その10 少年と犯人
「犯人はスタンバイ機しか改ざんできなかった。逆に言えば本番機を改ざんすることはできなかったということだ。改ざんするためにはなにが必要になる?」
「サーバに接続できること、ログインできること、改ざんに必要な権限があること」
鴻上の質問にマトがすらすらと答える。
「ま、このあたりは即答か」
「あの、なんで三つに分けて言うんですか。同じじゃないんですか?」
長谷川が手を挙げて訊ねる。鴻上はにっ、と笑ってマトを見遣る。
「ログインするためにはサーバにIDやパスワードの情報、あるいは攻撃パケットを送らないといけないけど、そもそも通信ができなかったらそれ自体を送ることができないわ。それに、ログインできたとしてもゲストアカウントのようにほとんどできることのないアカウントだったら改ざんはできない」
「そういうこと。そもそもインターネットから接続できないサーバだと、攻撃のハードルはかなり高い。その点、ウェブサイトはどこからでもつながるから、そこを足がかりにしやすい。今回は違うみたいだけど」
マトの説明を鴻上が引き継いで説明する。コンピュータ部の連中が質問するってことは難しい話なのかもしれないが、それでも気になることはわかる。
「今回はインターネットから接続できないサーバだったのか?」
「試してみればわかるさ。マト、テザリングでつないでみて」
「うん」
マトが左手でスマホを、右手でPCを操作する。
「つなげたわ。こっちのIPアドレスは1.79.183.244」
「ドコモだね。これでこのPCは学校のネットワーク以外につながったことになる」
「すご……キャリアごとのIPアドレス覚えてるんですか?」
細田が驚いたように訊くと、鴻上は手を振りながら苦笑いした。何がすごいのか、よくわからないけど。
「キャリアで1や110で始まるならドコモ、111はau、ってだけだよ。覚えやすいからね。じゃあそのスタンバイ機にポートスキャンしてみて」
「ダメです。全部閉じてます」
「そっちのPCだとどう? ポートスキャナ入ってないんだったらとりあえずssh試してみて」
鴻上が細田に指示し、細田はubuntuと書かれたアイコンをクリックする。IPアドレスとかポートスキャンとか、専門用語ばかりで今イチピンとこないけれど、この状況だと分かっていないのは自分だけだろう。仕方なく無言で見守る。
「あっ、つながった」
「ログインしたのか?」
俺は不正アクセスにならないか、不安になって訊いた。
「いえ、ログインはまだですけど、
見ると、黒い画面になにやら文字が出ている。最後はイエスかノーかの入力待ちになっていた。それがなにを意味しているのかはともかく、この比較実験の意味するところは俺にも理解できた。
「つまり、このスタンバイ機はこの学校からしかつながらないということか?」
「いくつかの要因を合わせて考えるとそうなるね」
だから、犯人はこの学校のネットワークから攻撃を仕掛けているのか。でも、どうしてうちの学校だけがそんな特別扱いをされてるんだろうか。本来、うちの代わりに特別扱いを受けるべきところが他にあるのだろうか? もしそうなら、そこはなぜ気づかないんだ?
