第3話 デミル村のソロハンターと赤髪の少女
冒険者ギルドでの査定と換金が終わった後にレオンが足を向けたのは魔術師ギルドだった。
最も、本来は魔術師ギルドで受けた仕事だったわけだから冒険者ギルドに行く必要はなかったはずだが、余計な“ついで”ができてしまった以上仕方なかった。
向かった先のカウンターに佇んでいたのは一人の若い男だった。
黒い長髪に黒い瞳。自身も魔術師であるはずだが、着ているのはギルドの制服である黒いローブではなく村人が来ているような布の服である。そのへんに立っていたらどう見ても魔術師ではなくただの村人にしか見えないが、彼が魔術師だということを知っているレオンからすれば見た目の格好などどうでもよかった。
「おかえりレオン。予定よりも遅かったけど、ひょっとして何かトラブルにでも巻き込まれたかな?」
「ただいまアンドレ。まあそうだね。行った先で一角獣の群れに襲われてね。おかげで行きたくもない冒険者ギルドに寄るはめになった」
「ははは。レオンは相変わらず冒険者ギルドが嫌いなようだね。いや、ギルドがというよりヒルダさんが……かな?」
「……別にギルドもヒルダさんも嫌いなわけじゃないよ。ただ、少しだけ苦手なだけだ」
「言われた本人からすれば同じ事だよ。くれぐれもそれは本人には言わない方がいいよ?」
「わかってるよ」
状況説明をしつつ、先ほどのやりとりも簡単に説明したレオンに対して、魔術師ギルドの職員──アンドレは、渡された血仙花の状態を確認しながら笑う。
歳も近く、3つのギルドの中では一番利用頻度が高いこともあり、レオンとアンドレの2人は非常に仲がよかった。
ちなみに、冒険者ギルドと魔術師ギルドの存在の違いだが、一言で説明するなら“実務機関”と“研究機関”といった所だろうか。
一応魔術師ギルドに入るためには“魔術を使う事が出来る”という明確な資格が必要ではあるが、どんな些細な魔術でも構わないので、加入するだけならばハードルはそれほど高くはない。
かと言って魔術師が全員魔術師ギルドに加入するのかというとそうでもなく、一応加入だけはしておいて、実際の活動は冒険者ギルドで……という魔術師が殆どだった。
レオンもそうだが、複数のギルドに登録しておく理由は、己の利益を効率的に挙げようという理由でしかなく、基本的には単一のギルドでランクを上げていった方が効率がいい。
それに、そもそも魔術師ギルドの活動方針が魔術全般の研究開発である以上、実践的な魔術師が冒険者ギルドに流れるのは道理であった。
だからこそレオンは不思議だった。
今回の血仙花の採取は魔術師ギルドの依頼である。
第三者からの請負ではない。
引いては、デミル村の魔術師ギルドの職員は1人しかおらず、出張所とはいえデミル村の魔術師ギルドのギルド長とも言うべき人間は目の前の若い男。アンドレだ。
レオンがデミル村に根を張ってから凡そ5年の年月が経っているが、血仙花の採取依頼は今まで一度もなかった。
それは、今までこの花の需要がデミル村には無かったからだ。
「……なあ」
だからレオンは聞いてみた。
今尚血仙花に視線を落としている若い魔術師に。
「今回随分沢山の血仙花の採取依頼を出してきたけど、何か理由があるのか? ギルドからの直接依頼って事は、お前自身の依頼なんだろう?」
そんなレオンの疑問に対して、アンドレは一瞬だけ血仙花から視線を外してレオンを見た後、直ぐにまた視線を戻す。
「質問に答える前に、レオンはこの花がどんな事に使われるかは知っているのかな?」
「魔法薬生成の原料だな。もっと正確に言うと、霊滅薬の主原料だ。対アンデッドの切り札で、神官のいない冒険者パーティーにとって必須の霊薬だ」
「……ふむ」
レオンの答えにアンドレはフゥと小さく息を吐いて顔を上げると、頷いてみせる。
「まあ、そうだね。一つ訂正すると霊滅薬はアンデッドに対して“切り札”と呼べるほどの効果はない、という点だけど。ただ、ゴーストなんかの霊体には剣士の攻撃は全く効果が無いという事を考えると間違いとも言い切れないか」
そう言ってアンドレは手元の血仙花を綺麗に纏めながら困った顔で息を付く。
「理由はただの保険だよ。心配性の僕自身のね」
「保険?」
