第10話 現れたるは銀色の風
6体のスペクターが4人の前に現れてから少し後の事。
暗闇の森の中を村に向かって駆け抜けている銀色の狼の姿があった。
背にはグッタリと腹ばいになって揺られている金髪の青年。どう見ても満身創痍な様子であったが、僅かな動きながらもその青年──レオンが銀色の狼の背から降りようとしているのは見てわかった。
「ウィル……頼む。止まれ。止まってくれ。このまま……俺だけが逃げることなんか出来ない」
よく動かない体であったものの、何とか重心をずらして地面に落ちようとしているレオンであったが、その度にウィルは絶妙に体をずらしつつ走る方向を調整し、レオンの体が自らの体から落ちないようにしていた。
レオンに取って幸いであったのは、レオンが落ちないように走っている為か、いつもよりも格段に落としたスピートで進行し、まだ、カリン達のいる場所からそれほど離れていないという事くらいだろう。
「ウィル……!」
悲痛な声のレオンの頼みも、ウィルは全く聞き入れない。
普段であればレオンの言う事には絶対に逆らわないウィルだが、事がレオンの命に関わる事なら話は別だ。
特に、ウィルはレオンを村まで確実に送り届けるよう決死の表情のカリンに頼まれたのだ。
カリンに対して少なくない友情を感じているウィルにとって、レオンの身の安全を含めて主人の命令を無視するには十分すぎる理由があった。
しかし、当の主人はそんな事は全く考慮に入っていなかったらしい。
右手に生命エネルギーを込めた練気拳を発動させると、その拳をウィルの右脇腹に叩き込んだのだ。
当然、苦悶の唸り声を上げたウィルは体をずらし、その隙にレオンはウィルの体から転げ落ちる事に成功する。
やや回復してきたとは言え、魔力枯渇状態には変わりがないレオンだったが、元々練気拳は魔力を使用しない。
走っているウィルから転げ落ちたために体の至る所をぶつけたレオンだったが、何とか上半身を起こした先に見たものは、唸り声を上げつつ顔をしかめたウィルの姿だった。
「グルルルルルゥ……」
「待て。頼むウィル。見逃してくれ」
見逃せと言われて見逃す馬鹿がどこにいるのか。
レオンの言葉を聞き入れる様子の見られないウィルに対して、レオンは疲れた表情でツトツト語る。
「別にあの場所に取って返そうってわけじゃないんだ。ただ、このまま俺一人逃げ出して、あの3人を犠牲にするのだけは絶対に嫌なんだ」
今回のレオンに対する扱いに関しては、あの場にいた3人の一致した意見だった。
魔力枯渇状態で動けないレオンを守りながら戦うのはいくらなんでも無謀を極めたし、肩書きだけを見た能力で考えるなら、あの3人はレオンよりも遥かに上位に位置していた為、村を守る為に敵を足止めし、更に現状を村長に報告する為にはそれしか方法が無かったとも言える。
勿論、そんな事は理屈の上ではレオンだって理解している。
しかし、理屈でわかっているからといって、納得できるかどうかは別だった。
「思えば、最初から俺が決断していればこんな事にはならなかったんだ。こんな状況になってさえ自分自身の保身を願うなんて、いつまでたっても俺という人間は変わらない卑怯者だ」
思い出されるのは15歳の時に弟と対峙した時の事。
剣術のみの立ち会いとわかっていたはずなのに、勝利に執着して魔術を使用しようとした。
その時にレオンは右腕を失っている。
思い出されるのは6年前の旅の途中。
何だかんだ文句を言いながらもレオンを守ってくれていた少女を裏切ってしまったあの日の事。
その時にレオンは自分に心を許していた少女からの信頼を失った。
「俺はいつだって自分の行いで大切な物を失ってばかりいた。でも、今ならきっとまだ間に合う。俺自身が傷つく事で、3人の事が救えるなら、俺はあの3人を失いたくないんだ」
自身の右手の人差し指を軽く噛み切り、血を滲ませた親指を見ながらレオンは語る。
そんなレオンを見ながら、目の前にいたウィルも唸り声を上げるのをやめて、ただ、心配そうな瞳をレオンに向けるに留まっていた。
「思えば、お前にも心配かけてばかりだったな。【アイリス】と別れた後、赤ん坊だったお前を拾ってここまで一緒に暮らしてきたけど、随分助けられたもんだ。初めは慣れない子育てで苦労したけど、一年もしないうちに逆に守られる立場になったもんなぁ……」
当時の事を思い出したのか、遠い目をしたレオンに対し、ウィルは「くぅん」と小さな鳴き声を漏らす。
「今の俺は幸せ者だ」
レオンは実家を追い出されてからここまで一度も口にしたことのなかった心境を吐露する。
「だから、この幸せを壊す存在を看過できない」
言いながら、血の滲んだ親指を唇に塗りつけ、道具袋から一枚の呪符を取り出すと、何かの文様が書かれた上から自らの血でもって更なる文言を付け足して。
「自分から裏切っておきながら、いざ苦難に陥ったからって再び助けを借りようなんて、厚顔無恥にも程がある。けど、それであの3人が助かるのなら、この身はいくらでも差し出そう」
そうしてレオンは目の前の地面に呪符を置くと、それを挟むように両手を地面につけて覚悟を決める。
「我が血をもって呼び掛ける。契約の門を司る精霊神オリジンよ。我が血、我が魂を贄として、契約の門を開く事を許し給え」
レオンの祝詞に反応するように、地面に置かれた呪符が発光し、そこを中心として大地に巨大な魔法陣が展開される。
そして、同じように大地に置かれたレオンの両手を発光し、合わせてレオンの額からいく筋もの汗が流れて地面に落ちた。
「今扉は開かれた。我が魂の一端を担いし銀色の風よ。自由を尊び、誠実を愛し、全てをなぎ払う尊き風よ。我が血を見よ。我が魂を目指せ」
展開された魔法陣から目の眩むような光が溢れ出し、リオンの中から何かがごっそりと抜け落ちるような感覚に陥る。
しかし、レオンは言葉を止めない。
むしろ、此処からとばかりに一言一言に力を込める。
「我が名はレオン」
それが嘗て自分が裏切ってしまった少女の目指す目印だと言うように。
「我が魂の契約者。同一の命を持つ者よ!! 今! この時を持って再び我が前に現れ給え!!」
既に光は昼間を凌ぐほどに溢れている。
そして、その中心から吹き上がる暴風に、レオンは成功を確信した。
「顕現せよ!! 神風の神子【アイリス】ぶごっ!!」
全ての手順を完遂し、最後の力ある言葉を言い切ったレオンだったが、その言葉が終わると同時に突然出現した小さな生足に蹴り飛ばされた。
それはその小ささからは考えられぬ程に強烈で、蹴られたレオンは勢いよく後方に吹き飛び、そのまま森の木に激突してようやく止まる。
「……まったく。6年ぶりに呼び出されて何の用かと思えば……」
言葉を発したのは先ほどレオンを蹴り飛ばした幼女だった。
座った状態のウィルとそれほど変わらない身長に幼い顔立ち。銀色の長髪を風に靡かせ、覗いた少し尖った耳が、彼女が人間ではない何かという事を主張しているように感じる。
最も、一糸まとわぬその姿が、それらの印象を全て台無しにしているようではあったが。
「それも、謝罪なら兎も角強制的な呼びつけとはな。貴様は自らの立場というものを分かっているのか? ん? いや、立場が分かっているから呼びつけた? 何ともややこしいな」
腕を組み、1人首をかしげつつ、レオンの元に歩み寄る幼女。
その歩き方や態度は堂々としており、見た目の年齢にはそぐわないアンバランスなものだった。
「……謝罪する前に蹴り飛ばしておいてよく言う……」
「あ? 何ぞ言ったか下僕? 我がその気になれば貴様ごとき直ぐにでも塵に出来るのだぞ? それが出来ない理由があるからしないだけでな」
フンッと鼻息を吹き出して高圧的に言い放つ幼女に対して、レオンも笑う。
「そりゃ出来ないよな。俺を塵にしたら仲良くお前も塵になるものな。【アイリス】?」
「……貴様っ!!」
