第9話 歓喜と絶望と
魔道具が発動した瞬間、レオンが感じたのは途轍もない勢いで自らの体の中から抜け落ちていく魔力だった。
例えるならば、穴の空いた袋に際限なく水を注ぎ入れているような感覚。
(なるほど。この魔力の出処が自分の中からなのか、外からなのかは分からないけど、このガンガンに注ぎ込まれてくる魔力の供給が終わる前に全てを終わらせなければいけないと)
魔力量が上がった事で自然と魔力から生命力に変換されている術式が元気づいたようなので、防御はほとんど無視してレオンはスペクターに飛び込む。
色々と厄介な相手ではあるものの、接近した時のスペクターの恐怖は近づいたものの生命力を無差別に奪うエナジードレイン以外は大した事がない。
それならば、多少の小細工はその身に受けて、直ぐに勝負を決める事を選んだのだ。
「どの道こっちには時間がないしな! 俺の方からの小細工は無しだ!」
叫び、レオンは発光した右拳をスペクターに叩きつける。
練気拳に関しては発動する為に必要なのは魔力ではない。
しかし、魔力から変換される生命エネルギーが増加した影響なのか、レオンが思っていたよりも威力があったらしく、森の中から出る事のなかったスペクターを魔術が爆散し、ちょっとした広場に姿を変えた最初にカリン達を助けた位置まで吹き飛ばした。
(嬉しい誤算だな)
レオンは自らの表情に笑みを貼り付けると、腰に差していた長剣を引き抜き、一気に魔力を込めた。
「大地に棲まう森羅万象の尊きモノたちよ! 我が魔力を楔とし、その身に悪神を縫い付けたまえ!」
術の詠唱と共に魔力を込められ、刀身が眩い光に包まれた長剣をレオンは地面に突き刺した。
すると、先程まではただの焼け爛れただけの大地がひび割れ、光の蛇のように円形状に広がった。
当然、その程度の危機察知能力はあるのか、スペクターは再び距離を取ろうとするが、当然、それを逃がすレオンではない。
長剣から手を離し、猛然とスペクターへと迫ると、放たれた魔術を練気を纏った左手で弾いて逸らし、そのままスペクターを追い抜いた後に反転しつつ右拳を振り抜いた。
急激に方向転換した事で力自体は逃げてしまっていたが、そこは威力が上昇していた練気拳。
不自由な体勢で振り抜かれたにも関わらず、吹き飛ばされたスペクターは一直線に魔力を帯びた長剣に衝突すると、その場で雷を受けたかのように動きを止めた。
「発動! 地脈呪縛陣!!」
対象が範囲に入った事で術を発動させたレオンの声に呼応するように、大地が不気味に躍動し、範囲内にあるエネルギーを一気に大地に吸い込みだした。
「東方で開発されたという初級の封印術か。少ない魔力でも大地の魔力を利用する事で磁石のように対象を固定させる封印術のなりそこないだよね? 残念だけどこれだけじゃ──」
「まだだ」
スペクターの動きが止まった事で近くに歩いてきたアンドレの言葉を遮って、レオンは膨大なる魔力を利用した魔法陣を、何もない空中に描き出す。
「あれはあいつをちょろちょろと動き回らせない為の布石だよ。本番は──」
その魔法陣は、アンドレはおろか、おそらく、現存する高位の魔術師でさえどれほどの人間が認識できるのかわからないくらい緻密なもの。
少なくとも、当のアンドレでさえこの規模の魔法陣は書物の中でしか見た事が無かった。
「──これからだっ!!」
「待てレオン!! これは──」
レオンの気合の咆哮に権限した魔法陣は、周囲に光の線をいく筋も走らせる。
それはさながらクリスタルの牢獄のように、スペクターを中心として光り輝く宝玉と化した。
「我は願う! 古き盟約の名において! この手に捉える空間を切る!」
伸ばした右手の先にはスペクターを捕らえたクリスタルプリズン。
その牢獄を握りつぶすように手を閉じて、レオンは最後の言葉を告げた。
「【次元断絶】!!」
そうして発動したレオンの魔術は。
途轍もない量の魔力を辺りにまき散らしながら、空間そのものが何者かに握りつぶされたかのようにひしゃげて消えた。
◇◇◇
