第4話 夜の異変
カリンに隠れて宿の食堂で夕食を平らげた事がバレて、早朝から年下の女の子にものすごい剣幕で怒られ、村の住人達から注目された──その大半は微笑ましいものでも見るような目だったが──日から3日後の夜の事。
時間的には視界を確保するのに火の助けを借りなければならず、大半の人間が床に入るような時間帯だっただろう。
その例に漏れず、夕食を取るために立ち寄っていたレイド武具店から帰宅したレオンもそのままベッドに横になろうとしている所だった。
風呂に関してはレイドの家で世話になっていたし、着替えは朝でも構わない。
洗濯に関しては寝る前にベッドの脇に置いてある机のうえに放り投げておけば、いつの間にか綺麗になって畳んであるので気にする事もない。
──その洗濯物は朝レオンを起こしに来たカリンがついでに回収して、夕方レオンを迎えに来るときに置いていっているだけだという事はレオンも知っているが、あえてそれには触れないようにしていた。
理由は“別に頼んでいないから”というものだったが、カリンにとってもそれに関しては特に深い意味もなく、散らかっている衣服が余りにも見苦しい事と、たかが男1人の洗濯物が増えるくらい、大した手間にはならないとここ数年の間惰性で続いていただけの行為でしかなかった。
とはいえ、そんないつもと変わらない何の変哲もない夜だった。
ベッドの上で毛布にくるまり、微睡みが支配し始めたレオンの脳を覚醒させたのは今ではレオンにとってたった1人の家族であるウィルの唸り声だった。
「……グゥルルルルルルルルゥッ……」
「……ウィル?」
普段殆ど唸り声など上げないウィルの様子に只事では無い何かを感じて、レオンはベッドから足を下ろして立ち上がる。
既に日は完全に落ちている事もあるが、机の傍にある窓に板戸を落としてしまっているので本当に真っ暗だ。
しかし、そんな状況の中でも、既に活動を止めてしまった筈の家の外から何やら何人かの話し声が聞こえたような気がして、レオンは机の上に放り出していた衣服を身に付けると飛び出すように外に出る。その横を唸り声を上げたままのウィルがすり抜け、結果的にはレオンが家を最後に出ることとなり、全身の毛を逆立てたウィルのシルエットを薄らとだが視認することが出来た。
「こっちだ!」
「急いで運べ!」
家から出れば僅かに聞こえていただけの外の声もはっきりと聞こえるようになる。
レオンは声のする方に当たりをつけると、視界を向ける。
方角からそれが村の出入り口の辺りだということは直ぐにわかったが、何が起きているのかはわからない。ひょっとすると何か厄介な事が発生しているのかもしれなかった。
レオンは一度自宅の玄関に戻ると、傍に立てかけてあった長剣を掴み腰に下げると、村の出入り口に向かって駆け出した。
その横をウィルが並走し、1人と1匹がたどり着いた場所では何やら動く3人の人影と、倒れて動かない2人の人影を見つける事が出来た。
「何かあったんですか!?」
「その声はレオンか!」
人影に近づきながら声を掛けたレオンに対して、動いていた3人が振り向き1人がレオンに向かって声をだす。
その声から3人のうちの1人が村長であるデュランだという事がレオンにもわかった。
「負傷者だ。いや、この状態を負傷と呼ぶべきかどうかはわからんが、門の傍で倒れている2人をマルクスが発見した。今はアンドレが2人の様子を確認してくれている所だ」
話しながらレオンが5人の直ぐそばまで移動すると、漸くその場にいる5人全員の把握が出来た。
1人目は既に存在が知れていた村長のデュラン。二人目は自警団員のマルクス。視線を落とし、倒れた2人の状態を観ているのは魔術師ギルドの職員のアンドレ。そのアンドレが現在観ているのが禿げた冒険者ことダイケン。その傍で戸板に寝かされているのが大剣使いの冒険者ハゲルだった。
「まさか、2人とも一角獣に襲われて命からがら逃げてきたのか?」
2人の姿を確認したことで、レオンは数日前のやりとりを思い出しながら口にしたが、それを否定したのはアンドレだった。
ダイケンの様子をしばらく色々と見ていたアンドレだったが、脇に置いていた鞄に手を入れながら首を横に振る。
