第5話 ゴースト
(来るとしたら……北からか? いや、決めつけは良くないな)
村で急ピッチで対ゴーストの準備が進められている間、斥候役として指名されたレオンとウィルの1人と1匹は月明かりを頼りに暗い森の中を縫うように進んでいた。
なるべく広範囲を索敵の対象にしないといけない事からレオンの目から村の様子を見る事は出来なかったが、それでも村の中央に向かって明かりが移動している様子くらいは確認する事が出来た。
(村人全員が1箇所に集まれれば、とりあえず目の届かない所で犠牲者が出る事はなさそうだな)
あるとすれば現在偵察に出いているレオンくらいだろうが、いざとなったらウィルの背に跨って逃げる算段なので心境的にはある程度の余裕は持っていた。
それよりも心配なのは、ゴーストを発見する事が出来たとしても、完全に消滅させる事ができる手段を持つ者が村のどこにもいないと言う事だった。
(……一応、霊滅薬は剣には塗っておいたし、神聖魔法の【聖光】だったら俺でも使える……筈だ。最後に使ったのがもう5年以上前だから少し自信はないけど、試し打ちするわけにもいかないからな)
初級の魔術であればほぼ全てを扱えるレオンであったが、魔力量に関してそこまで優れているわけではない。
この先何があるかわからない以上、無駄な魔術の行使は控えなければならなかった。
(こんな事なら忘れないように一日一回でもいいからローテーションで使える魔術の確認をしとくべきだったけど……後の祭りか)
暗闇の中をウィルの後ろ姿を追うように走りながら、レオンも周りを観察する。
既にデミル村の北側を抜けて、そろそろ東側に差し掛かろうという位置にまできていた。
デニス村は西側に街道と出入り口を設け、東に向かうに従って山岳に入るような立地になっている。
よくデニス村を『開拓村の中継点』と呼ぶ人がいるが、丁度デニス村が開拓地に向かう街道を通る際の関所のような構造になっている為にそのように呼ばれるようになったとも言われていた。
(このまま進んだら山岳地帯に入る。いくらゴーストが地形を苦にしないと言っても、何もないこちらからの侵入はあり得るのか? そもそも、冒険者の2人が襲われたのは西側だ。その途中にある村を無視してこちらに来る意図が────!!」
一度足を止めて思考の世界に入ったレオンがおぞましい気配を感じて振り返ったのと、気配に反応してウィルが振り返ってレオンの背後に走り寄るのは殆ど同時だった。
「っ!! 通り過ぎてた!? まさかこちらが通り過ぎるのを待っていたとでも言うのか!? 直ぐにもどるぞ! ウィル!!」
レオンの呼びかけにウィルはレオンの股下をくぐるように走り抜け、レオンも軽く体を浮かせると、そのままウィルの背中に跨って銀色の体毛に手を巻きつけて固定し、漆黒の森を猛スピードで駆け抜ける。
夜目が利くウィルの本気のスピードは凄まじく、人間の足でかなりの距離だったとしてもそれこそ──大したスピードを持たない不死者の侵入を許すような真似は決してしなかった。
「──見つけたぞっ!!」
村の西の端。
丁度街道から村よりに少し入った森の中から現れたぼんやりと発光する浮遊物に向かってレオンは飛び出す。
それに合わせて、村に向かってウィルの遠吠えが響いたのだった。
◇◇◇
「見つけたか!!」
村の中央部に銀狼の遠吠えが聞こえてきたのは、全ての村人が集合し、戦闘準備を始める矢先の事だった。
当然、全ての戦闘経験者の戦闘準備が整っているわけではなかったが、少なくとも自警団とデュラン、それから冒険者ギルドと魔術師ギルドの責任者2名に関しては直ぐに戦える準備は終わっているようだった。
「よし、では当初の予定通りギルドマスターの2名とカリンはこの場に待機して住民の守護! 戦闘準備の整っていないものもこの場に残り準備を続行し、終わり次第この場の守護について欲しい。残りの戦えるものに関しては私の後に続いて戦闘に入ってもらうが、決して深追いはするなよ! 逃げたゴーストはそのまま放置で構わん! こちらの目的は日が昇るまでこの村を守る事だ! では、準備が出来たものはついてこいっ!!」
夜空に剣を掲げて鼓舞するデュランの声に村の男たちは声を上げ、駆け出したデュランの後に続いて駆け出していく。
