その4 Join, or Die

「じゃあね、マトねえちゃん!」


 子供たちが手を振りながらあしたば園に帰って行く。マトはそれを柔らかな笑顔で見送っていた。


「ずいぶん慕われてるんだな」

「どうかしら。いつもプールでアイスを買ってくれるおねえちゃん、くらいにしか思ってないかもよ」


 マトはプールの横に置かれた、アイスの自動販売機に視線を向けた。俺はベンチから腰を上げてマトに訊く。


「どれが美味しいんだ?」

「ミルクあずきモナカ」

「渋いな」


 俺はミルクあずきモナカを二つ買って戻った。マトは「いい、いらない」と固辞したけれど、食べなければ溶けてしまうだけだ、と言うと渋々受け取った。


「好きじゃなかったか?」

「ううん、好きだけど自分で買って食べようとは思わないわ。ちょっと高いもの」

「でも、こないだは子供たちだけじゃなくて、マトも食べてたよな」

「あの子たち、そうじゃないと食べないの。子供なんだから、人のこととか考えなくっていいのに。おかげで余計な出費だわ」


 軽く愚痴りながらも、その表情は優しい。マトは財布を取り出して、硬貨をより分けた。


「おごるよ……って、のは通じないか」

「うん。私があの子たちにアイスを買うのとは訳が違うもの」


 人からもらったものには必ず対価を返す――それがマトのモットーであることはよく知っていた。俺は不本意ながらも百六十円を受け取った。


「悪かったな、お金使わせちゃって」

「まったくだわ」

「でも、これからは今までとは比べものにならないくらい稼げるわけだし、大目に見てよ」

「……そうね」


 気がつけば俺の気持ちもずいぶんと落ち着いていた。無邪気な子供たちの闖入と、アイスの効果だろうか。日は落ちたけれども、まだあたりは残照でほの明るい。白いマトの首筋がひときわ映えていた。


「マト――ゼロリウムは正義なのか?」


 俺は引っかかっていたことをマトに訊ねた。マトは一瞬、ぴくん、と肩を強ばらせたかと思うと、長いことそのまま動かなかった。


「……警官が持ってる拳銃が正義だと言うなら」


 ようやく絞り出すように口にした歯切れの悪い言葉。

 パパッ、と辺りの街灯が灯る。それでようやく、暗闇が静かに周りの景色を飲み込んでいたことに気づいた。マトの横顔がたたえる沈痛な表情も露わになる。


「ゼロリウムは莫大な報奨金の原資をどこから調達してる?」

「――あそこは普通の会社よ。仕入れて、加工して、それを売って稼ぐ。それだけ」

「顧客は? アップルとかじゃないんだろ? iPhoneの脆弱性を仕入れて、奴らは誰に売ってるんだ」

国防総省ペンタゴン国家安全保障局NSA中央情報局CIA……まっとうな政府機関よ」


 その組織自体がまっとうだとしても、よその製品の脆弱性を大金を出して買おうとすることがまっとうであるわけがない。iPhoneの脆弱性をGoogleが大金を出して買い上げたら、そこになんらかの意図を感じて当然だろう。しかも、どれも幾多の陰謀論に登場するいわく付きの組織ばかりだ。


「あの子たちに『マトねえちゃんは正義の味方の仕事をやってるの』って、胸を張って言えるのか?」

「……ずるいよ祐、そんなこと言うなんて」


 マトは両膝を抱くように顔を伏せた。


    *


 翌日の放課後。


 生活指導室のドアをノックすると、中から「どうぞ」という声が聞こえてきた。


「やあ、鷹野クン。どうしたんだい、急に呼び出して」


 窓のそばに立っていた鴻上が振り返った。洗練された柔らかな物腰は、まるで生まれたときから身につけていたかのような自然さだ。俺はぺこりと頭を下げながら部屋に入った。


「わざわざ部屋をとってもらってすいません」

「どうせ、人には聞かれたくない話なんだろ? 鷹野クンではなく、僕にとって、かもしれないけど」


 さすがに頭の回転が速い。


「鴻上先生――いや鴻上さん。ハッカーにはホワイトハッカーと、ブラックハッカーの二つがあるんだってね」

「ホワイトハットとか、ブラックハットとも言うね」


 あえてタメ口を叩く俺にも鴻上は動じない。


「その二つの違いってなんなんだ?」

「……ブラックハットは犯罪者、ホワイトハットはそうじゃない、かな」

「グレーはないってわけか」

「僕の定義だとないね」


 何気ない受け答えの中につくづく鴻上の頭の良さを感じる。定義に諸説はあるだろうが、この定義だと明確に二つに分けることができる――そして、鴻上はホワイトハットということになってしまう。

