その5 少年とバーベキュー

 思ったとおり、校門は閉まっていた。


 レインコートを叩く雨の音が次第に強くなってきた。見上げると、校舎の壁に取り付けられた監視カメラがじっとこちらを見ていた。単に校門のあたりを定点で撮影しているだけだろうけど、なんとなく威圧的なものを感じる。むしろ俺は守護される側の生徒なんだけどな、と思ったけれど、よく考えたら自分がフードで顔を隠したレインコート姿だったことを思い出した。

 不審者に見えなくもない。というか、台風の夜に学校の中を窺う黒づくめの男は不審者以外の何者でもないような気がしてきた。


 まったく、こんな台風の日にマトはどこに行ったんだろうか。まさかコロッケを買いに出かけて帰れなくなったわけでもあるまい。そんな間抜けは俺だけで十分だ。


 しかし参ったな。


 ここじゃないとするともう心当たりはない。雨も今こそ小降りになっているけれど、あしたば園で見せてもらった気象ニュースではこれから明け方にかけてが本当のピークだと、注意を呼びかけていた。マトも心配だけれど、俺自身どうするかも考えないとほんとにやばいことになりかねない。あしたば園に戻ることも考えたけど、「マトを探してくる」と出て行った手前、すぐに戻るのも格好悪い。かといって夜遅くに訪ねていくのも迷惑だろう。


 しょうがない。いざとなったら学校に忍び込んで夜を明かすか――。


「ん?」


 そのとき、きらっと光るものが目に入った。よく目をこらすとどこかの教室から光が漏れているのが見えた。


 誰かいる!


 俺は校門を乗り越えて敷地に入った。監視カメラとばっちり目があったけど、この台風の中なら警備員も来ないだろう。もし来たとしてもここの生徒で帰れなくなった、と言えばなんとかなるかもしれない。

 俺は雨の中、光の見えた部室棟に向かった。


    *


 昇降口は閉まっていたが、ぐるりと回るとくだんの教室の外までたどり着くことができた。遮光カーテンが閉められているが、その隙間からわずかに光が漏れている。

 窓に近づくと時折笑い声が聞こえてくる。一人じゃないのかもしれない。

 ここはなんの部室だっただろうか。窓をコンコン、と叩くと笑い声は急に止まった。


 雨の音だけが響く。もう一度コンコン、と叩くとすっと明かりが消えた。

 息を潜めている気配を感じる。俺はメガホンのように口の回りに添えた両手を窓に当てて言った。


「おーい、マトか?」


 一瞬、ざわっという音がして、パチン、と明かりがついた。

 シャッ、とカーテンが開き、そこから覗いた顔は――。


「鷹野先輩じゃないっすか。ビビらせないでくださいよ」


 コンピュータ部の細田だった。


    *


「それでお前らは何してんだよ」


 俺は細田から借りたタオルで頭を拭きながら訊ねた。コンピュータ部の部室には細田の他に二人の男子生徒がいた。


「なにって合宿っすよ、合宿」

「学校で?」

「機材運ぶの大変じゃないですか」

「よくこんなの顧問の先生が許し――」


 俺はコンピュータ部の顧問が梅屋だということを思い出した。一学期に理乃をモデルに個人撮影会をし、その見返りに別の人物に試験問題を横流し。さらにそのことがばれそうになるとすべてを理乃に押しつけて逃れようとした、教師とも言えないようなヤツだ。


「まあもともと放任でしたからねえ、梅屋先生は。今回の合宿申請もちゃんと見てないと思いますよ。さっき警備会社も来たけど、話通ってないみたいでしたから」

「警備会社?」


 俺はぎょっとした。さっき校門を乗り越えてきたときにしっかりと監視カメラに写っていたはずだ。


「ああ、大丈夫ですよ。合宿申請の紙を見せて警備解除してもらったんで」

「いいのかよそれで」

「まあそこはそれ、ソーシャルエンジニアリング的な駆け引きですよ」

「やな高校生だな」


 そう言うと細田はひゃっひゃっと笑った。


「それにしても――合宿ってなにやるんだ?」


 俺はコンピュータ部の部室を見回した。大テーブルに置かれたPCはいつも通りだが、サブテーブルの上にあるホットプレートはいったいなんだ?


「ああ、これっすか。バーベキューやるんすよ。リア充の定番っす」

「おまえはリア充じゃないだろ……」

「見てくださいよこの肉。サシが入ってて旨そうでしょ」


 そう言うと細田はホットプレートの隣に置かれたトロ箱を開けて見せた。トロ箱には保冷剤といっしょに経木に包まれた肉がいくつも入っていた。


「うわなんだこれ、マジですげえいい肉っぽい」

「でしょ! こいつ、加藤って言うんすけどね、家が肉屋なんすよ」


 加藤と呼ばれた生徒が「ども」と照れ笑いをしながら頭を下げる。

 ん? 加藤?


「まさか『肉のカトー』じゃないよな……?」

「あ、知ってましたか? うち、コロッケが有名なんすよ」

「ああ、よく知ってるよ! すごくよく知ってるよ!」

「……なんで逆ギレなんすか」


 旨そうな肉を見ていたら急に腹が減ってきた。時計を見上げるとすでに九時を過ぎている。


「でも、焼くのは校内に誰もいないことを確認してからっすね。バーベキュー始めちゃうとさすがに言い訳効かないんで」

「自覚あんのかよ、タチ悪ぃな」

「じゃあ先輩は見とくだけにします?」

「ふっ」


 俺はポケットから樋口一葉様を取り出す。細田はにやりと笑って、がしっと握手をした。


「そもそも、鷹野先輩はなんでこんな日にここに?」

「休みだったんだよ――『肉のカトー』が」


 遠い目をする俺を、細田も加藤も不思議そうな目で見ていた。そこにもう一人のコンピュータ部員がPCのモニタを見たまま声をかけてきた。


「まだ誰かいるみたいですね」

「なんで分かるんだ? 監視カメラをハッキングしてるとか――?」

「ああいや、そんな大したことじゃないです。学校のネットワークに接続しているマシンを見てるだけです。職員室用のネットワークだとファイルサーバやら、置きっぱのPCがいつもあるんですけど、ゲストネットワークの方は生徒しか使わないはずだから――」

「自分たち以外のPCがあるのはおかしいってことか」

「です」


 その部員は黒いウィンドウを開くと、カチャカチャとキーを叩いた。


「ほら、この二台はここにあるマシンじゃないんですよ。DHCPのリース時間から見ると最近繋げたものみたいですし、なんだろ」

「ふぅん……お、おいちょっと待ってくれ」


 俺はPCのモニタにかじりついた。


「ここの物理アドレスっていうのはMACアドレスのことなのか?」

「そうですけど……それがどうかしました?」

「じゃあ、ここに出ている50-C7-BF-FC-……ってのは、このPCが今、この学校のどこかにいるってことなんだよな?」

「ええ、これはARPテーブルなので」

「すぐ戻る!」


 俺はきょとんとしている細田たちを残して廊下に飛び出していった。

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