「いや、2人とも外傷はないからそれはないね。寧ろ、もっと深刻な事態だよ」
「まさか2人の状態がわかったのか?」
「ええまあ」
デュランの問いに答えつつ、アンドレは鞄の中から1本の薬瓶を取り出すと、蓋を取った瓶の口をダイケンの口元に充てがう。
「症状は2人とも同じ生命力の枯渇状態です。今ならばポーションを与える事で死に至ることはありませんが、これが朝まで発見されなかったとしたら命がなかったかもしれません。マルクスさん、このポーションをハゲルさんにもおねがいします」
「ああ。わかった」
マルクスにポーションを手渡すアンドレの傍で様子を伺っていたデュランだったが、とりあえず2人の無事を確認したからだろう。その場で腕を組んで仁王立ちすると、唸るような声を上げる。
「それにしても、生命力の枯渇だと? まさか、相手はアンデッドか? それとも、人の生気を喰らうという噂の吸生植物か?」
「2人の体に傷がありませんでしたから、ほぼ間違いなくゴースト系のアンデッドでしょう。事後報告になって申し訳ありませんが、実は数日前にハーゲル子爵領にて対アンデッド部隊と思われる軍隊の目撃情報があったのです」
「なんだと?」
アンドレの報告にデュランは驚愕の声を上げる。
「ハーゲル子爵の領土というと我がバラッグ男爵領の直ぐ北ではないか! なぜそのような大事な情報が領主様の元に伝わっておらんのだ!? 領境での軍事行動に関しては隣接する領主に報告する義務があるのだぞ! それとも、領主様からの連絡がこちらに届いていないだけなのか!?」
「そのへんに関してはわかりかねます。私の方の情報源に関しても魔術師ギルドの伝手ですから。ただ、もしもハーゲル子爵側からバラッグ男爵側にこの度の軍事行動が伝わっていないのなら考えられる理由は2つですね。1つは緊急性があった為に迅速に行動する必要があり、事後報告にする必要があった事。この場合は後からこちらにも情報が届くかもしれません」
「そうだな。なら、もう1つの理由は何だ?」
「もう1つの理由は極秘の軍事行動だった場合です。私見ですが、私は今回のパターンはこちらではないかと思っています」
「一応、そう考えた理由を聞こうか」
デュランの言葉にアンドレは頷く。
「理由は1点。私の掴んだ情報によると、確認された軍隊には大量の神官が含まれていたそうです。村長もご存知のとおり、神官の派遣にはその希少性から派遣要請から実際の派遣まで時間がかかるのが普通です。仮に緊急の案件で即時行動を起こさなければいけなかったのだとしても、情報の通りの人数が揃っているはずがありません。通常であれば、直ぐに動ける冒険者登録をしている神官を雇い、その後に追って残りの神官を派遣させるのがセオリーですから。ならば、今回の場合は十分な準備期間があったにも関わらずこちらに情報が回っていないという事は、ハーゲル子爵側は今回の軍事行動をこちらに極秘で動かしたのではないか。というのが私の考えになります」
「なるほど。お前の考えはわかった。ならば最後にもう1つ聞こう。お前の考えで構わないが、仮にハーゲル子爵が今回こちらに極秘で領軍を動かしたのだとしたら、その理由は何だ?」
「そうですね。それは……」
「ハーゲル子爵側には初めからゴーストを討伐する気は無かった。って事じゃないか?」
今まで淀みなく村長の質問に答えていたアンドレが村長の最後の質問に口篭ったのは、独自に得ていた情報を村長にその時点で報告していなかった罪悪感からなのかは分からないが、少なくとも1拍以上考える余地が生まれた。
その余地を破ったのは、それまで黙って2人の話を聞いていたレオンだった。
「ゴーストを討伐する気が無かった? 軍隊まで派遣していたのだぞ?」
「その軍隊の内容と、派遣した位置が問題なんです」
それまで話していたアンドレから視線を外し、デュランはレオンに向き直って問いかける。
そんな村長に目を向けながら、レオンは頷きながら話を続けた。