「これでどう? 気休めだけど、少しは良くなったんじゃないかなぁ?」
場所は移り、レオン達がスペクターを相手に戦っていた魔術によって吹き飛ばされた大地から少し離れた森の中。
そこでは、ウィルを背もたれ替わりにして座っていたカリンに対して、ヒルダが虎の子の上級ポーションを使用した所だった。
「ん。よく動かないのは変わらないけど、痛みは感じるようになってきたよ」
「よかった。痛いって事はその腕が生きているって証明だもの。もしも、あのままカリンちゃんの腕が動かないままだったら、私はレオン君に会わせる顔がなかったし」
ヒルダの言葉にカリンは首をかしげる。
「どうして、私の腕が動かないとヒルダさんがレオンに怒られるんですか?」
それはカリンにとっては当然の疑問だったのだが、問われたヒルダは苦笑する。
「カリンちゃんって普段の行動の割にたまにおかしな事言うよね~。如何にぼっちのレオン君でも、大事にしてる子が一生消えない傷を負ったなんて言われたら、八つ当たりの一つでもしたくなるでしょ」
「大事? 私が? レオンに? 嘘だよ。だって、レオンったらいっつも私に心配かけて……」
「レオン君ってさ。本当に心を許した相手でもない限り、自分の事を話したがらないでしょ。いつもレオン君が一人で仕事に行くのもさ。多分、心のどこかで自分の能力を見られたくないって考えてるからだと思うよ? そんなあの子がカリンちゃんには剣術を教えたんだよ? それって結構凄いことだと思うけど」
「私に対する扱いと比べてみてよ」と、冗談交じりに付け加えたヒルダに対し、カリンも釣られて笑ってしまう。
「うん。確かにヒルダさんに対するレオンは酷いね。傍目に見ても、関わりたくないよっていう気持ちが伝わってくる」
「でしょう? カリンちゃんもあの唐変木に何とか言ってやってよ」
「やだよ。只でさえ心配かけられてるんだもん。これでヒルダさんと仲良くなっちゃったら冒険者ギルドの仕事も沢山受けるようになるじゃない。ヒルダさんはレオンに適度に嫌われているくらいが私は嬉しい」
「いや、いくらなんでもそれは酷すぎるよぉ……」
「ははは。ごめんね。でも、今のままじゃレオンを王子様にするのは無理そうだね」
「……お願いだからそれは忘れて……」
そんな事を言い合いながら、お互い笑顔を出せるようになった頃。
カリンに身を寄せていたウィルが急に動き出すと、カリンに対して目配せでもするようにじっと見てきた。
「? どうしたの? ウィル。もしかして、レオンに何か──」
「カリンちゃん!」
瞳を瞬かせてウィルに問いかけるカリンとは別に、ヒルダもウィルと同様の事態を感じ取ったらしい。
直ぐに立ち上がると、レオン達が戦っているであろう方角から、濃厚な魔力が吹き込んできているのが体感できた。
「どうも向こうで何かあったみたいね。どう? カリンちゃん走れるかな? 無理そうならお姉さんが肩貸してあげてもいいけど」
「心配しなくても走れるよ。私はヒルダさんとは違って疲れて戦線離脱したわけじゃないからね。流石にスペクターは無理だけど、左手だけでももう一戦くらいなら出来ると思うよ」
「……頼もしいというべきか、生意気だというべきか……。まあ、死にそうな目にあった割には頼もしいとしておきましょう」
そんなやり取りをした後、2人と1匹は魔力の流れてくる方角に向けて、進むのだった。
◇◇◇
「なんとまあえぐい事を……」
レオンとアンドレの元にたどり着いて、現場を目にしたヒルダが最初に口にしたのがそれだった。
周りの木々が破壊されて辺りに飛び散っているのはヒルダ達もレオン達に助けられた時に見ていたが、その中心地である荒地の中央に、小屋一つ分はあるのではないかという大きさの円形の窪みが出来上がっていたのだ。
「えぐいと言う意見には僕も同感だね。こいつを見てもらえればわかる通り、スペクターは文字通り“消滅”したよ」
おそらくその実行者だろう。ヒルダは地面に蹲って痙攣し、その背中をカリンに撫でられているレオンを見て、呆れたような表情を見せる。
