その9 少年と敗北

「やれやれ、もっと若いときだったら不意を突かれたってこんな醜態は晒さなかったんだけどな」


 男は足を投げ出したまま俺に極められていた肩を回し、首の動きを確かめるように捻る。俺は居心地が悪くて、両膝に手を置いて頭を下げた。


「すいません、その……」

「ごめんね、コーコー。鷹野くんも悪気があったわけじゃないの」


 割り込むように話しかけるマトに思わず振り返る。

 鷹野くん、だと?


「分かってるって。こんな時間に、学校をうろつくヤツなんて危ないヤツだと思うよな、鷹野クン。女の子もいるんだし、身を張って守ろうとしたんだ。大したもんだよ」


 男の言葉にマトはほっとしたように胸をなで下ろす。男はボーダーのTシャツに羽織った七分袖のシャツの襟を整えて立ち上がった。背は百八十後半くらいだろうか、俺より頭一つくらい高い。すらりとして、スマートな身のこなし。三十才のようにも、大学生のようにも見える。


「びっくりしたよ、マトがめちゃくちゃ綺麗になってて」

「そんなこと――」


 マトは口もとに手をあて、恥ずかしそうに俯いた。俺の見たことのない表情だった。


「あのぉ、すいませんがどなたでしょうか」

「ああ、ごめんごめん。僕は鴻上こうがみ、マトの古くからの知り合いだよ。今日帰国したんだけど、台風の影響で関空に降りる羽目になっちゃってね、そこからさっき着いたところなんだ」


 俺は園長先生の言っていた、マトのお兄ちゃん代わり、という男の話を思い出した。きっとこいつがそうなんだろう、という確信があった。


「でもコーコーはどうしてここに?」

「あしたばの先生が『マトは避難所に行くって言ってた』って言うからさ、大方学校の体育館がいつも避難所になってるとか思ってきたのに、入れずに震えてるんじゃないかと思ってね」

「やだ、そんなんじゃないわ」


 そう言って恥じらうマトの仕草が癇にさわる。いきなり図星を指すのも腹が立つ。あだ名らしい「コーコー」という呼び方も、親しげでイラッとする。


「あのさー、マト。久しぶりの再会なのか知らないけど、今そういう状況じゃないからね。分かってる?」

「あっ、ごめんなさい、鷹野くん」


 なんだそのしおらしい態度。お前はそういうキャラじゃないだろうが。


「ごめんな、鷹野クン。邪魔するつもりじゃなかったんだけど、この雨だし、もうちょっといさせてもらってもいいかな? なにかする必要があれば手伝うから」

「そうね、それがいいと思うわ。この嵐じゃ出て行くわけにもいかないし」

「来れたんだから帰れるんじゃないですかね」


 自分でも意地が悪いと思ったが、口から出た言葉は戻せない。言ってしまってからマトの方をちらりと見ると、マトはうるうるした瞳で拝むように両手を握りしめていた。


「ごめんね、鷹野くん。もし、これ以上人が増えるのがまずいんだったら、あたしが出て行くから」


 なんだよそれ。


「俺が決めることじゃないし、コンピュータ部のみんなに訊けよ」


 ぶっきらぼうに俺が言うと、細田たちは俺の顔をマトの顔を交互に見て、それから「問題ないっす」とだけ言った。

 くそっ。

 せめて、マトが腹を立ててくれれば俺だってこんな気持ちにならなかったのに。


「ごめんな、鷹野クン、恩に着るよ」


 そう言って鴻上は片手で手刀を切った。


「別にいいんじゃないすか、みんながいいって言ってんすから」


 もう俺にしゃべらせないでくれ。いろんな選択肢があるはずなのに、確実に一番ダメなものばかり選んでしまう。


「それで、今これはどういう状況なんだい?」

「俺、ちょっとトイレ」


 鴻上の言葉をぶった切るように、俺はその場から離れた。

 なんだってんだ、俺は――。


    *


 部室に戻ると、鴻上は回転椅子に反対向きに座っていた。背もたれの上で腕を組み、その上に顔を乗せて興味深げにマトたちの話を聞いている。


「なるほどね。お、帰ってきたな、鷹野クン」


 なんすか、という言葉を飲み込む。ここで反抗的な態度をとったところで、俺が孤立するだけだ。多少は冷えた頭で考えたけど、相変わらず沸点が低い。

 大丈夫、それを自覚している限りは俺は大丈夫だ。


「さあ、役者が揃ったところで謎解きタイムと行こうか」


 鴻上はパン、と手を叩くとみんなを見回した。コンピュータ部の連中も興味深げに鴻上を見ている。マトは壁にもたれて、軽く腕を組んでいる。その表情は楽しげだ。

 みんな、こいつになにをしゃべったんだ? なぜ、こいつをみんな受け入れてる? なぜ、こいつが探偵のようなことをする?


「コーコーはあたしなんかより、ずっとサイバーセキュリティに詳しいの。今日あったことを話したら、『面白い事件だ』って」


 マトはウキウキした様子で、屈託のない笑顔で俺に語りかける。泥のように淀んだ俺の心にはそれがきつかった。


「なぜ、この学校でサイバー犯罪が行われたのか――この学校でなければならなかったのはなぜか。そして、犯人は誰なのか。みんなで考えてみようか」

「なんで俺たちが――」

「っと、一足飛びに答えを言うのは勘弁してくれよ、鷹野クン。マトから聞いてるよ、OSINTオシントの名手だって」


 なにを言われているのかはわからないけれど、おそらく褒め言葉なんだろう。俺は短く「別に」とだけ答える。鴻上はさわやかな笑顔でうなずくいた。


「さて、すでに真相に気づいているらしい鷹野クンにはちょっと待ってもらって、今日あったことをおさらいしてみよう。まず、HMDの予約サイトがDDoS攻撃を受けて、スタンバイ機に切り替わった。そして、そのスタンバイ機にはこの学校のネットワークにぶら下がっているPCが不正侵入している、そうだね?」


 俺以外のみんながうなずく。


「そして今回、犯人がやろうとしていて、そして実際にやったことはサイトを改ざんしてフィッシングページを設置することだった。カード情報の窃取は動機として十分だから、これが目的だと仮定してもいいだろう。その一方で、これだけの規模を持つサイトの改ざん、てのはそう簡単じゃあない」

「どうして規模が大きいと難しいんですか」


 名前を知らない部員が訊ねる。


「お、なかなかいい着眼点だね、長谷川クン。そうだ。一般的には規模が大きいと難しい、そう簡単に考えがちだけど、なぜ難しいか、という理由にまで踏み込んで考えることは大事だ。わかる人はいるかい?」

「セキュリティ機器が導入されていること、監視が厳重であること、セキュリティパッチが当てられていること――」


 指を折りながらマトが答える。経験に裏打ちされているような明確さだった。


「そのとおり。不正侵入を許さないための対策が十全に行われているからだ。でも、今回犯人は改ざんに成功した。なぜだろうか?」


 くだらない質問だと思った。「十分に対策されているのに攻撃に成功したのはなぜか」なんて、情報が少なすぎてどうとも答えられるし、どうにも答えられない。


「そんなの、対策が十分でなかったか、想定外の攻撃を行ったかのどちらかしかない」


 質問に対する抗議のつもりで言うと、意外にも鴻上は「そのとおり!」と嬉しそうに答えた。


「いやさすがだね、鷹野クンは。本質をよく捉えてる。マトが太鼓判を押すのも納得だよ」

「いやぁ、それほどでも」


 つい顔に浮かんでくる照れ笑い。ずるいぞこいつ。マトのことまで出してきやがって。


「でも、対策が十分じゃなかった、てことはありえるんでしょうか」


 名前を知らない部員――じゃなかった、長谷川とか言ったっけ――が訊ねる。その態度はすっかり教師に対する生徒のそれだった。


「長谷川クンはありえない、と思うのかい? それはどうして?」

「ありえないとまでは言わないですけど、そういうのって気づかないものなのかな、て」

「なるほど、じゃあいったん、対策が十分でなかったとして、なぜそれに気づかなかったのか、という問題として考えてみようか」

「一言で対策っていってもいろいろあるんじゃないすか。方法も対象も」


 俺はまたイラッとして言った。どうにも鴻上の言うことは抽象的で、一向に具体的なところに落ちてこない。しかし、やっぱり鴻上は「そのとおり!」と嬉しそうだ。


「方法も対象もいろいろある。じゃあ、今回の対象はなんだ?」


 その瞬間、俺の頭の中の霧がぱあっと晴れた。

 そうか。そういうことか。二つのピースがカチ、とはまった。


「本番機よりも対策が甘いスタンバイ機だ。犯人はスタンバイ機の方しか改ざんできなかったんだ」

「さすがだね」


 俺はついうっかり鴻上に笑顔を返した。敗北だった。

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