「うん」
レオンの問いにアンドレは頷く。
「デミル村の北西に開拓村があるだろう? 3日前にそこからやってきた同僚の魔術師に聞いた話さ。北西の開拓村の北の森の反対側にあるハーゲル子爵領で、大量の神官を含めた私設軍を見たってね」
「大量の神官を含めた私設軍?」
アンドレの言葉にレオンは考える。
確かに気になる情報といえば気になる情報ではある。
しかし、軍隊を派遣する際に神官をつけるのは貴族や王族の軍隊なら一般的な事だった。
冒険者でさえ出来れば1つのパーティーに最低1人は入れておきたいと考えるのが普通だからだ。
恐らくアンドレは“大量”の神官が含まれていたという情報に不安を感じたのだろうが、それが心配性であるかどうかは……判断に迷うところであった。
「勿論、僕の杞憂で終わるならそれでいいんだ」
そんなレオンの考えが、その表情で読めたのだろうか。
アンドレは勤めてその表情に笑顔を浮かべながら答える。
「ただ、神官の数っていうのは非常に限られたものだろう? 特に、回復魔術が扱える神官ともなると更に数が少なくなる。それは、ハーゲル子爵領でも同じはずなんだ。それなのに、軍隊に似つかわしくない数の神官を見たと言うなら、それは、とあるモンスターに最低限対応できる神官でも構わないから呼び集めたんじゃないか……と、思ってしまったというわけでね」
「…………」
とあるモンスター。
アンドレはそうぼかして口にしたが、これまでの流れでどんなモンスターを対象としているか位、レオンにも判断できるというものだった。
そして、本来であれば中級以上に分類される傷を治す魔術が扱えなくても何とか対応できる相手。
「……初級神聖魔術【聖光】が扱える神官。ならば、相手はゴースト系のアンデッド?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、何事も備えておけば意外と無駄になったりはしないだろう? 特に霊滅薬は冒険者にとって常備薬の一つだし、腐ったり傷んだりもしないからね。いつもよりも在庫を多めに持っていても長期的に見れば過剰在庫という程でもない」
話しながら査定も終わったのだろう。
レオンに依頼料を手渡しながら、アンドレは笑う。
「ただ、何事ももしもというものはあるものだからね。もしもハーゲル子爵領でゴーストが大量に発生していて、その打ち漏らしがこの開拓地にまで迷い込んできたら……神官のいないこの村や開拓村では対応ができない。だったら、今いる人員だけでも対応出来るように考えるのが、ここに派遣されてきた僕の仕事だと思うんだよね」
◇◇◇
「……うーん……」
ギルドから出たレオンは表通りを目の前にして大きく伸びをして空気を吸い込む。
面倒事も終えて後は帰るだけという所で、漸く人心地ついたという心境だったが、先程までのアンドレの話が頭の片隅に残っているのも事実だった。
「……なんだかんだ、あいつもあいつでちゃんとギルド長やってんだな……」
気の合う同性の友人。
今まそう思って付き合ってきた相手だったが、よく考えたらあの歳で辺境のど田舎とはいえ、1つのギルドを任されるのだから無能というのはありえない話だ。
それこそ、レオンに見せないだけで優れた魔術の才能があるのだろう。
(才能……か)
それは天からの贈り物。
別れの間際に父親から聞いた言葉である。
その言葉を糧にして7年近い時間を1人で過ごしてきたレオンだったが、未だその欠片1つ見えてこない。
ひょっとしたら自分には才能の1つもないのではないか? と、何度も思ったレオンだったが、その度に父親から言われた“必ず人に負けない才能が有る”という言葉から踏みとどまれていた。
(……まあ……進むしかないよな)
1人納得したように頷くと、レオンは獣車に向かって歩き出す。
最初から簡単に見つかるとは思ってはいなかった。
それこそ、1人で死に物狂いで生き抜くことで結果的に見つかればいいと思っていたくらいなのだ。
レオンは歩きながら自らの右手に視線を向ける。
日に焼け、剣だこの着いた自分の手。
傷一つないとはとても言えないその右手のひらを何度か握ったり閉じたりしながらレオンはアンドレとの話を思い出す。
(奇跡を起こすと言われている神聖魔術でさえ、小さな傷一つ治すのに中級以上の腕が必要と言われている。それが、部位の結着ともなると上級以上。それほどまでに神が作り出したと言われている俺たち人間の体を治すという行為は難易度がたかい。それを──)
そこまで考えて足を止め、レオンは青く澄んだ空を見上げる。
(──既に失ってしまった──欠損部位を元に戻す程の魔術っていうのは、いったい何級に分類されるんだ? それとも、人間には扱う事が出来ない? もしもそうなら、そんな奇跡を起こせるような存在は──)
そこまで考えて、レオンは無意識に獣車に向かっていた足を止める。
目の前に見えるのは自分の獣車と家族である銀狼のウィル。
ただ、その銀狼の前にある見慣れた赤毛が座っているのが見えたのだ。
「ホント、ウィルは愛想がいいね。どこぞの飼い主様に爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだよ」
「ワウ?」
「何? 誰の事だって? そんなの1人しかいないじゃん。愛想が無くて優しくない飼い主だよ? 家のお父さんも大概愛想がないけど、あれはどちらかといえば頑固な類だからね。それに比べて、件の飼い主様は頭はふにゃふにゃの癖に──」
「おい」
少しドスのきいた低い声音で発せられたレオンの呼びかけに、ウィルの前でしゃがんでいた赤毛の少女は振り向くと、顔を明るくさせてぴょんと立ち上がった。
その仕草は15歳という年齢からしても幼く、レオンの目から見ても子供が抜けきれていない様子だったが、その精神年齢を含めても非常に幼いことを知っている程度には親しい相手だった。
明るい赤い髪は肩口で切り揃えられ、布の服の上に革の胸当てを着込んでいる。
腰には細剣。
おおよそ少女には似つかわしくない姿だが、こう見えても彼女は冒険者ギルドに登録している立派な冒険者だった。
「おかえりっ! 薄情者のレオンあいたぁっ!」
「誰が愛想が無くて優しくなくて頭ふにゃふにゃの薄情者なんだ? カリン」
パッと胸に飛び込むように両手を広げて近づいてきた赤い髪の少女──カリンの頭にレオンは音がなるほどに強めにチョップをいれると、顔を顰めて苦言を呈す。
そんなレオンの行動に、カリンは頭を両手で押さえて涙目でレオンを見上げて文句を言うに至った。
「事実じゃんっ! 遠出するか危険な場所に行くときは声かけてっていつも言ってるのに、何も言わずに出かけたでしょっ。昨日も今日もどこ行ってたの!」
「流石にもう説明がめんどくさいんだけど」
「何それ! 私全く説明されてないんだけど!?」
キイッ! と言わんばかりのカリンの態度に、レオンは溜息をつきたくなる心情を必死に押さえて、今日何度目かの──それ故に大分端折った説明をする事になった。
「近場だったんだよ。だから声をかけなかっただけだ」
「嘘っ! だって泊まりだったじゃんっ!」
「トラブルがあったんだよ。で、逃げ回っているうちに夜までに帰れる距離じゃなくなった。だからやむなく野営をした。最初から遠出するつもりだったわけじゃない」
「トラブル!? じゃあ、危険だったってことじゃん!」
「不測のトラブルだ。場所はバルザック古戦場だぞ? 誰がそんな場所で一角獣の群れに襲われるなんて考えるんだ?」
「一角獣の群れ!? そんな依頼を1人で受けるなんて信じらんない! 死んじゃったらどうするの!? 弱いくせに!!」
「うおおおおおおおっ! めんどくせー!!」
「怒りたいのはこっちだよ!!」
全く進展しない言い合いについに我慢の限界を超えたレオンは頭をかきむしって絶叫するが、その声量に負けない大きさで少女も叫ぶからたまらない。
道行く人が何だ何だと眺めてくるのが視界の端に映り、直ぐにレオンは冷静になると、ウィルを獣車を引かせる準備を済ませ、手綱とカリンの左手を握って移動することにした。
「ちょっと何よ?」
「話は歩きながらでもいいだろう。流石に疲れたんだ俺は」
大きく溜息をついて、本当に疲れた様子で言葉を絞り出した様子に多少は事情を察したのか、カリンも漸く怒りを解いたようだった。
「それで。怪我はしなかったんだよね?」