「お、考えてるね、鷹野クン」
「逆に、どこからならつながってもおかしくないんだ?」
「運営会社や開発会社、運用保守を請け負ってるところとかね」
俺の質問にすっとマトが答える。こいつ、ほんとこういう実情に詳しいな。
「昔はここが開発会社だったりしてね」
開校五十周年を迎える愛帝学園にそれはあり得ない。ただの軽口のつもりで言った俺の言葉に、なぜかみんながハッとしたような顔をする。鴻上だけがニヤリとしていた。
「さすが鷹野クンだ。そのとおり、この学校のIPアドレスは以前、この近くにあった開発会社のものだ。会社が廃業して返還されたIPアドレスが、この学校に再割り当てされたんだ」
「なんでそんなことを知ってるんですか」
「僕も昔、この近くに住んでてね。そこでバイトしてたんだよ。IPアドレスを覚えていたわけじゃないけどね」
リアルな住所のことを言ったつもりだったけれど、なんだか違うように解釈されたらしい。
「じゃあ、犯人はそのことを知っていた人ってことになるのかしら?」
「ここに一人いるな」
俺の言葉に鴻上は違いない、と笑った。
「マトの話だと、犯人のPCは校内のネットワークにつながっていて、直接操作しているんだろ? でも、校内には誰もいなかったぜ」
「ちょっと難しい話になるから詳細は割愛するけれど、さっきパケットモニタを見せてもらった限りだとブリッジモードの無線アクセスポイントにつないでいる可能性はある」
「無線アクセスポイントってどこにあるんだ?」
「基本的には各校舎、各階に有線接続したメッシュルータがあるわ。そこまで強力なものじゃないけど」
「無線ってどれくらいの距離までつながるんだ?」
「障害物の有無とかでかなり違うからなんとも言えないけど、数十メートルってところじゃないかしら」
そうすると、校内の無線アクセスポイントに校外から接続することはあまり現実的ではなさそうだ。
「運動場とか、プールとかはどうやってつないでる?」
「そもそもつながってないもの。体育館だけは有線で引っ張ってるけど」
体育館はぎりぎり建屋がつながっている状態だから、それもそうかと思う。しかし、校内のネットワーク状況に相当詳しいな、こいつ。きっといろいろ調べまくったんだろう。
「あれ? そうすると監視カメラってどうやってつないでんだ? 運動場の反対側にあるだろ」
「あれは無線だけど、監視会社のネットワークで校内ネットワークとは接続してないわ」
「校門のところのカメラも?」
俺は学校に忍び込んだときに目が合ったカメラのことを思い出した。
「あれは監視カメラじゃなくてインタフォンのカメラよ」
なんだ、びくびくして損をした。
「でも、そうすると校内のネットワークにそのカメラからはつながるわけなんだよね?」
「あれは有線だもの。無線じゃないわ」
「じゃあダメか……ん? そうすると校舎の外壁にまで線を引き出してるってこと?」
「そうなるわね」
「よくわかんないけど、それって大丈夫なの? その線につなげば使えたりしないの?」
「……可能性は、あるわ」
マトが難しい顔で答える。俺たちのやりとりをじっと聞いていた鴻上はうん、とうなずいて立ち上がった。
「最初っから漏話を前提とした無線と違って、有線は物理的な対策が重要なんだけど意外にずぼらなところは多いね。さて、犯人をふん縛りに行くか」
そう言うと鴻上は上に羽織ったシャツを脱いで椅子に掛けた。
*
風雨の勢いはやや弱まってきたものの、まだ時折突風の轟音が聞こえてくる。
俺は階段の踊り場の窓を開け、雨になぶられながら身を乗り出して外壁に設置されたカメラを覗き込んだ。カメラの後ろに小さな箱がダクトテープで貼り付けられ、カメラにはその箱を経由したケーブルがつながっていた。
俺はヘッドセットに向かって話しかけた。
「予想どおりだ」
『気をつけて、祐。そのサイズならあまり電波は強くないから犯人は近くにいるはずよ』
ヘッドセットから流れてきたいつもどおりのマトの声。俺は少しほっとする。
危険があるといけないから、と、マトと部員たちをモニタリング要員として施錠した部室に残し、俺が無線アクセスポイントの確認に、鴻上が犯人確保に向かっている。
『鷹野クン』
次に流れてきたのは鴻上の声だった。少し固さを感じる声に俺は身構えた。
『どうやら――犯人は僕の知り合いのようだ』
「……」
驚きはなかった。むしろ、予想していたことだった。外を見ると、校門の近くに停めた車に近づいていく鴻上の姿が目に入った。鴻上が車の窓をコンコン、と叩くとするする、と窓が開いた。
『田村さん、ご無沙汰してます。鴻上です』
『鴻上! ずいぶん久しぶりだな。どうしたこんな日に』
『やめましょうよ、田村さん。そんなこと』
俺はヘッドセットから聞こえてくる声を固唾を飲んで聞き入った。かすかに男のため息が聞こえたような気がした。
『なんのことだ――てのは野暮か。昔から優秀だったよな、お前は』
『僕を育ててくれたのは田村さんだと思ってますよ。今でも』
『お前があのまま正社員になってくれてたら、違ってたのかもしれないけどな』
『そこまで買っていただくのは嬉しいですけど、たぶんおんなじだと思いますよ』
『お前、あのあとどうしてたん――』
唐突にプツン、と音声が途切れた。スマートフォンを見ると鴻上はチャットルームから退室していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます