第74話 初めての旅行

 結局、散々話し合って、旅行先は箱根にした。箱根に行って富士山も久しぶりに見たかったし、芦ノ湖と周りの山々の澄んだ景色も見たいと思ったから。

 案の定、子供たちの夏休みが終わる8月の終わりからは空いていて、ちょっとがんばって芦ノ湖の見える温泉のあるホテルに泊まる。

「お泊まり」……と取れなくもないけど、あくまで観光。観光が第一。

「観光が第一だからね」

「お、久しぶりに凪の先生モードだ」

「茶化さないでよ」

 彼女と旅行か。透にとっては初めての経験だろうから、を期待するのはある意味、仕方の無いことだろう。




 当日、一泊二日の旅行なのでそれほど大きな荷物もなく、ふたりで新宿駅に向かう。

「やっぱり朝の電車は混んでるね、凪、大丈夫?」

「うん、なんとか……」

「座らせてあげられればちょっとは違うのにな」

と言いつつ、揺れや、他の人との小さな接触からわたしを守るように抱き寄せてくれる。こういうときは本当に、透も頼りになる男性になったんだなぁと思う。高校生だった頃は、ちょっとしたことで壊れてしまいそうな脆さや危うさがあった。今はそれはもうない。

 だからこそ、今は安心してお互い頼りあっていられるわけだし、同時に、高校生の頃のあの線の細さを失ってしまった彼を懐かしく思う。




 新宿に着くと、小田急の箱根周遊切符が売られていて、それに少し足して、贅沢にロマンスカーに乗る。箱根のロマンスカー。紫陽花の季節は線路の両脇に咲き誇って、それは綺麗だという話だけど、晩夏に入る今はもう枯れてしまっていた。

「指定席の電車もいいものだね。ボクは修学旅行の新幹線くらいしか乗ったことないよ」

「そうなの? わたしは学生時代に何ヶ所か電車で旅行したな。電車の旅もいいものだよ」

「どの辺が?」

「新幹線みたいに速いのも楽でいいんだけど、普通にね、電車で旅をすると距離が体感出来ると思うの。変かな?」

 透は肘掛けに肘を置いてわたしを頬杖つきながら眺めていた。

「いいんじゃない? 凪らしいよ」


 電車に乗っていると、途中でパラパラと雨が降ってきた。

「あっちに着いたら雨強くなってるかな?」

「傘、折りたたみの持ってきたから大丈夫だよ」

 雨でもなんでも、結局はわたし自身が透と旅行に行くのが楽しい。そう、それこそ修学旅行の前のような。




 新宿からたった1時間半で箱根湯本に着いてしまった。居心地の良いロマンスカーを箱根湯本で降りると、硫黄の香りがうっすらとした。温泉が湧いているのだろう。

「どこへ行くの?」

「お腹空かない?」

「空いた」

「そういうこと」

 わたしは調べてきたお店を慣れない操作でマップを使って探す。

「えーと……」

「貸して?」

 透が使うとスマホはいつもより能力を発揮するらしく、あっという間に探していたお店にたどり着く。

「ここでよかった?」

「うん、ありがとう」


 入ったのは有名なお蕎麦屋さんだった。早めに入ったので、混雑もない。

「ねぇ、凪さ、いろいろ調べてきたんだね」

「……こういうの調べるのすきなの」

「意外な発見」

 透はお茶を飲みながらにこにこしている。こんなわたしをどう思っているのかな、とふと思う。

「凪はいろいろ消極的なのに、旅行はすきなんだ。よし、また何処かに行こう。バイトしないとな」

「え、いいよ、お金もったいないし」

「かわいい。赤くなってるよ」

 言われなくても自分が恥ずかしくて赤くなっているのは重々承知していた。「消極的」と言われると悲しくなるけど、「積極的」と言われると照れくさい。そんなわたしを、みんなは「積極的」とは呼ばないんだろう。


「あのさ、プラン練るのが凪の得意なことだってわかった。ボクはそこに乗っかるから、どんどんサプライズして? 代わりに……」

「代わり?」

「さっきみたいなときはボクを頼って? ナビゲート得意なんだよ」

 にっこり、微笑まれる。

 道に迷ったわたしを、彼は案内してくれた。わたしは紙媒体の地図ならまだしも、Googleマップがどうにも性にあわない。

「……そうしてくれると、助かる」

「よかった」

 まさか旅行に来て改めて、彼の頼りになるところを見せられるとは思わなかった。いつも通りにしていたらきっと気がつかなかった。だって日常に紛れてしまうから。


「お蕎麦、食べたら何処に行くの?」

「えっとね、また電車に乗って美術館に行こうと思うんだけど、そういうとこ、嫌い?」

 透は少し考えた顔をして、お蕎麦を食べる手が止まった。

「うーん、わかんないな。正直、行ったことない。だから、苦手かもしれないし、楽しめるかもしれないから、行ってみよう」

「え、じゃあやめようか?」

「いいじゃん。初めて美術館に行くのが凪で。思い出になるよ」

 そのプラス思考がわたしを助けてくれる。すいすいと判断して、迷って立ち止まるわたしの手を引いてくれることがどれだけ助けになっているか、彼は知らないんだろうなぁと思った。

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