第24話 子供じゃない
新年を迎えた朝は「清々しい」気持ちになるのはなぜだろう? 子供の頃からずっと不思議だった。大人になった今でも、何か新しい壁をすっと抜けたような感じがする。
駅まで温かい服装で自転車で向かう。……本当は、着物のほうがそれっぽいんだろうけど、着付けもできないし、人混みでもまれることを考えて洋服で来た。……着物を期待してたらどうしよう。
「!」
後ろから突然、抱きしめられて驚く。
「もう! すごくびっくりしちゃったじゃない」
「だって凪が自転車停めたまま、ぼーっとして動かないからさ」
確かにそうだったのだけれど。こういうところはまだ子供っぽいと言えるのかもしれない。
「ちゃんとあったかい格好で来た?」
「うん、カイロも2個持ったし」
「女の人は冷えたらダメだっていうからね」
透くんはにこっと笑った。わたしの目線を追って、彼は言った。
「着物も素敵だと思うけど、汚れたり気崩れると困るし、ボクは凪と会えれば、さ」
彼は照れくさそうにわたしの手を引いて歩き出した。彼の顔は見えなかったけど、背中に気持ちが表れているように思えた。そして手を引かれるわたしも、少女のように赤い顔をして下を向きながら一生懸命歩いた。
お昼前くらいの電車に乗ったので、行きはお正月でもずいぶん空いていた。ただしそれは電車の話で、神社のお賽銭箱まではずいぶん長い道のりだった。すごい幅の人の列が、ぎゅーぎゅーに押し合うように並んでいた。これは着物ではとても無理だったと思った。
「大丈夫?」
「うん、なんとか」
透くんの腕の中はさすが男の子という感じでわたしなんかよりずっと、しっかりしていた。彼はわたしを自分の前に立たせて、人波から守ってくれる。
賽銭箱に無事にたどりつき、お願いをして、絵馬を書く。ふつうは1枚なのかもしれないけど、彼が悪戦苦闘して書いている間にわたしも1枚書いて、そっと、見えないところにかけた。
「上手く書けた?」
と聞くと、
「まぁまぁ。なんか、変に緊張して」
と彼が言うので、
「むかしは筆で書いたのよ」
と意地悪を言ってからかった。
何か食べようか、という話になったけれどどこも混んでいて、手近なファーストフード店に入る。
「こういうお店、嫌じゃなかった?」
「なんで? 全然、嫌じゃないけど」
「あー、なんていうか勝手なイメージで、凪はこういうとこ、来ないのかと思ってた」
「教師の時はさすがに、学校の近くの店舗には入らなかったけどね」
肘をついたポーズで、彼は黙ってわたしの顔を見ていた。わたしは口のところにソースでもついちゃったかしらと心配したけれど、そんなことはなかったらしい。
「がんばった分だけ大人になれるわけじゃないから、ツラい……」
「どうしたの、急に?」
「凪のこと、もっとたくさん知りたいのに、知らないことばっかりだし」
「知り合ったばかりじゃない……」
彼は自分のトレイを片づけたテーブルに突っ伏した。
「……神様に、祈っちゃった。ごめん。先に謝っておくよ」
「何を? なんで謝るの?」
「受験のことなんて祈らなかった。凪のことしか」
驚いて、コーヒーのカップを置いた。
「……神様が本当にお祈りして合格させてくれてるとは思わないけど。でも、透くんがまず合格を祈ってくれないなら、わたしは立場がないよ」
「本当にごめん」
どうしようもなくて、彼の髪に触れる。さらっとした触り心地の彼の髪。彼の心のようにくせもなく真っ直ぐだ。
「……ねぇ、聞いて? 勉強が
「……」
「透くん、どうしたの? 前はわたしのことと、勉強のこと、分けて考えてくれてたじゃない?」
彼は突っ伏した姿勢から少しだけ顔を上げて、わたしを見た。その視線の強さに、わたしは怯んだ。
「凪のことが。凪を前よりずっと好きになって、頭から離れない。勉強するのが凪にもっと近づくための近道だってわかってるけど……抱きたい。無理だよね。まだ早いのもわかってる。でも、そういう気持ちなんだよ」
何も言えなくなってしまった。
わたしは別に初めてなわけじゃないし、出し惜しみする気はない。そういうときが来れば、彼を受け入れるんだろうと漠然と思っている。
けど、それは今じゃないし。
見つめられていると、彼の気持ちがとうとうと流れ込んでくるのだけど、どうすることもできない。なんて言っていいのか、わからない。
「……抱いてもいいよ。でも、それは今じゃないよ。同じ気持ちでいてくれる?」
「できないのはわかってるから。ごめん、そんなこと言わせて」
今度は彼がわたしの髪に手を伸ばしてきた。伸ばしかけの肩までの髪が、揺れる。
「ねぇ、今までとは逆に、毎日少しでも会ってくれない? 会えない日が多いとツラい。頭の中、凪でいっぱいになっちゃうから」
「……お互い、無理しないで時間の作れるときに30分くらいなら……」
「甘えてごめん。やっぱりボクはまだ子供みたいだ」
透くんは苦笑した。わたしから見るとその笑いは決して子供っぽくなかった。彼のわたしを見る目は、大人の女性に憧れる子供の目ではもうなかった。
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