第25話 止まらなくなるから

「抱いてもいいよ」なんて大胆なことを言ってしまった自分に、心底驚く……。楽しみにしていた初詣が、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。


 普通のおつき合いだったら、もうきっと、そうなってたんだろうな、と思う。ため息が出る。

 年上だということも気が引ける要因のひとつだけれど、わたしのせいで彼の将来を傷つけることはやっぱりできない。


 そして人生の先輩として経験上、そうなってしまったら、しばらくは恋愛に没頭してしまうに違いないこともわかっている。勉強なんか手につかないよ……誰だって、そうなっちゃったら……。そうなってみないとわからないんだろうけど。

 ベッドの上で、寝返りを打つ。


 迷う。

 きっと今日は沈んでいるであろう彼に、何か言葉をかけるべきか。スマホは枕元に置いてある。

 でも、やたらに言葉をかけたりしたら、彼の心はもっと揺れてしまうかもしれない……。






『ごめん、来ちゃった。出てこられる?』

 窓から見下ろすと、彼の姿が見えた。急いで階段を下りる。

 抱きつきたい衝動にかられるけど、さっきあんな会話をした手前、そんなことは躊躇ためらわれた。


「どうしたの?」

 言葉がみんな、白くなって溶けていく。

「……気まずくなっちゃったから。考えても不安で、顔を見たくて」


 そのとき家の扉が突然開いて、お母さんが顔を出した。

「凪、寒いから中に入ってもらいなさい。お茶、いれてあげるから」

 わたしと彼は顔を見合わせたけど、選択肢はなかったのでふたりで家に入った。


「噂になってるのはこの子?」

「凪さんとおつき合いさせていただいてます。柿崎かきざきとおるです。よろしくお願いします」

 透くんは母に頭を下げて挨拶した。


「……柿崎くん? 凪はもういい大人だからわたしも恋愛についてあれこれ言うつもりはないの」

「はい」

「でもね、あなた受験生なのよね? あなたのご両親は心配するんじゃない? ましてこの子、元教師だってこともあなたは知ってるでしょう? 年だってずっと上だし」

「……」




 助けてあげたかったけれど、何も返す言葉が見つからない。母はわたしをよく知っている。どのことひとつ取っても間違いではなかったので、反論できない。


「……元教師ってことは、ボクと凪さんにとって何も関係ないと思います。凪さんはボクの先生だったわけではないので」

 ぽつりぽつりと、反論し始めた彼に驚く。彼は母を真っ直ぐ見ているようで、母も驚いた顔をしていた。


「残念ですが、年の差は埋められません。ボクもできるなら埋めたいけれど、努力をしてもできません。ごめんなさい」

「そんなことは言ってないけど……」


「それから、大学受験は大丈夫です。幸い凪さんに勉強を少し見てもらえますし、何より、元教師の彼女とおつき合いしていて落ちたら、笑われますから」

 母も彼の言葉を最後まで聞いて、黙ってしまった。彼はうつむきがちで、それ以上は話す気がないようだった。


 部屋は沈黙に包まれていた。


 しばらくして母が口を開いた。

「ちゃんと合格するんだよ。じゃないと、凪も立つ瀬がないから。お願いね」


 わたしは母の言葉を聞いて、ドキッとした。母の言いたかったのはわたしを諌めたかったわけではなくて、またわたしが傷つくことを止めたかったことを意味していた。大切に思われているのに、それを察することもできず、自分勝手だったことを反省した。


「はい。プレッシャーに負けずにがんばります」

「……この子、また傷つくのを見たくないの。柿崎くん、受験、がんばって合格してちょうだい」




 母に「行きなさい」と言われて、そういうつもりではなかったのにわたしの部屋に行くことになった。ふたりでさっきわたしが駆け下りた階段をのぼる。


「ごめんなさい。こんなことになっちゃって」

 部屋のドアを開きながらわたしは言った。

「ボクの方こそ、こんなときなのに凪の部屋に入るのかと思うとドキドキしてきちゃって」

 わたしは一度開けたドアを後ろ手に閉めて、透くんに向き直った。


「……掃除とか、してないから」

「……うん」

 部屋は家具も少なく、わりとシンプルにしてあったけれど、男の子を入れたのはいつだったか思い出せないくらいだったので必要以上に緊張した。


 ローテーブルにとりあえず座る。

 そろそろと手が伸びてきて、諦めて目を閉じる。ゆっくり、唇が重なるのを意識する。

「勝手でごめん。ここまでにしておくよ。止まらなくなりそうなんだ」

「そう……」


 おかしなことになんだか拍子抜けして、体の力が急に抜けた。

「言い忘れてたけど、今年もよろしく」

 彼が頬にキスをした。そんな小さなことに、動揺する。


「あの、わたしが言うのもなんなんだけど……」

「ん?」

「……もう一度だけ、キスしてくれる? えっと、止まらなくなっちゃうのは困るけど」


 わたしの顎が軽く持ち上げられ、唇に彼の唇を感じる。

 今度はただ重なるだけではすまなくて、じっくり時間をかけてお互いにお互いを味わう。

 そうして唇が離れると、そのまま彼はわたしの背中に手を回して、わたしの耳元から首筋にかけて丁寧にキスを重ねた。

「今日はここまで。……合ってる?」

「……合ってる」

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