その中にはカリンの父親であるレイドの姿もあり、中央の守りを受け持っているカリンはそんな父親に駆け寄っていく。
「お父さん!」
「カリンか。中央の守りは任せたぞ」
「それは大丈夫。それよりも……」
「……わかってる。レオンの事だろう? あいつの役目は偵察だが、どうせ無理してるに決まってるからな。儂らが合流しだい直ぐにここに戻るように追い払ってやるから、安心して待ってろ」
「うん……お父さんお願いね……」
「……ああ。任せろ」
不安そうな表情で目尻を下げる娘の頭を優しく撫でた後、レイドは少しでも遅れを取り戻すように全力でデュラン達の後を追う。
(……父親の心配よりも別の男の心配とは……とんだ親不孝者に育ったものだ)
内心そう思いつつも無意識に口の端を釣り上げるようにレイドは嗤うと、もしもレオンが無茶をしていたら絶対に殴ってやろうと心に決めた。
◇◇◇
「大地に宿りし初護神マグナよ! 我が信仰を贄として不浄のモノを打ち払う力を与え給え! 【聖光】!」
レオンが詠唱に合わせて伸ばした左手の先に光が集い、左手の先に漂っていたゴーストの1体が後方に吹き飛ぶ。
その隙をついて残りの1体がレオンに近づいてきたが、その1体をレオンは右手で持っていた長剣を振り払う事で後退させた。
「くそっ! 効果が薄いとは聞いていたけど、予想以上にダメージが通らない!!」
聖光にしても霊滅薬を塗った長剣の攻撃にしても、レオンの感覚からすると全くダメージが入ったような気がしない。
元々相手がアンデッドであるだけにそもそも表情や動作からダメージを推し量ることが難しい相手だというもの拍車を掛けていた。
「一進一退っていうよりも一歩下がって二歩下がるような状況だな。後続がくるまで持たさられっクソッ!」
息を付いている間に迫ってきた1体のゴーストを長剣で斬り払い後退させたかと思ったら、直ぐにもう1体が迫ってきて、返す刀で切り返す。
しかし、無理な体勢で切ったせいか、ゴーストの進行速度を緩めた程度で足止めになっておらず、レオンはたまらず一歩後退するしか無かった。
「フォローが無いから魔術の詠唱が間に合わない! これなら剣術だけで対処したほうがまだましか! ウィル! お前はあいつらに近づくんじゃないぞ!」
「フォローが無い」と愚痴ったレオンの言葉に反応するように動いたウィルをレオンが即座に叫んで止める。
相手が実体のある存在であればウィルは頼りになる相棒だが、相手がゴーストでは何もすることが出来ずにやられるだけだった。
ウィルにはいざという時にレオンの足になる大事な役目があるのだから、こんな場所で負傷させるわけにはいかなかった。
(ともあれ2体相手は流石にきついか。せめて1体だけなら──)
「おおおおおおおおっ!!」
後退しながらレオンがそんな事を考えていた時だった。
レオンの後ろから近づいて来るのは圧倒的な存在感。
何よりも敵に向かって雄叫びを上げながら大きな物音を立てて駆けてくるなどどこの素人だ? と、普段のレオンなら思ったかもしれない。
しかし、既に精神的に追い詰められ始めていたウィルにとってそれは、まるで天からの助けの声のようで。
その存在感がすぐ背後に近づいてきたと思うと否や、レオンはサイドステップで場所を移し、直ぐにウィルへと跨った。
「ぬおおっ!? 手応えが無いだとっ!?」
レオンの横を通り過ぎざま、レオンの身長よりも遥かに長いグレートソードをぶん回したのはそれ以上の体躯を誇る偉丈夫。
デオン村の村長デュランだった。
その刃には霊滅薬が既に塗ってあるのだろう。
デュランの剣の一撃をくらったゴーストはレオンが攻撃を加えた時よりもはるかに遠く、それも、2体同時に後方に吹き飛ばしたようだった。
そのような結果を出したにも関わらず、「手応えが無い」と宣うデュランに対して、レオンは苦笑を浮かべる以外の反応を示せなかった。
「いえ、効いてますよ! 俺もフォローしますからそのまま打ち込んで下さい!」
「いや、フォローは儂らがするからお前は村に戻れ」
切った感触が無かったからか、足を止めたデュランに追従しようとしたレオンの前に立ちふさがったのはレイドだった。
白髪混じりの頭髪にずんぐりとした体型だが、その腕の太さは娘であるカリンの胴回り程はあるだろう。