「霊体であるゴーストに対して通常の軍隊は無意味です。一応、霊滅薬を使用すれば通常の武器でもダメージは与えられますが、完全に消滅させるのは余程の達人でない限り難しいでしょう。そこで神官の出番だけど、ゴースト系のアンデッドを完全に消し去る事の出来る神聖魔法【浄化】は中級魔術です。他にも上級魔術である【天昇】もありますが、こちらに関しては使用できる術者が世界でも数人だから除外します。つまり何が言いたいかというと、どんなに神官をかき集めたところで、大量のゴーストの討伐は、地方領主の軍事力では難しいという点です」
レオンの言葉に漸く村長も今回の軍事行動の目的がわかったのだろう。
表情を厳しいものに変えた。それでもあえてレオンに話の続きを促すように顎を杓ってみせた。
レオンも村長の意図を読んでそのまま続ける。
「その点を踏まえた俺の予想です。今回恐らくゴーストが大量発生したと思われる場所はハーゲル子爵領とバラッグ男爵領の領境の近くだった。本来であれば討伐したい所であるけれど、ゴーストを完全消滅させることの出来る術者の数は限られている。国に要請して術者を集めたとしても、対応可能な人数が揃うまではそれこそ月単位の時間がかかるでしょうね。そうなった場合、近隣の町村が壊滅してしまうかもしれないし、ゴーストも分散して追いきれなくなってしまう。ひょっとしたら、時間次第では領主街にまでゴーストが到達するかもしれない。それを阻止したいと考えた場合。もしも俺がハーゲル子爵で、どんな手で使ってもいいと言われたとしたら、霊滅薬と神聖下級魔術を使う事の出来る神官を集めるだけ集めての追い出し作戦を実行するでしょうね。霊滅薬にはゴーストを消滅させることはできなくてもダメージを与えて相手を下げさせる事ができるし、神聖下級魔術の【聖光】は、アンデッドを怯ませて追い散らす効果がある。その2つを使用してゴースト達を包囲して領土外に出す。ついでに近くにある開拓村まで奴らを誘導してしまえば今回の作戦は終了です」
「ふざけた真似を!!」
あくまで予想だといったレオンの言葉にデュランが激高して見せたのは、自分自身もそう考えていたからだ。
村長とはいえ、元は開拓する為に開拓村にやってきた人間であるデュランの逞しい体躯から迸る怒りは、近くにいるものを圧倒させる。
そういう意味では、現在近くにいるのが戦闘経験が豊富な者たちばかりで良かっただろう。
「そうなると、現在のゴーストの位置がわからないのが厄介だね」
「それなら、それほど離れた場所じゃないんじゃないかって思ってるよ」
独り言のようなアンドレの呟きをレオンが拾う。
そのあまりにも確信した物言いに、アンドレもデュランも、そしてマルクスもレオンに向かって顔を向けた。
「どうしてそう思う?」
「ウィルが警戒しているからです」
レオンの言葉に全員の視線が今度は足元の銀狼の元に向かう。
その姿は、レオンの言葉が真実だというように全身の毛を逆立てて唸り声を上げていた。
「そう言えば、ウィルはホワイトデビルだったな。普段の行動が犬のそれだから忘れそうになるが……」
ウィルの様子を見て納得したデュランは頷くと、直ぐに周囲に眼光を飛ばす。
「よし。ならばマルクス。お前は直ぐに他の自警団員を叩き起して、全ての住民を1箇所に集めろ。ゴーストに障害物は関係ないから、建物の中ではない方がいいだろう。そうだな……村の中央の周りが見渡せる場所に集めておいてくれ。アンドレは冒険者ギルドにも協力を仰ぎ、直ぐにゴーストに対応できる準備を進めて欲しい。ついでに、普段はふざけているあの女狐にも参戦させろ。村長からの依頼だと言ってもらっても構わん。あれも元は冒険者だ。下手な冒険者等より役に立つだろう。最後にレオン。お前はウィルを連れて周辺の警戒をしてくれ。その際に何か異常があった場合は直ぐにウィルに遠吠えをさせて欲しい。それでこちらも敵が現れたと判断する」
デュランは一息に指示を出した後、周りを見渡して全員が頷いたのを確認し、最後に大きく手を打つと、3人は直ぐに割り振られた役割を果たす為に3方に散り、デュラン本人も自分の屋敷に向かって駆け出した。
「……どうやら、今日は長い夜になりそうだ」
そんな中、1人アンドレの呟きだけが、次第に騒がしさを出し始めた辺境の村の夜空に流れた。
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