その7 少女と孤島の殺人鬼

「悪ぃ、遅くなった」

「何してたんすか、鷹野センパ……」


 コンピュータ部の部室のドアを開けると、振り返った細田がそのままの形で固まった。俺の隣には学校指定の大きなボストンバッグを抱えた制服のマトがいる。


「す、すいませんっ」


 細田が後ずさり、他の二名が細田の背中に隠れるように身を寄せる。


「ああ、悪い。うちのクラスの衣川さんだ」

「いえその僕たち、あの、合宿で」


 怯える三人の様子に振り返ると、マトはセーラー服の裾で濡れた眼鏡を拭きながら細田たちをじっと見ていた。たぶんろくに見えてないんだろう。眼鏡を外したマトの目つきは凶悪そのもので、もともと気弱な連中の多いコンピュータ部にはちと辛いものがある。


「悪いんだけど、衣川さんも一緒にいいかな?」

「どういうこと、祐?」


 マトが俺の顔を見上げるように訊く。


「こいつらはコンピュータ部の一年で、今合宿中なんだそうだ」

「コンピュータ部?」

「ああそうだ、あのUSBメモリのマルウェアを見破ったのはそこの細田だよ」

「へえ」


 マトは眼鏡をかけて細田の顔をじっと見つめた。細田はぽかん、と口を開けたかと思うと、「いやそれほどでも」ともじもじと赤らめた頬で目を伏せた。眼鏡をかけたマトは美少女そのもので、もともと女性に免疫のないコンピュータ部にはちと辛いものがある。


「細田。学校中くまなく探したけど、いたのは衣川さんだけで他には誰もいなかったぞ」

「マト」

「ああ、マトだけで他には誰もいなかったぞ」


 そのやりとりを見ていた細田がぼそっと「爆発しろ」と言ったような気がしたが、聞こえなかったことにする。


「謎のマシンの一台はマトのPCで間違いない」

「あとの一台は結局不明ってことなんすかね。ま、いっか。先輩が校内の見回りしてくれたんだったら」


 唐突に、もう一人の部員がはっとしたように壁の時計を見上げた。


「あ、やべえ、もうこんな時間すよ。十二時までにバーベキュー終わるかなあ」


 時計の針は十時を過ぎていた。


「悪い、俺が時間食っちまって。十二時ってなんかあるのか?」

「VirtualLink対応VRデバイスのネット予約が始まるんすよ。うちの部でも三台は確保したいんすけど」

「ああ、あれか」


 俺は最近よく耳にするHMDヘッドマウントディスプレイのことを思い出した。なんでもケーブル一本でいろんな機器とつなぐことができるうえに二万を切る価格だとかで、予約殺到必至と言われているやつだ。しかも初回ロットを逃すと次は半年待ちだとも聞く。


「わかった、ネット予約は俺も手伝うよ」

「ありがとうございます!」


 ちらりとマトの様子を窺うと、興味なさげに自分のPCをいじっていた。


    *


「さて、そろそろですね」


 ホットプレートを片付けた俺たちは、それぞれの席についてPCに向かっていた。時刻は十一時五十分。プリペイド型クレジットカードの情報を手元に置き、複数のブラウザを立ち上げて予約販売サイトを開く。申込ボタンはいまだ「準備中」と表示されていた。

 マトは相変わらず、俺たちに関わることなく自分のPCをカチャカチャいじっている。バーベキューでは少しだけ手を付けていたけれど、すぐに箸を置いてしまった。もともと小食なのか、それとも見知らぬ人たちばかりで気後れしたのかはわからない。そのどちらとも、というのが一番ありそうだった。


「あと五秒。リロード開始、加藤カウントダウンを」


 細田の声に俺たちは姿勢を正す。

 F5キーを叩き、リロードを始める。まだボタンの表示は「準備中」のままだ。


「四……三……二……」


 リロード、準備中――リロード、準備中――リロード、予約!