手には巨大な戦斧を持ち、どこかの盗賊の首領だと言われても信じてしまうような容貌だった。
「いや、せっかくこうしてみんなが来てくれたんですし、俺も少しはあいたァっ!」
みるみる集ってくる武装した村人達の姿に力を得たのか、レイドの脇を抜けてゴーストの傍に向かおうとしていたレオンの動きを止めたのはレイドの拳骨だった。
「お前は馬鹿か? これだけの人数がこの場にいるって事は、今の村の防備は普段よりも薄いんだ。次のお前の仕事は女子供の守護だろうが。もしも、他のゴーストが村の内部に入り込んだらどうするつもりなんだ? ん?」
レイドの言葉にレオンは黙り込む。
確かにレイドの言葉にも一理ある事を理解したからだ。
「お前とウィルだったら別のゴーストが現れても直ぐに対応できるだろう? 戦えない連中と、娘を守ってやってくれ」
考え込むレオンに向けて、レイドからのダメ出しの一言についにレオンは折れる。
ウィルに跨った状態なのはそのままにレイドに向かって一礼すると、そのまま村に向かって駆け出した。
その後ろ姿を見送って、レイドもデュランの暴れる戦場へと戦斧を掴んで飛び込むのだった。
◇◇◇
「ハーゲル子爵軍の規模と、情報が届いてから実際にこちらに被害が出るまでの時間を考えると、そもそも今回この村に迷い込んできたゴーストの数は少ないんじゃないかと僕は思うわけで」
広場の中央に戦えない村人たちを集めて、総説明しているのは魔術師ギルドの職員であるアンドレだ。
少し聞くだけでは楽観しすぎているかのような説明だったが、アンドレはそれなりの自信をもって説明できる内容だった。
そもそも、今回の件について事後報告となってしまったのは、ゴーストの残党がこの村にたどり着く確率は限りなく低いと考えていたからだ。
今回はその予想を裏切って実際に現れてしまったが、その分、数は少ないのではないかと予想した。
理由はいくつかあり、一つ目はそもそもハーゲル子爵軍に組み込まれた神官たちの中に【浄化】を使う事の出来る神官が1人もいないという事はないだろうという事。
流石に全てのゴーストに対応する事は出来ないだろうが、ある程度の数は減らしているだろう。
二つ目は残ったゴースト達は北西の開拓村に向かっただろうから、その後はある程度分散して行動するだろうという点。
基本的にゴーストには思考能力がないため、風に乗った綿毛のようにフラフラと生き物のいる場所にさまよい歩く。
恐らく、そのままハーゲル子爵領に戻ったゴーストもいるだろうし、次に近い北東の開拓村に向かったゴーストもいるだろう。街道に沿って移動する商人や冒険者の後を追いかけた個体もいるかもしれない。
そういった理由から、アンドレの考えるこの村に到達しうるゴーストの数は1~2体程度。多くても3体程度だろうと予想を立てた。
そして、ゴースト3体位であれば明日の明け方までは間違いなく抑えられるし、全て討伐出来る可能性がある事も断言してみせた。
そこまで話した所でざわめいていた広場もようやく少し沈静化し、残った冒険者達が準備をする余裕を切り取ることに成功していた。
「相変わらずの詐欺師っぷりねー」
そんなアンドレに話しかけるのは、冒険者ギルドのただ1人の職員ヒルダである。
口調はいつもどおりだが、現在の格好はいつも来ているギルドの制服ではなく、革の胸当てをつけた狩人スタイルだ。
どうやらヒルダは現役時代はハンターだったようで、背中には弓を背負っていた。
「詐欺師とは酷い言い草ですね。僕は本当の事を言っただけですよ」
「え? アンドレさんは本当にゴーストが2、3体しか来ないって思ってるんですか?」
ヒルダの問いに肩をすくめて反論したアンドレに対して、今度はカリンが話しかけてきた。
その表情は心底驚いたような色を出しており、カリンもアンドレがみんなを落ち着かせるために気休めを言っただけなのだろうと思っていることがひと目でしれた。
流石に女2人にそんな反応をされては、アンドレも苦笑するしかない。
「これはレオンにも話したことだけど、この町にゴーストが来るとしても子爵軍の打ち漏らし程度だと思っていたんだよ。だから、準備さえしっかりしていれば何とか対応できると思っていたし、その為に霊滅薬の原料となる血仙花も沢山集めてもらった。そのおかげでこうして全員分の霊滅薬が作れたんだから、結果的には良かったと思ってるよ」