レオンの言葉に銀髪の幼女──アイリスは犬歯をむき出しにして怒りを顕にしたが、直ぐに頭を下げたレオンの行動に、眉間に皺を寄せた。
「……何の真似だ?」
「先ずは謝罪を。貴女に守られておきながら、貴女の事を信頼できず、恐怖に駆られて俺があの時取った行動に関しては、許してくれとは言えません。本来であればこの命を捧げる所ですが、現在の俺と貴女の関係上それはできないでしょう。ですから、それ以外の事に関しては如何様にも受け入れますので、どうか力を貸していただけないでしょうか?」
「……お前本当にレオンか?」
頭を下げたレオンの言葉に、アイリスは気持ちの悪いものでも見るように顔を顰めて後ずさる。
しかし、それでようやくアイリスも今のレオンの状態を正しく把握したのだろう。直ぐに真剣な瞳をレオンに向けた。
「なんともまあ、酷い状態だな。これはあれだ。意識が混濁したまま風の中を彷徨っていた状態で、いつの間に消滅していてもおかしくなかったの」
「どうやらそのようで。しばらく見ない間に随分と若返っているようですし」
「何? うお!? 何だこれは!?」
どうやら今まで気がついていなかったのか、己の姿を見たアイリスは、直ぐに両手で体を隠して悲鳴を上げる。
「しかも裸ではないか!! ええい、貴様何を見ている!? あっちを向かぬか!!」
「いや、別に情欲をそそるような体では──」
「貴様殺すぞ!? いや、殺せんけど!! それよりも、その気持ち悪い言葉を今すぐ止めよ!! 気色悪すぎて背中がゾワッとするわゾワッと!!」
「しかし、俺の立場上……」
「ふんっ! 我との立場を入れ替えかねん術を使用しておいて何を今更。今の我の知識は貴様の知識とも同様だ。我の知識のおかげでさぞかし実力を上げたのだろう? あれから6年。一度も呼び出されなかったのが何よりの証だ」
「そんな図太い神経の持ち主が何を」と続けたアイリスに、レオンはようやく頭を上げ、アイリスを正面から見据える。
まだ僅かに発光している魔法陣に照らされたアイリスは、全身を真っ赤に染め上げモジモジしていた。
「どの道、精霊神との契約を用いた以上、契約の破棄はまかり成らん。生涯この枷が外れんというのなら、我の選択としては少しでも長く存在する為に貴様を生かすしか道は残されておらんだろうが。当然不満はあるが、納得はしてやる」
「お前の言う人間ごときの寿命に合わせるってのか?」
「今更だ。我は既に永い事存在した。今更消滅した所で特に感じるものなどありはせん。ならば、最後の時くらい気まぐれに助けた下僕の人生を見定めてやるさ」
「そういうことなら、見定めてもらいますよ」
勿論完全に払拭されたわけではないだろうが、“最悪の”事態だけは避けられたと判断したレオンは深い溜息を突く。
只でさえ魔力枯渇状態だったところを、アイリスを呼び出すために精神的な力をごっそりと持って行かれたのだ。既に疲労は限界の極地に至っていた。
「……さて、心身共に限界に達している貴様に言うのも気が引けるが、貴様の願いを聞く前に“再契約”をはたしたい所なのだが。何分この体ではやりたい事も出来ぬ」
「……“再契約”……って、またアレをやるのかよ? どうしてもう一度契約する必要があるんだよ? 以前やっただろ」
「以前した契約は、お前がその後上書きした契約で無効になったわ。だからこそ、我は自我をなくして彷徨っていたのだろうがっ! とにかく、この姿のままでは大した力も出せん」
「こっちはさっきとんでもない力で蹴り飛ばされたけどな。大丈夫だよ。その体でも今回の相手くらいお前だったら余裕だって。いけるいける」
「全裸でか!?」
「大丈夫だって。向こうにいるのは2人は女だし、残りの1人も男とはいえ研究以外には興味がない変態だから」
「何が大丈夫なのかさっぱりわからんのだが!?」
何とか契約の前に3人を助けに行って欲しいレオンだったが、どうにも目の前の幼女は頑なにそれを受け入れるつもりはないらしい。
最早それ以上の問答は無駄だと悟ったのか、座り込んでいたレオンの傍まで近寄ると、両頬を両手で挟んで固定させる。
「いいか。下は見るなよ。我の顔だけを見ておれ。その瞳を少しでも下に落としてみろ。命を奪う事は出来なくとも、視力を奪うことくらいは出来るからな?」
「そんな事されたら今後俺自身の身を守る事もできなくなるだろうが」
「心配しなくても我がお前を守ってやる。目の見えない人間1人を養うくらい、我にとっては容易い事だ」
「お前それ、いくらなんでも──」
まだもグジグジと文句を零すレオンの口を、アイリスは素早く自分の口で塞いで止める。
唇を合わせ、ゆっくりと舌でレオンの唇を舐めた後、その舌をレオンの口内にねじ込み、乱暴にその中を蹂躙した。
「んぐっ!? んぐぐっ!」
「…………」
驚いたレオンは目を見開くと必死に抵抗しようとしたが、いかんせん体が動かないだけあり、されるがままだ。
やがて、口内から舌が引き抜かれると同時に、唇と唇を繋ぐ唾液のアーチと同様に、精神の部分で2人の間に何かの繋がりが発生した事を実感した。
「……契約は成った」
それは以前取り交わした時と同様で。
自らの口元を一頻り舐めたアイリスの体に異変が現れる。
幼かった顔立ちは少女膳としたものと変わり、身長はカリンと同程度にまで成長した。
そして、一糸まとわぬ姿だった体には、真っ赤な鎧にまとわれ、腰には光り輝く宝剣が下げられていた。
「これで、ようやく元の姿に戻れたな」
満足そうな笑みを浮かべるアイリスの姿は人間で言えば14~15歳位だろう。見た目的には本当にカリンと同年代だ。
もっとも、その姿はレオンと初めて会った時と同様だったので、レオン自身もようやく人心地付いたように息を吐く。
「それじゃあ、早速頼みごとをしていいか?」
「先程から会話の節々に出てたから大凡の事はわかるがの。その願いを聞く条件を付けさせてもらうぞ」
「……何だよ? 条件って?」
ようやく本題に入れるかと思った矢先に出された条件に、不審そうな目を向けるレオンだったが、アイリスは事も無げに条件を告げる。
「貴様がこのまま自身の住処まで帰る事だ。何、この先にいる霊体から3人の人間を助ければいいだけなのだろう? はっきり言って貴様は邪魔だ」
「……言いたい事はわかるよ。でも、俺は──」
「見に伴わぬ行動は美徳とは言わんよ。少なくとも、今の貴様にその資格はない。その狼の気持ちも、恐らくはその狼に貴様を託したのであろう貴様の“仲間”とやらの想いもわからんでもないし……の」
レオンと目線を合わせる為に膝を折っていた状態から立ち上がり、見下ろすアイリスの姿は月明かりに照らされて神秘的に映る。
特に風に靡く銀髪が、その姿を一層引き立てていた。
「今の我は以前と同様に契約の鎖で縛られた。今では貴様の首に括りつけた我が“首輪”もしっかりと見える故、帰り道に関しては心配しなくともよい。貴様が拒絶しない限り、今度こそ我は最後まで貴様の傍に有り続けよう」
以前は僅かながらも恐怖を感じた台詞だった。
嘗てはその恐怖心に抗えず、彼女を上位の契約で無理やり鎖を断ち切ってしまったが、今ならその行為が間違っていたということがよくわかる。
レオンはアイリスにだけ見えるという首輪があるであろう自分の首元を右手でなぞると、やや力が抜けたような笑顔で“半身”でもある彼女に頼む。
「わかった。黙って家でおとなしくしているから、皆の事はよろしく頼む」
「心得た!!」
話がついてしまえばその行動は早いもので、次の瞬間には既にアイリスの姿はどこにもなかった。
それは例えるならば銀の疾風。
アイリスが向かったであろう自分が逃げてきた方角に目を向けた後、レオンは背にした木に体を預けて力を抜く。
そんなレオンを慰めるように、銀狼のウィルはレオンの頬に自らの舌を撫で付けるのだった。
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