「十二時になりました!」

「予約開始!」


 予約ボタンをクリックするが、真っ白な画面のまま反応が返ってこない。


「くそ、重いな」

「足切りされないだけマシですよ」

「どっちがいいのかわかんねえけど」


 リロードとタイムアウトを繰り返す。予想していたとはいえ、かなり厳しい状況のようだ。


「お、進んだ――ああダメだ。くそ、一画面で支払い入力まで全部終わらせてくんないかな」


 次のページが表示されたと思っても、項目を入力して「次へ」をクリックするとタイムアウト。「戻る」ボタンで戻ると「もう一度入力し直してください」と言われる。俺は次第にイライラし始めた。


「あー、もう! なんなんだよこの混雑は!」

「それだけ人気高いってことっすね」

「あれ、エラーページになった」


 ブラウザには「Connection Refused」という簡素なメッセージが表示されている。俺だけでなく、コンピュータ部の部員も同じ状況で、予約ページより前に戻ってもただエラーページだけが表示される。


DDoSディードス攻撃を受けてるわね」


 マトの言葉にモニタを覗き込む。世界地図の中の日本に、世界中から放物線が集中していた。マトはこちらにまったく関心がなかったわけでもないらしい。


「なんだこれ?」

「データセンタが公表しているリアルタイムのトラフィック情報。中国、アメリカ、韓国、ロシア――世界中から来てる」

「これがすべて予約に殺到した人たちってことか」

「そんなわけないわ」


 マトは即答する。


「日本語しかない通販サイトに、これだけ全世界から集中するはずないわ。たとえ海外からのアクセスがあったにしても、日本よりも圧倒的に海外の方が多いってことはありえない」

「じゃあこれは予約じゃないのに来てる人たちなのか?」

「人じゃないわ。いろんな国のいろんな機器が一斉にアクセスしているのよ」

「そんな巨大な悪の組織があるのか?」

「巨大でなくてもできるわよ。それに、利用するだけだったら私たちにだってできる。ストレッサーの話はしたでしょ?」


 俺はマトが言っていた話を思い出した。ストレッサーは確か、サイトに負荷をかけてダウンさせるサービスのことだった。


「でもなんのためにこのサイトをダウンさせるんだ?」

「DDoS攻撃の目的は政治的な抗議とか、競合他社の妨害とか――あるいは、DDoS攻撃をやってみせて『またこんな目に遭いたくなかったら金を払え』って脅迫するケースもあるわ。そのほかには別の攻撃を隠蔽するためというのも」

「なんにしろ迷惑な話っすね。予約開始の今日やらなくても」

「予約開始の今日だからやったんでしょうね」

「お、つながった!」


 加藤が嬉しそうに叫ぶ。俺も自分のPCを操作する。


「ほんとだ、こっちもさくさくつながるようになった。もう攻撃は終わったのか」

「大抵のDDoS攻撃は一時間以内に収束するから――いや、まだ攻撃は継続してるわね」

「そうなの? 普通にアクセスできるけど」


 マトのPCのモニタには相変わらず世界中から放物線が延びている。


「ちょっとDNS引いてみる――ああ、IPアドレスが変わってる。これ、さっきまでのサーバとは違うサーバね」

「なんだって?」


 俺は気色ばんでマトのPCを覗き込んだ。画面には黒いウィンドウになにやら文字が表示されている。


「乗っ取られたのか?」

「たぶん、スタンバイ側のサーバに切り替わっただけだと思うわ。例えば大阪と東京にサーバを用意しておいて、なにかトラブルがあったら切り替えるような仕組みじゃないかしら」


 そうか。今までサイトが重たかったのは全世界から攻撃を受けていたから。そして、今はスタンバイ側にサーバが切り替わったためにすいすいアクセスできるようになったってことか。

 ん? ちょっと待てよ。


「なあ、俺たちはどこのサーバで動いているかも知らずにアクセスしてるわけだろ? ストレッサーはそうじゃないのか?」


 素人のバカな疑問なのかもしれないけど、俺たちがいつのまにか違うサーバにアクセスしているのなら、ストレッサーだってそうじゃないんだろうか。

 マトは思いのほか真面目な顔で答えた。


「確かにそうね。IPアドレスを直に指定することもないわけじゃないけど、その場合は今のようにすでにスタンバイ側になったサーバに無駄な攻撃をし続けることになるわ」

「つまり、攻撃者が間抜けってことか」

「――ちょっと引っかかるけど。FQDNで指定するなら簡単だけど、IPアドレスで指定するには一手間かかるのよ。わざわざそんなことするくらいなら、最初っからFQDNでいいわけだし……」