「あ……。ひょっとして何日か前にレオンが苦労して集めたって言ってた……」
カリンの言葉にアンドレは微笑む。
「そうだね。彼は本当に良い仕事をしてくれたと思うよ。それは、今回の事も含めてね」
「そっか……。レオンはやっぱりすごいね……」
「ふふふ」
どこか遠くを見るようなカリンと、その姿を見て微笑むリンダ。
そんな2人を目にして、アンドレは少しだけ昔の事を思い出す。
自分よりも弱い相手に剣術の稽古をせがんでいつも後ろをついて回っていた赤い髪の少女と、その2人をからかっていた女性の姿。
それはきっと平和の象徴のような風景で、そんな様子を横目で見ながら、確かにアンドレも笑っていたのだ。
だからこそ、そんな平和な風景を壊してはいけないと思った。
「……う……うぅ……こ、ここは…………?」
そんな気の緩んだ会話をしている時に上がる呻き声。
一番近くで座っていたアンドレが目を向けると、呻き声を上げたのは先程まで意識を失っていた無毛の冒険者ダイケンだった。
「目が覚めたんですねダイケンさん。ここは村の中央広場です。ダイケンさんは村の入り口付近で生命枯渇状態で倒れていたんですが、もう大丈夫ですよ。今はこうしてみんなで避難していますが、村長率いる自警団の皆さんが今頃ゴーストを相手に戦っています。直ぐに落ち着くことでしょう」
「な……にっ……!!」
出来るだけ心配をかけないように柔らかな笑顔を浮かべて説明するアンドレだったが、説明を聞いたダイケンは寧ろそれを聞いて焦ったように上半身を苦しそうに起こしてしまった。
「ああっ。いけませんよ。今はまだポーションを使って最低限の生命力を維持しているような状態なんです。直ぐに横になって休んで頂かないと回復が──」
「ダメ……なんだ……あいつ……を、あ……相手にしたら……っ!! みんな、みんな……死んじまうぞっ!!」
ゆっくりとダイケンを横たえようとしたアンドレだったが、逆にダイケンにしがみつかれて動きを止める。
何よりもダイケンの話の内容と表情が、その後の話を止める事を憚らせた。
「みんな死んじゃう? それって、ゴースト相手にってことー?」
立った状態で弓を右手に掛けた状態で問いかけたのはリンダだ。
口調とは裏腹にその瞳は真剣そのものだった。
「……違う……っ! ゴースト……なんかじゃねー! ただのゴーストだったら……俺と……ハゲルも……1体倒したん……だっ! けど、そ……それを知らせに……村に帰る途中で……あいつ……に、会った……っ! あいつは駄目だ!! ……何も……何も効かねぇ……! 霊滅薬も……俺の切り札だった……【浄化】の……魔術を封じたスクロールも……何一つ……!!」
【浄化】の魔術を封じたスクロールも効かなかった。
その言葉を聞いた瞬間、ギルド長2人の顔色が変わり、細剣を手にしたカリンが勢いよく立ち上がった。
【浄化】は中級までのアンデッドならば完全に消滅させる事が出来るほど強力な神聖魔術だ。
ゴーストは物理攻撃が効かないとはいえ、アンデッドモンスターとしては下級でしかない。当然、【浄化】の魔術を浴びたら瞬く間に消滅してしまうだろう。
それが効かない。
「……まさか……上級の霊体……スペクターだとでも……?」
「レオンっ!!」
「ダメよっ!!」
それはまさにアンドレの呟きが引き金となったように。
レオンの名を叫んだ赤い髪の少女がまるで解き放たれた矢のように村の出口に向かって駆け出していた。
その少女の近くにいたヒルダは何とか捕まえようとしたようだが、一瞬遅く掴みそこね、アンドレに振り返りながらいつものゆるい感じなど全くない表情で叫ぶ。
「アンドレ!! 私は今からカリンちゃんを追いかけてこの場に連れ戻すわ!! だから、あんたはもしもこの場にレオン君が帰ってきたら、何としてでも捕まえてて頂戴っ!!」
言うやいなや、カリンの後を追うように駆け出すリンダ。
「…………何という事だ…………」
暗闇の中に消えゆくヒルダの後ろ姿を目で追いながら、真っ青な顔をした魔術師ギルドの長は絶望の言葉を紡ぐ。
それは、アンドレが思い描いていた最悪の予想を遥かに上回る、ありえない事態だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます