第三話 最強の武器

その1 新学期

「マトっち、どうしちゃったのかな」


 屋上で弁当を食べながら理乃が訊く。

 九月の太陽はまだまだ高く、俺たちは給水塔の陰に並んで座っていた。日差しの当たるところはゆらゆらと蜃気楼すら見えるような気がする。

 俺はパック牛乳でパンを流し込んでから答えた。


「もう三日か。始業式から来てないもんな。先生はなんか言ってた?」

「病気じゃないから心配しなくていい、て。祐はマトっちの家知ってる?」

「知ってはいるけど――」


 あの今にも崩れそうな再訪荘あばらやを軽はずみに人に教えるのは憚られた。それがマトと仲のいい理乃であっても、いや、むしろ仲がいいからこそ、他人から聞くべきことじゃない。理乃はそれで察したのか、そっか、とだけ答えた。理乃の家庭も問題を抱えていたから、プライベートへの踏み込みには慎重なのかもしれない。


「それより理乃の方は最近どうなんだ? 友達付き合いとか、アイドル活動とか」

「なにそれ、お父さんみたい」


 そう言って理乃はけらけら笑った。


「もともとそんなに仲のいい子がいるわけじゃないし、あんま変わんないよ。あの事件も夏休み前の話だし、それに美和ちゃんが『理乃の成績が上がったのは私の教え方がいいからよ』って言ってくれたから」


 そうか。試験問題漏洩事件からもう三ヶ月も経つのか。真犯人の委員長こと九重ここのえ美和は真相を語ることはなかったようだ。


「梅屋先生がなんか悪いことしたから異動になった、ということだけ噂になってる感じ。誰がその試験問題を受け取ったのか、てことは話題になってないし」

「理乃はいいのか? その、千代が誰なのかを知らなくても」


 理乃を脅迫したときに委員長が名乗った偽名のことを訊くと、理乃は顔の前で両手を振って否定した。


「いいよ、もう。だって、祐がもう心配しなくていい、て言ってくれたでしょ。それを信じるよ。それに――」

「それに?」

「なんか、怖いんだ。知りたい気持ちよりも、そっちの方が強い感じ」

「そっか――」


 もしかしたら理乃はうっすらと気づいているのかもしれない。理乃がジュニアアイドルをやっていたことを知る人物は少ない。


「それにみんな、梅屋先生の代わりに来た鴻上先生がかっこいいって、その話ばっかしだもん」

「ああ、鴻上先生ね。確かに梅屋の後だと引き立つな」

「そういうのなくってもかっこいいでしょ、鴻上先生は。教え方もよくって、いっつも職員室は質問にくる生徒でいっぱいだって」

「ふうん」

「あ、別にあたしが言ってるわけじゃないよ? みんなが言ってるだけだよ」


 なぜか理乃は慌てたように言い訳をする。どっちでもいいのに。


「あとね――」


 理乃はがさごそと取り出したスマートフォンをいじり始めた。


「じゃあん! 踊り手デビューしてみましたぁ!」

「へえ」


 スマートフォンにはニコ動の画面が表示されている。なにかのアニメの制服のような、紫がかったセーラー服。裾に白いストライプの入ったミニスカートからはオーバーニーソックスをまとった脚が伸びている。マスクをかけて顔の半分くらいは隠れているものの、目元の二連泣きぼくろは確かに理乃だ。動きに合せてツインテールも踊る。


「前に見たときよりもキレッキレじゃない?」


 流れてくるコメントも圧倒的に好意的なものが多い。そう言うと理乃はてへへ、と笑った。


「オープンなところで活動した方が安全かな、と思って。これで知名度が上がればオーディションとかでも有利かもしれないしね」

「なるほどね。でも住所割れとかには気をつけてね」

「うん、ありがと」


 理乃の笑顔を見ながら、俺は自分がほんとに父親のようなことを言ってるなあ、と心の中で苦笑した。

 自分の夢に向かって少しずつ、少しずつ、理乃は前に進んでいく。

 でも、俺はどうなんだろうか。俺がしたいことってなんなんだろうか。


    *


 その日の放課後。

 再訪荘は台風による倒壊の危機を辛くも乗り越えたようだった。

 ギシギシと音を立てながら階段を上がり、マトの部屋のドアをノックするが返事はなかった。ドアノブはロックされている。在宅中かどうかを確認しようと、ドアノブに力を入れて上に上げるとカチン、と音を立ててロックが外れた。


