第7話 君には笑って欲しいから
冒険者がパーティーを組むのには理由がある。
敢えて危険な場所に飛び込んで様々な依頼をこなす都合上、彼らが相手にするのは海千山千の手練や、多種多様なモンスター。それに、過酷な自然現象や探索地。
例えば、世界一の剣技を持ち、世界最強の剣を持った人間がいたとしても、全ての依頼を完璧にこなすのは少々無理があるだろう。
それは、最強の魔術師であったり、最高の神官であっても同じ事。
いつ何時、どのような事態に陥ったとしても、万全を期して物事を安全かつ確実に成し遂げる為に、強者であればあるほど、様々な特技をもつ仲間を集めて事に当たるのである。
そこには本来立場の上下は存在せず、ただ、適材適所という役割分担があるだけなのだ。
つまり、何が言いたいかというと、どれほど剣の腕が常人離れしていようが、戦う相手が物理攻撃が全く通用しない相手だった場合、その力は全くもって宝の持ち腐れとなってしまうという事だ。
「……くっ……!」
右手に持つ細剣を浮遊するスペクターの胸に切りつけつつ、そのスピードのまま反対側まで駆け抜け、振り返ったカリンの表情は戦闘開始の時の表情とは裏腹に、苦渋に満ちたものになっていた。
少女の象徴でもある赤い髪は、額にびっしりと浮かび上がった汗に張り付き、普段の余裕のある雰囲気はなりを潜めている。
それもその筈。それこそ、これまでカリンは数え切れない程の斬撃を目の前の霊体に叩き込んできたのだ。それがここまで通用しないと、流石にいくらカリンといえども心身ともに消耗してきても当然だ。
「霊滅薬を塗した剣がここまで通用しないなんてね」
勿論、カリンとてわかっている。
相手は上級のアンデッドモンスターであるスペクターだ。
事前情報でも霊滅薬が通用しないということはわかっていた事だが、それでも、自分の剣術ならば通用するのではないかという思いがあったのだ。
これは若くてある程度慣れた冒険者によくある考えなのだが、カリンに関してはある程度仕方ない部分もあっただろう。
まず、カリンは今までゴースト系のアンデッドと戦った事が無かった。
次に、カリンは今までに絶対に剣が通用しないと言われていた高攻殻のモンスターと戦った事があり、普通の冒険者なら傷一つ付けられなかったモンスターの攻殻を切り裂いたという経験があった。
つまり、カリンの中にある図式として、自分の剣術はある程度物理攻撃の効かないモンスターが相手だとしても、何とかなるに違いないという考えになってしまっていたのだ。
そうなってくると、経験の浅い冒険者にありがちなのが、『そんなはずはない』と通用しない攻撃を延々繰り返して、最終的に敗北するというパターンである。
そして、残念な事に現在のカリンは限りなくその状態に近い位置に立っていた。
「カリンちゃん! ここは一度引きましょう! この位置だったら陽が昇るまでに村まで近づいて来ない確率が高いわ! 一度引いて、領軍なり国軍に対応して貰わないとどうにもならない!!」
弓で牽制しながらそう声を掛けてくるヒルダだが、口にしている彼女本人が自分が都合のいい事を言っているだけだという自覚はあった。
もしかすると、ここで2人がスペクターに遭遇しなければ、低い確率ながらリンダの言うような対応でどうにかなった可能性もあったろう。
しかし、残念ながらカリンとヒルダはこの場所でスペクターと会ってしまった。
こうなってしまったら、2人が村に引いたとしても、スペクターは2人の痕跡を追って間違いなく村に到達するだろう。
ここであってしまった以上、どこを戦場にするにしろ、最早討伐する以外の選択肢は無くなっていたのだ。
当然、そんな事はカリンにだってわかっている。
わかっているからこそ、先程から盛んに提案されている撤退の提案を無視し続けているのだ。
何しろ、もしもここでヒルダの提案を受け入れてしまったら、自分のとった行動が間違っていたと認める事になってしまうのだから。
「そんな事……そんな事あるはずないっ!!」
「カリンちゃん!!」
ほぼノーガードでスペクターに突っ込んでいくカリンに向かって悲鳴じみた叫び声を上げるヒルダだったが、気持ちと体は別物なのか、悲壮な表情をしつつも右手で腰に括りつけていた一枚のスクロールを展開し、矢尻を叩きおった矢でスクロールごとスペクターに向かって放つ。
「【浄化】!!」
スクロールを中心として発動された中級神聖魔術はしかし、スペクターの動きを鈍らせる程度の効果しか得られなかった。
しかし、そのお陰で僅かにそれたスペクターの霊体の尾は、本来向かうはずだったカリンの胸元からそれて、細剣を持っていた右手に当たるのみで済んだ。
「ああっ!!」
最もそれは、命をつなぎ止める事が出来たというだけで、ダメージを無にする事は出来なかったが。