「初級の基本技しか扱えない人じゃなかった? それが、どうしてこんな事になってるのよ?」
「初級の基本術だ。見た瞬間は僕も慌てたけど、冷静に考えたらレオンが使ったのは確かに初級の基本術だったんだ。ただし──」
冷静になったと口では言っても、まだ混乱の最中にあるのだろう。
僅かに声を震わせて、アンドレは言葉を続けた。
「──既にこの世から失われて久しい、今の世では誰も習得していない筈の魔術。嘗て神族が行使していたと古文書に記載されている空間魔術の基本術だ」
「……神族……?」
アンドレの言葉にヒルダは絶句する。
アンドレの言っている事が本当ならば、レオンが使ったのは確かに初級の魔術だったのだろう。
ただ、それは神族が使用すればという前提の元の話となる。
恐らくは、本来神族以外使用する事が出来るはずがないその術を、どうしてレオンが使う事が出来たのか? という疑問が残る。
「……どうしてレオンが空間魔術を使う事が出来たのかも疑問だけど、僕としては、誰がレオンにこの術を教えたかの方が知りたいね」
「多分教えてくれないでしょ? この子案外頑固だし」
「まあ……ね」
「…………誰が…………頑固だ」
既に真意を尋ねることを諦め始めていたヒルダとアンドレの2人の元に、弱々しいながらもしっかりとした口調のレオンの言葉が届いた。
とりあえずもう蹲る事はしておらず、胡座をかいた状態で背中からカリンが抱きついている……という何とも言い難い体制ではあったが。
「頑固者で、秘密主義。僕は何か間違った事を言っているかい? 今日まで僕は君のことを結構評価しているつもりだったけど、それすらも過小評価だったと思い知らされたんだけど?」
「……今回の術は……お前の魔道具があってこそだ。あれは俺の魔力だと……足りなくて、術式は展開するけど発動まで持っていけなかったんだ」
「いや、それって今後魔力が成長したら解決する問題よねぇ? 流石に、この規模の魔術をポンポン打たれたら、お姉さん自信喪失しちゃうんだけど」
2人の言葉にレオンは黙る。
最も反論したくても魔力欠乏状態が酷すぎて言葉にならなかったというのもあるが。
「2人とも言いたい事は沢山あると思いますけど、とりあえずみんな無事だったし、一番の強敵も倒せたんですから、そろそろ村に戻りませんか? 流石にこの状態のレオンをこの場に放置するのはちょっと……」
カリンの言葉にヒルダとアンドレはお互い向き合うと、軽く頷き合う。
「確かにそうだ。お互い納得できない事は後日レオンに聴くことにしよう」
「そうねぇ。思っていたよりもずっと強い事もわかったことだし、今後はランクアップを主体にした依頼を振るのもいいかもねぇ。そうすればいずれはデミルのギルドの顔として、私と共に……」
「止めないか。レオンが言い返す気がない事をいい事に何を言っているんだ君は? そんな事だからレオンに──」
ふざけた様子のヒルダに対し、注意を促そうと口を開いたアンドレだったが、次の瞬間には振り返り、臨戦態勢を取って森の中を凝視した。
そして、それはカリンとヒルダの2人も同様で、全員違う方向ではあるものの、緊張した様子でそこから目線を外す事が出来ずにいた。
「アンドレ。一つ聞いておきたいんだけど」
「何だ。詰まらない話なら後にしてくれ」
それは言外に喋るなと言ったつもりであったのだが、その意味が伝わらなかったわけでもないだろうに、ヒルダはその言葉を無視して続けた。
「スペクターが一体だけって話……どこから出たんだっけ?」
「どこからも出ていない……な。なんて事だ。これはハーゲル子爵軍も返り討ちに会った可能性が高くなってきたぞ……!」
3人が視線を向けた森の中。
その中から、それぞれ2体ずつ──。
──合計6体のスペクターがその姿を現した。
その様子はあたかも、撒き散らされた魔力が撒き餌となったように──
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