 専門用語が増えてきてよくわからない。ともかく、攻撃者はわざわざ一手間かけて無駄な攻撃をしている、ということのようだ。そこまで分かれば後は簡単だ。


「攻撃者にとってこの攻撃は無駄じゃないってことだな」

「……」


 マトは考え込む。その沈黙を破るように加藤が口を挟む。


「でもスタンバイ機に代わってよかったんじゃないっすか? さっきまでConnection Refusedでアクセスできなかったんすから」

「Connection Refused? そう出てたの?」

「は、はい……」


 急にマトに話しかけられて、身を引きながら答える加藤。


「うん、確かにそう出てたけど、それがどうかしたか?」

「ちょっと待って……確かに、接続が拒否されてる。これIPSの仕業だわ」

「IPS? インターネット業者のことだっけ?」

「それはISP。IPSは侵入防止システムのこと」

「なんで俺たちが侵入防止システムにブロックされるんだよ」

「攻撃を仕掛けたと見なされたのね、たぶん。うちからの接続が全部ブロックされてる。ああ、ポートスキャンかけても全部アウトだわ」


 俺は何が問題なのかわからず、他のコンピュータ部員を見回す。全員が全員とも俺と同じ表情を浮かべていた。


「俺たちがリロードしまくったからか?」

「その程度じゃブロックされない。少なくともIPSレベルではね」

「つまり、この中の誰かが本当に攻撃を仕掛けたということか――?」


 なんだか孤島の殺人事件みたいになってきた。


「ぼ、ボクは自分の部屋に戻らせてもらいます! こんなクラッカーのいる部屋になんかいられるか!」


 ノリいいな、細田。でもそれ死亡フラグだぞ。


「ま、この中に犯人がいるはずもないか。自分たちが困るだけだからな」


 唯一ありえるとしたらマトだ、という言葉は言わずにおく。


「鷹野先輩、じゃあこの島に潜んでいる謎の人物エックスが犯人なのでは……」

「誰だよそれ――あ、もう一台の謎のマシンか」

「謎のマシンって?」


 俺はマトに、この学校の学生用ネットワークに、正体不明の機器が一台接続されていることを説明する。名前を知らない部員がPCを操作して機器の一覧を表示させると、マトはこめかみを人差し指で叩きながらMACアドレスを唱えた。


「このホストがどこの何なのかがわかればいいのね? ちょっと調べてみる」


 そう言うとマトは大テーブルの隅の席に戻った。マトのPCはすごく小さくて、普通のノートPCの三分の一くらいしかない。天板にはベタベタとステッカーが貼ってある。


「珍しいな、マトが自分からそんなことするなんて」

「お肉ももらったし、ただでここにいさせてもらうわけにはいかないわ。その対価としてやるだけ」


 マトはモニタから目を離しもせずに答える。細田がすっと俺のそばに来て小声で訊く。


「鷹野先輩、衣川先輩って何者なんすか」

「ああ、コンピュータには詳しいから多分、その謎のマシンが何なのかはすぐにわかると思うよ」

「そうだろうな、とは思います。あのステッカー、相当すごいバグを見つけないともらえないものなんで」


 細田は俺でもよく知っているインターネット関連会社のステッカーを指さした。


「何者なんすか」

「だから、衣川さんだよ。コロモガワ・マト」

「は!?」


 細田はまた唖然として、大きく見開いた目でキーを叩くマトの姿を見つめた。


「コロモガワ・マトって、あの、おそらく日本人と思われるコロモガワ・マトっすか?」

「コロモガワ・マトって名前の人が何人いるかは知らないけど、そうそうある名前じゃないからきっとそうなんだろうな」

「ぜひ我が部に……」

「たぶん入らないと思うぞ。金にならないことはやんないだろうから」

「そうか……まあそうですよね……」


 細田は心底名残惜しそうにうなだれた。


「どうやら、あなたたちが言っていたことが正解のようね」

「え? どういうことだ」


 マトの言葉に全員が驚いて振り返る。


「この謎のマシンはサーバに不正侵入してる。こいつが犯人だわ」

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