「カリンちゃん!」
ヒルダは直様飛び出すと、細剣を取り落としながらも何とかスペクターの攻撃範囲外に転がり出てきたカリンを抱えて大きく後退する。
元々それほど積極的にカリン達に襲いかかろうとしていなかった為か、スペクターたちの動きは鈍い。
だが、流石にここから逃げるだけの隙は見せてはくれないだろう。
「……ごめんなさい」
カリンを抱き抱えながらどうしようかと考えていたヒルダの耳に、随分と弱々しくなってしまったカリンの謝罪の言葉が届く。
ヒルダはゆっくりと後退しながらスペクターの動きを視界の端に留め置きつつ腕の中に目を向けると、涙目のカリンが小さく震えながら見上げているのが見えた。
「私が勝手な事をしたせいで、ヒルダさんまで危険な目に合わせちゃった。何だか右手は感覚が無くなって動かないし、きっともうダメなんだよね?」
「…………そうね」
ここで、「そんな事はない」というのは簡単だ。
しかし、それではせっかくカリンに芽生えた反省の心と経験が全て無駄になってしまう。
そう。無駄になってしまうのだ。
こんな状況になってもヒルダはまだ生き残る事を諦めてはいなかった。
カリンもこんな所で死なせるつもりも無かった。
せっかくこれほどの経験を積んだのだ。
この経験を糧に今後の行動を改めれば、カリンはもっとずっと高みに上っていけるだろう。何しろ、それだけの才能があるのだから。
「確かに、この勝負は私たちの負けね。でも、簡単に殺されるつもりはないのよね。私は」
そう言ってヒルダは不敵に笑う。
視線の先のスペクターは2人の位置を特定したのか、ゆっくりとだが近づいてきている。
「だってそうでしょう? こんなに若い身空で、結婚もせずに死にたくないよ。せっかく、レオン君っていう将来有望な子も見つけたのにね」
「レ、レオンはっ!!」
「なぁに? こんな簡単にこんな所で諦めちゃうようなお子様に、レオン君が振り向くはずなくない? 確かに今はピンチだし、残念ながらあいつには勝てないだろうけど、諦めない女にはいつだってとびっきりの王子様が助けに来てくれるのが相場じゃない?」
後ずさりながらもにっこり笑ったヒルダに対して、カリンはしばらくアングリとした表情で見上げていたが、直ぐに眉間に皺を寄せるとカリンの腕を振り払うように腕の中から抜け出すと、立ち上がりながらボソリと呟く。
「……歳考えてよ」
「ちょっと! 酷くない!? 私これでもまだにじゅう──」
カリンの言葉にクレームをつけようとしたヒルダだったが、先程までゆっくりと前進していただけだったスペクターが突然凄まじいスピードで前進してきたものだから、言いたい事を中断して回避行動に移るが、若干間に合わない事を悟る。
ヒルダ自身カリンと同じように肉体の一部を持っていかれる覚悟をしたが、直後に引っ張りこまれ、危機を脱した。
ヒルダを引っ張り込んだのはカリンだった。
まだ生きている左手で咄嗟にヒルダの右手を掴んで後方に投げるように振り抜くと、その場で体を一回転させながらその勢いのまま腰に下げていた布袋の中から球状の道具を取り出し、
「目ぇ閉じて!」
「了解!」
投げて、発動する。
それは閃光玉と呼ばれる道具で、光で相手の動きを止めるための魔道具だった。
最も相手は上級の霊体モンスターであるスペクターなので、効けば儲け物。悪く言えば自棄糞気味の行動だったのだが、仮にも霊体である事から、強烈な光には多少効果があったらしい。
動きを止め、フラフラと2人の位置を把握していないような挙動を見せた所で、何の示し合わせをする事もなく、2人は同時に村に向かって駆け出していた。
「てっきり通用しないかと思ってたけど、案外効果があるもんなんだね」
走りながらそんな事を言ってくるカリンに対して、ヒルダは苦笑する。
「ホントーね。相手が上級モンスターだから、とにかく効果の高い道具を、魔術をって思ってたけど、意外とああいう効果の小さなものを沢山用意したほうが結果は伴うのかもね」
「……効果の低いものを……沢山」
ヒルダの言葉にカリンは一瞬ハッとしたように目を見開いたあと、考えるような素振りをした後ほんの少しだけ笑った。
「それって、何だかレオンみたいだね」
「レオン君……か」
剣術も魔術も、一流どころか二流どころにも全くかなわない凡人。
しかし、本来であれば身につけられる筈がない沢山の初級技を身につけているソロハンター。
様々な依頼を、たった一人で解決に導いた、万能型の冒険者。
「そうね。なんたって私一押しの冒険者だし」
「本人は素材屋だって言ってるけど?」
「あんな何でもかんでも雑多に仕事をこなす素材屋がいますか。あれが素材屋だって言うのなら、世の素材屋はどれだけ──」
「ヒルダさん!!」
逃げた事で気が緩んでいたのだろう。
後方の警戒もおざなりに雑談に耽っていたヒルダをカリンが肩から体当たりで吹き飛ばす。
すると、先程まで2人が走っていた地点を炎の塊が通り過ぎ、前方の森を赤く抉った。
「……ちょっと。魔術使うなんて聞いて──いや、資料にあったわね。よく考えたら、あいつは魔術を使うから厄介な相手なんだっけ」
既に足が痙攣を起こしていたが、何とか立ち上がったヒルダは背中に燃え盛る炎を背負い、今まで逃げてきていた方角に目を向ける。
そこには、全身に紫電をはしらせたスペクターが近づいてきていた。
「ヒルダさん20点減点だからね」
「まず、最初の持ち点が何点なのかが気になる所だけど今更ね。どのみち大失態なのは自分でもよくわかってるわ」
軽口を叩きあっている2人だったが、既に逃げ道を塞がれた状態で、今の2人の状態でスペクターを相手にする事がどんな結果をもたらすか位よくわかっていた。
(あー……ここまでかな。何とかカリンちゃんだけでもって考えてたけど、これはどう考えても無理)
ヒルダは頭の中で色々と考えてみたものの、どう考えても2人が生き残る作戦は思い浮かばない。
(そうなると、やっぱり、何とかしてカリンちゃんだけでも逃がすしかないかな。どちらか1人は必ず死ぬなら、どうでもいー私が死んだほういいもんね。絶対)
一度心に決めると色々と覚悟が決まるものだ。
ヒルダは左手で弓を握ると、右手で余程の事がない限り絶対に使わない漆黒の矢を取り出した。
(つまらなくて、下らない人生だったな。他人に利用されるだけの、道具のような人生。ああ、でも、最後にちょっとだけ笑えたのは良かったなー)
思い浮かぶのは自他共に認める弱い青年に、まとわりつく赤毛の少女と、ヒルダに挑発ばかりするいけ好かない魔術師ギルドのギルド長。
そして──。
(流石に…………結婚したいってのは冗談だけど。でも、最後に…………最後にちょっとだけでも、あの子の笑顔が見たかったかな……)
何度も何度も意地悪して、挫折を味あわせてやろうと思っていた。
弱いくせに、簡単に何でもいいから仕事をくれなんて言い放つクソ生意気な子供だった。
でも、何度無理な依頼を押し付けても、何度無茶な依頼を投げつけても、いつだって何でもないような顔をして帰ってきたのだ。
「素材です」なんてぶっきらぼうな一言だけ残して。
(ああ、そっか)
ヒルダは妙に納得した。
(私はあの子に……レオン君にはいつだって笑って欲しかったんだ)
ヒルダの中で1つの答えが現れたとき、前方のスペクターから立ち上るように魔力が湧き上がる。
ヒルダは直ぐに駆け出すと、漆黒の矢を番えてスペクターに向ける。
後ろからカリンの叫び声が聞こえるが構わない。
おそらくこれが最後の特攻。
うまくいけばスペクターの動きをしばらく封じる事はできるだろう。
ヒルダは全ての想いを振り払い、対象一点に全てを注ぐ。
その集中力や否や、ヒルダ以外の全ての存在を排除して、確実に目的を達する事を目的としたヒルダの切り札。
だからこそ気がつかなかった。
突然後方に燃え盛っていた炎が爆風で吹き飛ばされ、銀毛の狼が赤毛の少女を安全域まで咥えて走り、ヒルダに向けられていた炎の魔術を、魔術師ギルドのギルドマスターが何らかの魔術を用いてかき消したのを。
気が付くことが出来たのは──
「気功錬成! 拳に集中! 出し惜しみは無しだ! 吹っ飛べー!!」
──ヒルダ一押しの冒険者の声がしたからだった。
駆け出していたヒルダの体をあっさりと抜き去り、光り輝く右拳をスペクターに叩きつける青年の後ろ姿。
本来であれば物理攻撃が効かないはずの上級霊体アンデッドは、まるでハンマーで殴られたように後方に吹き飛ばされると、信じられない事にその体から霊体の欠片を撒き散らしながらたたらを踏んでいた。
その信じられない光景を目にして、ヒルダはいつの間にか足を止めて青年の後ろ姿を凝視していた。
確かにヒルダは最後に願った。
最後に少しだけでも笑顔が見たいと。
しかしそれは、決して死ぬことを諦めない相手へのご褒美だと思っていたのだ。
「らしくなく……」
青年は落ち着いた声でそう口にした後振り向いて、まるでいたずらが成功した子供のような笑顔をヒルダに見せた。
「失態ですね。ヒルダさん」
その笑顔は、ヒルダがずっと見たいと思っていたものだから、ここが戦場である事も忘れて、ヒルダは思わず口を尖らせ言ってやるのだ。
「そっちこそ──」
これ以上ないくらい憎たらしいタイミングで助けに来た──
「遅いよっ!」
──一番来て欲しかった男の子に。
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