 まじかよ、開いちゃったよ。


 俺は迷いながらもドアを開けた。開いてしまったものは仕方ない。

 部屋は前にも増してがらん、としていた。何が変わったのだろう、と見回してみると衣装ケースがなくなっていて、その代わりに真新しいスーツケースが一つ、ぽつんと置かれていた。


 無性に嫌な予感がした。


 そもそもスーツケースがあるのはなぜだ。旅行に行った? 今日帰ってきたのでもない限り、片付けは終わってるだろう。もう新学期が始まって三日が経つし、行くなら夏休み中に行くはずだ。親のところに行った? 親の都合で八月中は時間がとれなかった、ということはあるかもしれない。

 でも、それだと衣装ケースがなくなっていることの説明がつかない。スーツケースを軽く動かしてみる。中身は入っているようだ。これは衣装ケースの中身をスーツケースに移した、と考えるのが自然だろう。


 引っ越し? このあばら家なら引っ越しを考えてもおかしくない。むしろ取り壊しまである。でも、引っ越しなら衣装ケースのままで運べばいい。


 俺は踵を返して急な階段を転がるように駆け下りた。


    *


「あらあらまあまあ、お久しぶりね、祐くん」


 あしたば園の園長先生は俺の名前を覚えていてくれたようだった。俺は挨拶もそこそこに切り出した。


「あのっ、ちょっと俺、訊きたいことがあって」

「まあまあ、ここで立ち話もなんだし、お上がりなさいな」


 園長先生が招く手の下をするりと抜けるように男の子が走り出してきた。


「あー、マトねえちゃんのおとこだー」

「だっ、誰がおとこだ!」


 俺は抗議したけれど、子供はそんなこと聞いちゃいない。屈託のない笑顔で話しかけてくる。


「ねえねえ、エアコンあるよエアコン! エアコン当たっていきなよ、涼しいぜ」

「え?」

「あらあらもうもう、そんな恥ずかしいこと言わないの。ようやく人並みになったくらいなんだから。さ、どうぞ祐くん」

「は、はあ」


 俺は勧められるままに玄関を上がった。

 通されたダイニングには見るからに新品のエアコンが取り付けられていた。省エネナンバーワン、とテレビで繰り返し宣伝しているモデルだった。どうだすげぇだろ、と自慢する子供に「そうだね、涼しいね」と同意する。


「うちで育った子がね、お土産だって付けてくれたのよ。可笑しいわよね、エアコンがお土産だなんて」


 園長先生が冷えた麦茶を持って戻ってきた。


「鴻上――さん、ですか?」


 俺は思い当たる名前を口にする。


「そうそう、あら私ったらお話ししてたかしら」

「名前は聞いてなかったですけど、そうかなって」

「ええ、ええ。立派になってねぇ」


 園長先生は感慨深げに目を細める。


「あの、マトのこと、なにか知らないですか?」

「あらあら、祐くんはいつもマトちゃんのことばかりね。まあ、それ以外にこんなところに来る用もないでしょうけど」

「そういうわけじゃ……」


 確かにそのとおりではあるけれども。園長先生はほほ、と笑って言った。


「学校はお休みして、渡航準備しているんですってね。パスポート取ったり、いろいろ準備が忙しいんですって」

「なんの――ことですか?」


 俺のやっと絞り出した声に、園長先生ははっとしたような顔をする。


「ひょっとして、祐くん、マトちゃんから聞いてないの?」

「――なにも」

「ごめんなさい、私てっきり――」

「どういうことなんです? マトが渡航するって、どこにですか? いつ? なんのために?」

「ちょ、ちょっと落ち着いて、祐くん」

「俺は落ち着いてます!」


 俺の声に驚いた子供たちが「喧嘩はよくないんだぞー」と駆け寄ってきた。


「――すいません」

「いいのよ、私の方こそうっかりして。みんな、心配ないから。先生がちょっと間違っただけだから」

「先生、としなんだからさー、間違うこともあるって、な、にいちゃん」

「いや、俺が悪かったんだ、すいません、先生」


 俺はぐわんぐわん揺れる頭を下げた。体が熱い。なにがどうなっている?


「――麦茶でもどうぞ」

「――はい」


 俺は震える手でコップに手を伸ばした。片手だとこぼしそうだった。


「マトちゃんね、コーちゃん――鴻上くんとアメリカに行くんですって。」

「アメリカに? 旅行ですか」


 園長先生は首を横に振る。わかってたくせに、俺はそんなことを訊いている。園長先生は目を伏せたまま言った。


「学校辞めて就職するんですって、コーちゃんの会社に」

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