「ああ。ウィルが守ってくれたからな。流石にあの場で本当に一人だったら危なかっただろうけど」
「ん。ならいい」
ホッとしたようなカリンの様子に、レオンは、ウィルが守っていてくれている間に素材の回収をしていた事は言わない方がいいだろうな、と思っていた。
当然、カリンは冒険者ギルドに登録しているれっきとした冒険者なわけだからいずれは知られてしまうだろうが、疲れた今の状況でこれ以上の小言は勘弁して欲しかったのだ。
2人で手を繋いで歩きながら、レオンはカリンの事を考える。
カリンに会ったのはレオンがデミル村にやってきた5年前が初めてだったが、その容姿と才能に驚かされたものだ。
赤い髪に子供離れした剣の腕。
勿論、嘗ての弟の同年代の頃に比べればまだまだ稚拙ではあったが、レオン自身の同年代の頃どころか、当時のレオンに比べてもその実力は上回るものだったのだ。
小さな女の子に剣の訓練で負ける。その事実にレオン自身かなり凹んだのは確かだが、困ったのは勝った筈の少女がレオンの使っていた剣術に興味を示してしまった事だった。
“見たい”という興味はいつしか“使ってみたい”という興味に変わり。
2人の関係は他所から来た“弱い剣士”から、剣術を教えてくれる“師匠”に変わり。
身につけた剣術はいつしか、大切なものを守る剣士になりたいという夢を少女に抱かせ、弱いくせに無茶ばかりする“師”と仰いだ青年を守る為の存在となった。
それはレオンにとって望んでいた関係ではなかった。
しかし、今更それを口に出来る状況ではなかったし、そもそも自分自身が弱いのが悪いのだと開き直っていた部分もあったのだ。
「そもそも、どうして泊まりだと困るんだよ。安全な場所に行くなら別に泊まりでも問題ないだろう」
2人並んで歩きながら、先程までの話の続きを幾分か冷静な口調で口にするレオンに、同じように落ち着いた口調でカリンも答える。
「一声かけてくれれば別にいいよ。でも、無断外泊されちゃうと、ご飯もったいないでしょう?」
カリンの言葉にレオンは眉間に皺を寄せて溜息を付く。
「お前は俺の嫁かよ? そもそも、無断外泊って言うが、俺は一人暮らしであって外泊するのに誰かの許可なんかいらんだろう」
「お、お嫁さんじゃなくても心配くらいするでしょ? それに、レオンは未だに家でご飯食べてるんだから言ってくれなきゃ作っちゃうのは当然でしょ? 昨日の夜はお父さんが頑張って食べてくれたけど、今日の朝は無理って言って残っちゃってるし……」
カリンの言葉にレオンは「……ああ……」と口にして思い出す。
確かに、金がなかった頃にカリンに剣を教える報酬として3食の世話をしてもらうようになってから、剣術を教えなくなった後も当然のように世話になっていたのだ。
更に言うなら、現在当然のように2人が向かっているのはカリンの実家である【レイド武具店】であり、昼食を食べてから帰宅しようと考えていたのだ。
もしも、このまま平然とカリンの家に行こうものなら、カリンの父親であるレイドにどんな目を向けられるかわかったものではなかった。
「? レオン? どうしたの?」
急に足を止めたレオンの態度に、腕を引っ張られるように足を止めたカリンが問いかける。
その問い掛けに、レオンは足を止めたまま右足を浮かせて軽く振ると、さももう歩くのが辛いとばかりにアピールする。
「いや、やっぱりかなり疲労が溜まってると思って。今日は飯食ったら直ぐに寝たいから、もし良かったら余ってるっていう朝食を家にまで持ってきてもらってもいいか?」
「? ご飯食べて眠くなったら別に家に泊まっていってもいいよ?」
「いや、流石にそこまで世話になれない」
レオンの言葉にカリンは「そっか」と言って手を離すと、自宅に向かうために背を向ける。
「あ、夕飯はいらないから」
「わかった!」
その背に掛けられた呼びかけに答えると、カリンは元気よく走っていく。
その後ろ姿を眺めながら、
「……夕飯は久しぶりに宿の食堂の世話になるか」
そう呟いて来た道を引き返したレオンがこの村の狭さ故の情報伝達力の速さを実感するのは次の日の朝の事となる。
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