……そうか……」


 レオンは一言呟くと瞳を閉じ、やがてゆっくりと瞼を上げるとアリアを見た。

 その瞳は決意に満ちて、覚悟を決めたそれだった。


「ならば俺はあんたを止める。絶対にアイリスの元へは行かせない。何より、そう約束したからな」

「……貴方では私に勝てない」

「やってみなけりゃわからない」

「たかがDランクでしかない冒険者が!! Aランクの私に敵うはずないでしょ!?」

「その下らないプライドと虚栄心が!! あんた自身を小さくしているって事にどうして気がつかない!!」


 レオンは拳を握ってアリアに向かって駆ける。

 それに対してアリアは当初はレオンを無視してアイリスの元に向かおうとしていたようだが、思っていたよりも動きのいいレオンに対して間に合わないと判断し、直ぐに次の行動へ移った。


「命を司りし世界の母たるマーロゥよ! 我が身を守る衣となれ!」


 レオンとの距離が後3歩という所でアリアの術は完成し、アリアの体を光が纏う。

 更にアリアが呪文の詠唱を開始した所レオンが飛び込み、アリアの腹に握った右こぶしを打ち込んだ。しかし──


「なっ!? 硬──」

「命を司りし世界の母たるマーロゥよ! 全てを打ち抜く力を示せ! 【気弾】!!」

「ごアッ!!」


 アリアの魔術が完成し、魔術で作られた空気の弾丸がレオンの顔面に直撃し、レオンの体を後方へと吹き飛ばす。

 レオンが後方に転がるのを確認したアリアは、今度こそアイリスとマーロゥの交戦している場所に行こうと足を踏み出す。


「命を司りし世界の母たるマーロゥよ! 全てを打ち抜く力を示せ! 気弾!!」


 しかし、その行く手を阻んだのは、先ほど自分が使ったのと同様の魔術を使用したレオンだった。

 驚いたアリアは何とかその攻撃を回避するが、驚愕はそれだけに留まらなかった。


「命を司りし世界の母たるマーロゥよ! 我が身を守る衣となれ!」


 再び同様の魔術を使用するレオン。

 詠唱終了と共に体に纏わり付いた光が、術の成功を暗に示していた。


「……あなた……一体……」

「俺の事なんかどうでもいいんだよ」


 先ほどの気弾を受けたためだろう。流れていた鼻血を右手の甲で拭ってレオンが睨む。


「アイリスの元には行かせないと俺は言ったぞ。その約束を守るためだったら、あんたに遅れを取るわけにはいかないだろうが」

「……言ったわね」


 レオンの挑発にアリアの周りの空気が震える。

 そのただ事ではない空気にレオンは内心言いすぎたかと後悔しかけるが、直ぐに心の中で首を振る。


(今のまま技の打ち合いをしていたって、アリアが中級以上の魔術を扱い出したらこっちが初級までしか模倣出来ないってすぐバレる。なら、敢えて大技を使って貰って、こっちが元気なうちにその隙を突くしかない)


 最も、その為にはアリアの大技に一度は耐えなければいけないわけなのだが、そういった意味ではアリアが【身体硬化】の術を見せてくれたのは幸運だった。


(……何しろ、こっちは未だに神聖魔術以外を使おうとすると体が動かなくなるからな)


 本当ならば、アリアへの先制攻撃には神聖魔術以外の攻撃方法を試そうとしていたのだ。

 しかし、身体活性も練気拳も使用しようとした途端体が硬直して使えなかったのだ。

 

 だからこそ、相手に大技を使わせて、死に直面することで壁を越えようというレオンにとってこれは大きな賭けだった。


(失敗したら……死ぬかもな)


 目の前で膨大な魔力の奔流が起こり、大地が震え、塵が舞い上がる光景を目にしてレオンはふとそんな気持ちが湧き上がる。

 だが、不思議と恐怖はなく──


(──1人は寂しい……か。そうだよな。あんたはわからないって言ったけど、よくわかるよ。俺も……そして……アイリスも──)


「命を司りし世界の母たるマーロゥよ! 天に仇なす不浄の者に、聖なる雷を打ち降ろせ!!」


(──ずっと。ずっと一人だったんだから)


「【天罰】!!」


 アリアの詠唱が終わり、魔力と呪文の融合が完了したその刹那。

 天から1条の雷が降り注ぎ、大地を穿ち、周囲を真っ白に染め上げた。

 

 そんなホワイトアウトした世界の中で、何故かアリアの頬に一筋の涙が流れ落ちた。

 それがどのような意味かわからないまま、アリアはその光が収まるまで、唯唯涙を流し続けた。



◇◇◇



 天から一筋の光が落ち、背後が真っ白に染まった頃。

 アイリスは折れた宝剣を片手に黒い靄相手に息を吐き出している所だった。


「あれはレオンかアリアか……ふん。あれ程の魔術……レオンは扱う事など出来ぬから、ほぼ間違いなくアリアの術か」


 折れた宝剣を靄に向け、アイリスは獰猛な獣の如く歯を剥き出して笑う。


「どうした? お前の眷属が我のを殺したかもしれない瞬間だぞ? 今の貴様の気持ちはどのようなものだ?」


 しかし、アイリスの質問の答えとして帰ってきたのは、四方八方から襲いかかる黒い刃の雨だった。

 

 既に額から血を流し、美しい銀の髪の毛も切り乱され、既にその容姿は見る影もない。

 それでもアイリスは笑う。

 笑って笑って折れた剣をに向ける。


「そうか! 何の感慨もわかんか! ああ、そうであろうな貴様なら!! 自我があろうが無かろうが関係ない!! 嘗ての貴様もそうであった!!」


 アイリスは笑い、躱し、また笑い。


「だからこそ滅びたのだ!! 自分以外の存在に気を止めぬような神を誰が敬うものか!! 貴様は死者を愛でたのではない!! 死者しか貴様を相手にしなかったのだ!! 我を見よ!! その存在そのもので!! その身全体で我を感じてみよ!!」


 やがて光り輝く宝剣の刀身。

 折れた先まで補うように伸びたその刀身は、正に光の剣となって靄へと向かう。


「我は生きている!! わかるか!! 生きておるのだ!! 貴様にはわからんだろうが、我にはこれ程嬉しいことはない!! 何故なら、我が生きているという事は──」



◇◇◇



「大地に棲まう森羅万象の尊きモノたちよ」


 が聞こえたのは、大魔術を放った直後でアリアが大地に膝を付けて息を整えていた時だった。


「我が魔力を楔とし」


 聞こえた方角は本来ならば

 だからこそ、砂埃の向こう側から飛び込んできた光景に、アリアは間に合わないことを悟る。


「その身に悪神を縫い付けたまえ!」

「マーロゥよ! 加護を!!」


 クレーターの中心で、膝立ちでアリアに向かって右手の人差し指と中指を向けて魔術を発動したレオンと。

 咄嗟に詠唱を、レオンの発動した術を打ち消そうとしたアリアの魔術が空中で衝突、拮抗する。


「……くっ……詠唱短縮……だと……!?」

「……ふ……ふふ……貴方がどうやって【天罰】を凌いだのかは……知らないけれど……切り札を持っているのは……貴方だけじゃないのよ!!」


 一時的とはいえ何とかレオンの魔術を無効化し、笑みを浮かべるアリアだが、その内心は冷や汗をかいていた。

 それもその筈。

 その足元には光の蛇のように大地がひび割れ、円形状に広がっており、いつその魔術が発動するか紙一重というところだったのだから。


(これは……捕縛術……? いえ……封印術……かも。ともかく……これが発動したらまずい)


 いつの間にかアリアは額にびっしりと汗をかき、必死に魔術に対抗する。

 咄嗟にアリアが放ったのは上級魔術の【ディスペル】だ。

 如何に詠唱短縮で効果が低下しているとはいえ、そうそう打ち消される術ではない。

 にも関わらず、空中で停滞する魔術の渦は、どちら側にも動かず、次第に魔力量を増やしながら漂っていた。


(前方から来る魔力は……大した事ない。でも、この術……大地から……)


 レオンの方から来る魔力だけならば力尽くで打ち消すことが可能だっただろう。

 しかし、それ以上の魔力が大地から吹き上がり、徐々にアリアの動きを鈍くしていっていた。

 それでも、アリアには長期化すれば最終的には打ち消す自信があったし、それはレオンも同様に考えていた。


 元々レオンの魔力量は少ない。

 アリアの【天罰】を凌ぐために既に大きな魔術を一度使用してしまった状態で、長時間【地脈呪縛陣】を維持する事は出来なかった。

 それこそ、今この瞬間に打ち消されてもおかしくない。

 

 それでも、レオンにはまだ出していない“切り札”があった。


「……この術は……一度発動さえしてしまえば……後は大地の魔力が相手を拘束してくれる……封印術でね……」

「……それが……なに……? 悪いけど……直ぐに術そのものを打ち消すから」


 その言葉通り、僅かにだが、魔力の塊がレオンに向かう。


「……切り札ってのは……普通最後までとっとくもんだよ……な?」

「……? ……だから、さっきも言ったでしょ? 既にお互い切り札を……」

「……悪いな……俺はまだ……切ってない……」


 ジリジリと自分の方に近づいてくる魔力の塊を目にしつつも、レオンは笑って右手を掲げる。

 その指に光っているのは一つの指輪。


「【増幅ブースト】……って、魔術がある……こいつは、大量の魔力を使用する変わりに……一度だけ術の威力を倍増させる事の出来る……魔術だ。……最も、魔道具であれば……魔力の量とか……関係ないけどな……」

「……え……?」


 レオンの言葉にアリアは何を言われたのか一瞬理解できなくなる。

 ただ、レオンがアリアに向けてくる指に嵌められている指輪が光輝き、既に何らかの術の準備状態に入っているという事。


「……今の……辛うじてあんたが勝っているこの状態で……俺の魔術が倍増したら……どうなるかな……? 結構余裕そうに言ってたが……本当に……耐えられるか……見ものだな……」

「……ちょ……ちょっと、ま──」

「──喜べよ」


 既に目と鼻の先にまで接近した魔力の塊に光り輝く指を向け、レオンは笑う。


「あんたは俺が1体1で戦った中で、記念すべき最初のだ」

「止めーーー!!」

「【増幅ブースト】!! 【地脈呪縛陣】!!」


 レオンの言葉と同時に形勢は一気に逆転し、魔力の塊はアリアに直撃。

 そのまま大地と地上の魔力が引き合うように鳴動し、1人の少女を縫いとめた。


 悲鳴さえも縫いとめたように全てを止めた大地の魔法陣。

 その姿をレオンは見下ろし、目に留めたあと、視線を左手側へと向ける。


「……勝ったか。アイリス」


 その先に見えるのは天空に登る1条の光。

 それは、嘗てレオンが敗れた時に目にした光景そのもので。


「……俺も勝ったよ。勿論、褒めてくれるよな?」


 だからこそレオンは安心し、その場で後ろに倒れこむ。


「…………」


 大地に大の字になったレオンの目に飛び込んできた星空は、あの日、アイリスに敗れた後に見た夜空と変わらず美しかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る