 俺は肩をすくめた。「単刀直入に訊くよ」と言うと、鴻上は「さすがだね、鷹野クン」と笑った。


「あんたの会社――ゼロリウムという脆弱性リサーチ会社のことを調べさせてもらった。俺は勘違いしていたんだ。脆弱性リサーチ会社っていうのは製品の脆弱性を発見して、それを開発元に報告して収入を得るものだと思っていた。でもそうじゃなかった。ゼロリウムは発見した脆弱性を、その脆弱性を使って攻撃を仕掛けようとする連中に売ってるんだ」

「客は選んでいるよ。政府筋のほんのわずかな顧客だけだ」

「否定はしないんだな」

「うちから脆弱性を買った連中が、それでなにをしようとしているのかはうちのあずかり知らぬところさ。だからこそ、我々は信頼できるわずかな相手としか取引をしない。それが我々のとるべき責任ある行動だ」

「サイバー軍需産業の最大手としての責任、というわけか」

「軍需産業は合法だ」

「自分で合法だというヤツほどうさんくさいヤツはいないよ」

「『俺は無実だ』と言った方がよかったかい?」


 鴻上はポンポンと答え、時折俺を軽くあしらう。悔しいけれど、論理ロジックではどうにも勝てそうにない。


「マトはあしたば園にエアコンを付けることができたか? 日本でもっとも稼いでいると言われるバグバウンティハンターにまで上り詰めておきながら、実情はたかだか中流家庭なみ、一家四人食っていくのがやっとだ。力なき正義は無力だ」

「そのために多くの人を犠牲にするのか」

「どこにも犠牲者なんていないさ。今や軍事力は平和のために使われているんだ」

「政府御用達の脆弱性が悪用されて全世界に被害を与えた事件なんて、いっぱいある」


 付け焼き刃ではあるけれど、俺は一晩かけてサイバー軍需産業のことを調べた。全世界に混乱を巻き起こしたマルウェアが、実はアメリカ政府のサイバー兵器をベースにしたものだった、という事件は一つや二つではなかった。だが、鴻上はまるで予想していたかのように受け流す。


「それはマトが報告した脆弱性だってそうだろう? ベンダーがいくら対応しても、その修正を反映させない人はごまんといる。その結果、たとえ既知の問題であってもその攻撃手法が成功するマシンは多い」

「でも、ベンダーが対策していない脆弱性なら成功率は百パーセントだ。危険性が違う」

「確かに僕らが扱っているゼロデイ・エクスプロイト――未対策の実証コードは飛行機事故のようなものだ。一度悪用されれば被害は大きい。けれど、バグバウンティハンターが見つける脆弱性だって交通事故のようなものだろう? 一回での被害は小さくても件数が多い。トータルではゼロデイ・エクスプロイトの比較にならない被害額になる」

「そうやって――自分を納得させてきたんだな」


 初めて鴻上が言葉に詰まった。すぐにそのことを恥じるように表情が弛緩する。


「鴻上さん――あんた、それをマトにも押しつける気なのか? いつも、自分は間違っていない、正しいことをするために仕方ないんだ、と唱えながらの人生を送らせて平気なのか?」

「……」

「マトの学生生活を終わらせた結果がそれなのか」


 鴻上は目を伏せ、はぁ、と大きなため息をついた。再び顔を上げたときには、その目に鋭い眼光を宿していた。


「一億四千万ドル――これがなんの数字かわかるか?」


 日本円にして百五十億くらいだろうか。俺が答えられずにいると鴻上は静かに言った。


「マトによってうちが被害を受けた金額だ。ゼロデイ・エクスプロイトは未発見の脆弱性――いくらセキュリティを強固にしていても防げないからこそ意味がある。それが公開され、認知され、対策されたらなんの価値もなくなる」


 つまり、マトは六百万の報酬で百五十億のサイバー兵器を潰してきたということだ。だったら、営利企業であるゼロリウムがどう動くかは俺にも想像がつく。


「マトが僕と働きたくて、僕の目に留まるように実名で活動していたことは知っている。それが今回のスカウトにつながったのも事実だ。でも実情は鷹野クンが考えているものとはちょっと違う。僕のミッションは『マトを引き入れろ、できなければ消せ』だったんだよ」


 ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。鴻上の目は笑ってなかった。

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